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将来(さき)への想い

2006-07-30 16:34:44 | 本と雑誌

(明治大正史(世相篇)(柳田 國男))

 柳田氏は、明治大正期においても、現代的な視点で女性の社会的立場に注目していました。
 女性も男性と同じく職業をもち、対等の立場で相協力して社会的生活をおくるべきと考えていました。

(下p131より引用) 若い女性の職業意識は一段と目覚めてきた。専門学校生徒や女学校上級生が夏休みを利用して、何か仕事をしてみようという気風もようやく盛んになってきた。学校が婚姻の便宜を与え、ただ女大学式の良妻賢母を目的とした時代から見ると、その間の移り変わりは少しずつではあったろうが、今に至れば大いなる変遷といわねばならぬ。かくて・・・男女は共に世の仕事に当たり、愉快なる成果を挙げうる日も近き将来にあるであろう。・・・自主と協力の喜びがわれわれを訪るる時、われわれは必ずや幸福になるであろうと信ずるのである。

 また、明治大正期の男性は、柳田氏の目から見ると甚だ心もとない様子だったようです。
 このような言い方で、女性への期待を表明しています。

(下p218より引用) 男は実際にみなあせっている。微細な人情の変化までに気づかぬほど情が荒び、もしくは、わざとそんなことは大まかに論じようとしている。政治の直接にわれわれの家庭と交渉する部分を、婦人の団体の考察に任せるはよいことである。

 こういった、旧態に拘らず先の進歩・改善を善しとする気概は、この著作のあちらこちらで認められます。

(下p88より引用) われわれの生活方法には必ずしも深思熟慮して、採択したということができぬものが多い。それに隠れたる疾があるとしても、すこしでも不思議なことはない。問題はいかにすればはやくこれに心付いて、少しでも早く健全のほうに向かいうるかである。これを人間の知術の外に見棄てることは、現在の程度ではまだあまりに性急である。

 本書は民俗学の名著のひとつとされているようです。
 この本には、明治大正期もしくはそれ以前の社会の実態・実情を民衆の情動との関わりの中で明らかにすることにより、それをもって将来への礎としようという柳田氏の強い想いがこめられているのだと思います。

(下p219より引用) 改革は期して待つべきである。一番大きな誤解は人間の痴愚軽慮、それに原因をもつ闘諍と窮苦とが、偶然であって防止できぬもののごとく、考えられていることではないかと思う。それは前代以来のまだ立証せられざる当て推量であった。われわれの考えてみた幾つかの世相は、人を不幸にする原因の社会にあることを教えた。すなわちわれわれは公民として病みかつ貧しいのであった。

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