OMOI-KOMI - 我流の作法 -

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平常心(びょうじょうしん)

2005-11-09 01:23:23 | 本と雑誌

(兵法家伝書(柳生 宗矩)p55より引用) 僧古徳に問ふ、如何なるか是れ道。古徳答へて曰く、平常心是れ道。・・・何もなす事なき常の心にて、よろづをする時、よろづの事、難なくするするとゆく也。・・・一筋是ぞとて胸にをかば、道にあらず。胸に何事もなき人が道者也。・・・此平常心をもつて一切の事をなす人、是を名人と云ふ也。

 こうしたい、こうなりたいと強く思う気負った心を「汚染心」というのだそうです。心が汚染されている状態ではなす事は定まりません。汚染心のない状態、常の心の状態で物事にあたるのです。

 常の心は無心とも言います。しかし、ここで誤解をしてはいけません。単に何も考えずことにあたることを是としているわけではありません。

(兵法家伝書(柳生 宗矩)p58より引用) いつとなく功つもり、稽古かさなれば、はやよくせんとおもふ事そゝとのきて、何事をなすとも、おもはずして無心無念に成りて・・・此時我もしらず、心になす事なくして身手足がする時、十度は十度ながらはずれず。

 日頃の鍛錬の積み重ねの究極に平常心があるのです。

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