とても話題になった本です。いつもの図書館に予約して、ようやく1年経って手に取ることができました。
本書に登場するメインキャストは、イギリス在住の著者みかこさんと息子さん。
その息子さんの中学校生活を舞台に、様々なエピソードや今のイギリス社会の実情がリアルに描き出されていきます。
たとえば、保守党政権下の緊縮財政の影響をストレートに被った低所得者層の学校生活の実態。
(p106より引用) 教育機関が市の福祉課の仕事を兼任しなくてはならない状況はおかしい。「小さな政府」という言葉を政治について議論する人々はよく使う。が、現実問題として政府があまりに小さくなると、「恵まれない人に同情するならあなたがお金を出しなさい。そうしないのなら見捨てて、そのことに対する罪悪感とともに生きていきなさい」みたいな、福祉までもが自己責任で各自それぞれやりなさいという状況になるのだ。
そういった厳しい現実の中で、悩みながらも自分の頭で懸命に考えて成長していく著者の息子さんの姿は、とても好ましく素直に応援したくなりますね。
評判どおり、刺激的で考えさせられる興味深い内容の良書だと思います。
さて、本書の舞台はみかこさんたちが日頃暮らしているイギリスが中心ですが、時折の里帰りで顔を出す日本での経験も紹介されています。
福岡の実家そばの料理屋さんでのエピソードです。
(p160より引用) 「あの人、何て言ってたの?」
座敷に戻ってきて座った息子がわたしに聞いた。
「息子さんには、訳して聞かせんほうがよかですよ」
と大将が言った。
「あげなことが日本の嫌な思い出になるのはいかん」
大将の言葉に親父も黙って頷いている。
「母ちゃんたちにもあの人が何を言ってるかわからなかったよ。酔って呂律が回ってなかったから」
わたしは微笑んで息子に言った。
PM2.5が飛んでいることより、日本経済が中国に抜かれることより、自分が生まれた国の人が言った言葉を息子に訳してあげられないことのほうが、わたしにはよっぽど悲しかった。
謂れのない差別意識は、いまだに残っているのです。とても情けなく残念ですが、何とかして拭い去らねばなりません。“当たり前”と感じるものがそもそも違うんですね。“(何かが)同じであること” は、そんなに大切なことなのでしょうか。背丈も体重も声も癖も、まったく同じ人などいないのに・・・。
“当たり前”という「意識」はどんなプロセスで作られるのか、そこが変わらないと、いったん染みついた“当たり前”を変えるのはなかなか大変です。