本書において、著者は、ルース・ベネディクトの「菊と刀」を非常に高く評価しています。
「菊と刀」は、戦争の終結と戦後の日本占領に役立てるという目的のため大戦中に米戦時情報局からの委嘱により書かれたものです。
その執筆にあたっての原資料は、米国で入手可能だった種々の文献やインタビュー等が中心でした。著者本人の現地調査が一度たりとも行なわれなかったという点では、フィールドワークを重視する文化人類学の研究としては極めて異例なものと言われています。
にもかかわらず、当時においても、その著作の完成度については一定の評価がなされていました。
そういった評価が得られたのも、「菊と刀」の基調にある「文化相対主義」によるものと言えるでしょう。
(p34より引用) 「文化相対主義」はボアズをはじめベネディクトやハースコヴィッツといったアメリカの文化人類学者が中心となって提唱した「文化」のとらえ方である。ごく大まかにいえば、いかなる文化も独自の、その文化内で自律する価値を有するとして、一つの文化で成立した価値観で他の文化を一方的にとらえては異文化の理解ができない、とする説で、それまでの西欧文化中心主義の上に立って、その尺度でもって他の文化を、一方的に評価してきた文化理解を批判するところから出発している。
「文化論」において「相対的」な立場を保つことは容易ではありません。
戦時期においてはなおさらだったと思います。
本書において、著者は、「日本文化論」の「相対性」という観点から、1955~63年を「歴史的相対性の認識」の時代と位置づけています。
この時期の代表的な論調として紹介されているのが、加藤周一の「雑種文化論」、梅棹忠夫の「生態史観」です。
(p75より引用) 加藤の「雑種文化論」と梅棹の「生態史観」は大変異なる外観を示しているが、実際には似た主調音を鳴らしている。加藤が「日本文化の雑種性」は大衆の間では「楽しまれている」といって、知識人の「意見」ではなく一般民衆の「生活実感」を肯定的に評価しているのと同じく、梅棹も「よりよい暮らし」を尺度に「平行文化」を説くのである。
この二人の論者はともに「日本文化」あるいは「日本文明」の積極的で肯定的な意味を「生活実感」においており、イデオロギーや思想には求めてはいない。「和洋折衷」でも何でも日本の現在が享受する「文明」生活の「よさ」を評価するのである。
この見方は、1950年代後半の日本経済の拡大期において、「日本の自信回復」を後押しするものでした。
「日本文化論」の変容―戦後日本の文化とアイデンティティー 価格:¥ 620(税込) 発売日:1999-04 |
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