吉田松陰、 田中河内介、 真木和泉守
すごい先生たち-83 田中河内介・その82
【 清河八郎の事ー27 】
十五歳は古来より立志の歳である。 この年に八郎は、「 江戸に出て学問を身につけ、天下に大名を立てたい 」 という宿志を始めて綴った。 弘化三年、十七歳の時、藤本鉄石が来訪して、楽水楼に一ヶ月ほど滞在した。 この鉄石の来訪は その後の八郎の人生に多大の影響を与えた。 その翌年、八郎は宿志を達成するため、父母の反対を押し切って家出、江戸に走った。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-82 田中河内介・その81
【 清河八郎の事ー26 】
不思議に思うことがある。 山岡鉄舟は幕臣である。 それが倒幕を叫ぶ清河八郎と、何故これほどまでに深い絆で結ばれていたのか。 しかも清河暗殺後も 山岡は清河の事に心を尽している。 これほどまでに 山岡に信頼された清河八郎とは、如何なる人物なのか。 興味を覚える事である。また何故 出羽国庄内の清川村に八郎のような人物が出たのか。 それを考えるためにも、まず 彼の人間形成期の事から話して置きたい。
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吉田松陰、 田中河内介、 真木和泉守
すごい先生たち-81 田中河内介・その80 (寺田屋事件ー69)
【 清河八郎の事ー25 】
( 清河八郎の暗殺ー4 )
清河八郎の暗殺により、横浜焼討ち計画と小栗上野介邸焼討ち計画はともに挫折、攘夷を目指した浪士組は新徴組と名をかえて、江戸市中見廻りの庄内藩にご委任となり、全く内容の異なったものとなってしまった。 一方、八郎の精神を汲んで尊攘の志を抱ける者は、幕府の配下に入るのを拒否、前後脱走して、志士としてそれぞれ幕末動乱の中に身を投じていった。 一方、清河を暗殺した者は、いずれもその終りを全う出来なかった。
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