【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-31 田中河内介・その30 (寺田屋事件ー19)
【寺田屋の惨劇ー3】
いよいよ維新回天の魁となり、己が命を国家のために燃やし尽くせる時が来たと意気込んでいた志士に、突然訪れた予期せぬ無念の命の終焉。 事を挙げる寸前に命を絶たれた者の無念さは筆舌に尽し難い。 田中河内介と真木和泉守は、残った薩摩の志士連の説得に当るように頼まれた。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-30 田中河内介・その29 (寺田屋事件ー18)
【寺田屋の惨劇ー2】
造士舘党の激派の有馬・ 柴山・ 田中・ 橋口らは階下で上意討ちに会う。 二階から下りてきた志士たちも、不意打ちをくらう。 四、五分間の あっという間の惨劇である。
鎮撫使側の奈良原が刀を捨て、諸肌脱いで合掌しつつ二階へ上ってきた。 「 頼む! 止めてくれ! 上意だ! 」
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-29 田中河内介・その28 (寺田屋事件ー17)
【寺田屋の惨劇ー1】
上京した久光の考えは、あくまでも公武合体であり過激な事は好まない。文久二年四月二十三日(新暦 五月二十一日)、田中河内介一派や、薩摩藩激派、長州藩激派、全国の尊攘の志士たちが企てた京都義挙は、決行直前に島津久光のために挫折させられ寺田屋騒動となる。
今回は とうとう その惨劇の話をしなければならない時になった。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-28 田中河内介・その27 (寺田屋事件ー16)
【京坂間の往来-3】
ここでは、寺田屋騒動の惨劇に入る前に、当時の京坂間の交通を、主として京街道と淀川舟運の関係を中心に話して置こう。 此の京坂間の往来は幕末維新の動乱の舞台に度々登場して来る。 それらをより理解し易くする為にも少しは役立つだろう。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-27 田中河内介・その26 (寺田屋事件ー15)
【京坂間の往来-2】
ここでは、寺田屋騒動の惨劇に入る前に、当時の京坂間の交通を、主として三十石船を中心とする淀川舟運について、今少し詳しく話して置こう。 此の京坂間の往来は幕末維新の動乱の舞台に度々登場して来る。それらをより理解し易くする為にも少しは役立つだろう。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-26 田中河内介・その25 (寺田屋事件ー14)
【 京坂間の往来-1 】
寺田屋騒動の惨劇に入る前に、少しリラックスして、ここでは当時の京坂間の交通の大動脈であった淀川舟運と、その船着場などを中心に話して置こう。 此の京坂間の往来は幕末維新の動乱の舞台に度々登場して来る。 それらをより理解し易くする為にも少しは役立つと思う。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-25 田中河内介・その24 (寺田屋事件ー13)
志士たちは各集団ごとに伏見・寺田屋を目指して淀川を遡上する。
その後から志士たちの決起を知らせる急使を乗せた早籠二挺が、久光の居る京の薩摩藩邸を目指して京街道をまっしぐらに北上して行く。
挙兵直前の行き詰る駆け引きが淀川を舞台に展開される。緊張感と情報量の差が二つの運命を分つのか。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-24 田中河内介・その23 (寺田屋事件ー12)
いよいよ運命の四月二十三日である。 最初の討幕挙兵が始まる。 大坂逗留の志士達はそれぞれの計画通りに上洛を開始し寺田屋へ向かった。 京都では長州藩士を主体とする志士たちの準備も完了した。 だが、思わぬところに落とし穴があった。 甘さがあった。計画は露見して、その報は京都藩邸の島津久光のもとに達した。
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吉田松陰、 田中河内介、 真木和泉守
すごい先生たちー23
田中河内介・その22 (寺田屋事件ー11)
久光の真意にやっと気付いた志士たちは、自分達のみで先行蹶起する事を決め、挙兵日時を四月十八日夜と決めたが、京都薩摩藩邸の久光側近等からの妨害工作などにより、予定は遷延に次ぐ遷延を余儀なくされ、やっと最終的に二十三日夜決行と決定した。四月二十一日には、待ちに待った真木和泉守の一行も大坂に到着。二十二日には挙兵の全体計画が発表された。 . . . 本文を読む
吉田松陰、 田中河内介、 真木和泉守
すごい先生たち-22
田中河内介・その21 (寺田屋事件ー10)
【長州藩の薩藩対抗策】
久光の卒兵上洛を察知した長州藩は、その情報の中味を確かめるため八方手を尽した。来原と堀を薩摩にやったり、下関で薩摩藩士との接触を試みたり、下関に来た西郷自身からも直接に聞いたりした。 そして以下のような、種々の対抗策を実施した。
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吉田松陰、 田中河内介、 真木和泉守
すごい先生たち-21
田中河内介・その20 (寺田屋事件ー9)
【長州藩と志士団の連携】
今回の京都挙兵には、志士団や薩摩の尊攘激派と共に長州藩の大勢力も参加準備を進めているのだ!
本題に入る前に、長州藩内に松蔭門下の尊攘派が台頭してきた経過を簡単に見てみたい。
長州藩の雄藩への仲間入りは、他の雄藩より随分と遅く、長井雅楽の航海遠略策によって、やっと雄藩へと変貌をとげていくことになる。しかもそれは桜田門外の変以後のことである。
長州藩は他藩とは異なり、藩主の顔よりも藩士の顔がよく目立つ藩である。長州藩主はその折々の藩政の執行部の意見を入れた。
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吉田松陰、 田中河内介、 真木和泉守
すごい先生たち-20
田中河内介・その19 (寺田屋事件ー8)
【薩摩藩精忠組激派の大坂集結】
ここで、後に何かの参考にでもなると思うので、大坂に集結した薩摩藩精忠組の激派と、その計画に賛同した大坂残留組藩士の具体的な氏名(魚太組および大坂残留組)を挙げて整理しておく。 . . . 本文を読む
吉田松陰、 田中河内介、 真木和泉守
すごい先生たち-19
田中河内介・その18 (寺田屋事件ー7)
志士団の中に二つ目に起った問題は、久光追随派と清河の急進派との対立反目が出来たことである。
清河(三十三歳)は情況を把握するのに勘が鋭い。しかも行動派ときている。始めは久光公を盟主にして事を起そうとしたが、その後の薩摩藩の様子から、久光の真意を洞察して、これはおかしいぞ、久光公に期待は出来ないのではないか。早く見切りを付けて自分達のみで先に蹶起を急ぐべきだという考えを持ち始めていた。 . . . 本文を読む
吉田松陰、 田中河内介、 真木和泉守 すごい先生たち-18 田中河内介・その17 (寺田屋事件ー6)
その後の二十八番長屋
薩摩藩・小納戸役の大久保一蔵から、島津久光公の申し付けとして 「指示するまで大坂で静かに待つように」 と諭された志士団は、久光への随従上洛が出来ないことに不満を持ちながらも、その時まで二十八番長屋で待機せざるを得なかった。 その志士団に二つの事件が発生した。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-17
田中河内介・その16 (寺田屋事件ー5)
外史氏曰
なぜ西郷を厳しく罰したか!
久光は西郷は浪士たちを煽動して、彼らと共に立ち上がると思っていたことが一番の原因であるが、それ以外にもある。
西郷は安政の大獄以来の幕府のお尋ね者である。 藩では西郷は死亡したとして届けてある。 藩は奄美に流していたその西郷を、活用 . . . 本文を読む