日本国家の歩み 


 外史氏曰

   すばらしき若者たち
 
   祖国日本の行く末

  

ものすごい先生たちー26 ( 京坂間の往来-1  ・淀川舟運、船着場 )

2008-05-19 01:28:02 | 幕末維新
                    八軒家船着場 明治初期

吉田松陰、 田中河内介、 真木和泉守

すごい先生たち-26

田中河内介・その25 (寺田屋事件ー14)


外史氏曰

淀川舟運・船着場

  京の伏見から八軒家(はちけんや) まで約五十キロメートルある。 淀川を上下したのは三十石船(さんじっこくぶね) と呼ばれた過書船( 関所通過の許可書をもつ船  )で、 大坂から京にむかう船の発着場はいくつかあったが、最も有名なのが八軒家(はちけんや) であった。八軒家( 京阪天満橋駅近く ) は、人と物資があふれ川辺には飲食店、宿屋が軒を連ねていた。 ( 当時の八軒家は寝屋川と大川の合流点で 川幅も現在より南側に随分と広かった。 現在の大川と寝屋川の合流点は、当時より少し大川を遡った場所である )

  京坂間の移動には、この三十石船と呼ばれる乗合船が活躍した。 米三十石が積載可能であるために、この名がある。 大坂を出た三十石船は、大川( 淀川 )を遡り、淀城北側から宇治川に入って伏見の京橋北詰に着岸する ( 京都市伏見区南浜町あたり、船宿の寺田屋はすぐ近くにある )。 伏見の船着場は四ケ所あり、観月橋近くの平戸橋・京橋・蓬莱橋と阿波橋があった。 伏見から京へは伏見街道や竹田街道などの陸路が用いられた。

               つづく 次回

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