たまたま通勤電車の中で読む文庫本が切れたので、家の本棚の奥から出してきた本です。
今から30年近く前のものですが、チェルノブイリ原発事故をはじめとして、取り上げられているテーマには今に通じるものが数多くあります。
(p349より引用) 時代が変わるといっても、根底に流れるものの多くは、先行する時代に徴候を見せていたり顕在化していたりするものである。その意味で、日々の出来事を時代の流れという時間軸のなかで分析し検証していくことは、そのまま来るべき時代を予見する眼を持つことにつながるものだと私は思う。
柳田氏のこの指摘は、まさに正鵠を得たものです。問題は、予見が可能だったにも関わらず、あるいは予見しながらも、何らそれが具体的教訓として活かせなかったことにあります。
いくつもの大事故の取材経験から柳田氏が語る「エラーの本質」もまた、30年経っても不変です。
(p123より引用) 信頼性理論により高い安全性を約束されているはずの巨大技術システムが、次々に裏切られているのは、どうやら「エラーとは本質的にプリミティブ(原始的)な形で起こるものだ」という人間能力の本性を忘れているところに根本原因があるといえそうである。
大きな事故・災害が発生した後の、リカバリー・アフターケアに対する初動の遅れについても改善はみられていません。これは、従来から米国と比較して圧倒的に劣っている点です。
たとえば、1986年1月28日に発生したスペースシャトル・チャレンジャー事故の際の米国の様子を、柳田氏はこう紹介しています。
(p175より引用) ロサンゼルス・タイムズ紙(1月30日)は、ロサンゼルス教育委員会の「心理的危機援助チーム」が、事故発生の数時間後には、各学校に対し、予想される児童生徒の心理的障害とそれへの対応策に関する助言を通報していたことを伝えていた。・・・
一つの事件に対し、このように心理的癒しの活動と報道が広範に展開されるということは、やはり精神医学や心理学の発達しているアメリカならではの現象であって、日本では見られないことである。
30年前からみると今は「将来」です。ただ、この柳田氏の著作を読むと、30年という時間は、私たちの思想や社会生活に何の進歩・改善ももたらしていないと感じるところが数多くあります。
当時、石炭・鉄鋼・国鉄等で実施された大量人員整理も、現在では、電機産業に対象が移っただけですし、あのころから、著者は、企業におけるメンタルヘルスの問題を指摘していました。
(p294より引用) 大変動を余儀なくされている石炭・造船・鉄鋼の各企業の人事セクションは、いまこそ産業医と連携して、従業員のメンタルヘルス対策に力を入れるべきである。
反面、大きく変わったと明確に言えるものもあります。その代表例が、インターネット環境の普及によるメディア(情報流通媒体)の役割の質的変化です。
30年前、柳田氏は、メディアの中心に「テレビ」を位置づけ、その役割をこう指摘していました。
(p88より引用) 情報伝達のスピードアップは、人々の思考までをも加速する。かくてテレビはいま、新たな課題を背負ったことになる。それは、速報時点で避け難い情報の不完全さ、偏り、誤りなどを時間をかけて検証し、あらためて正確な詳報と分析をベースにした全容ドキュメンタリーを制作することによって、人々の思考により深く寄与してほしいということである。
「速報」と「詳報」といった役割を、どのメディアが果たしていくのか、この点については、これから先、まだまだ新たなメディアが登場するでしょうから、予測することはあまり意味がないように思います。しかしながら、「事実の伝達」と「結果の評価」という2つのミッションは、どんなメディアがその役割を担うにせよ、きちんと切り分けて、しかもバランスを取りながら琢磨されなくてはなりません。
事実の素顔 (文春文庫) 価格:¥ 448(税込) 発売日:1990-03 |