【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-80 田中河内介・その79 (寺田屋事件ー68)
【 清河八郎の事ー24 】
( 清河八郎の暗殺ー3 ) ( 一之橋暗殺一条ー下 )
清河八郎の凶変を知った石坂周造は、直ちに暗殺現場に走り、八郎の首を斬り落とすと、それを持って一目散に駈け出し、山岡鉄舟宅に飛び込んだ。 山岡はその首を酒樽につめて床下に埋めたが、夏になって悪臭がするので庭の隅に移した。 その後 山岡鉄舟は、それを伝通院境内に葬り、私費を以て八郎の墓を建て、その側に前年獄死したお蓮の墓をも建ててやった。 墓碑名は共に山岡鉄舟の筆である。
. . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-79 田中河内介・その78 (寺田屋事件ー67)
【 清河八郎の事ー23 】
( 清河八郎の暗殺ー2 ) (一之橋暗殺一条ー上)
八郎はその最期の日、まだ風邪は治っていない。 しかも周囲の諫止を振り切って、金子よりの迎えの駕籠に乗り、麻布一之橋の上山藩邸内の金子宅に唯一人で出かけた。 夕暮れまでの滞在中、金子からは手厚いもてなしを受けた。
帰途には駕籠の用意はなかった。 金子宅を辞した八郎は徒歩にて帰る。 ほろ酔い気分で麻布一之橋を渡りきった直後、佐々木只三郎以下六名の旗本たちにより暗殺された。
. . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-78 田中河内介・その77 (寺田屋事件ー66)
【 清河八郎の事ー22 】
( 清河八郎の暗殺ー1 )
老中の小笠原長行(ながみち) ( 図書頭 ) から八郎暗殺の密旨を受けた 上山藩士金子与三郎は、同じく八郎暗殺の命を受けている速見又四郎・佐々木只三郎・高久(たかく)安次郎等と連絡をとり合い、ここに綿密な騙まし討ち計画が立案された。 清河へ金子から自邸への招待状が届き、八郎は危険と重々知りつつも、その招待に応じた。
. . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-77 田中河内介・その76 (寺田屋事件ー65)
【 清河八郎の事ー21 】
浪士組は鷹司関白の達文により帰府したが、幕府には攘夷決行の意志など全くなかった。 それどころか 帰府して三日目の 四月一日、幕府はイギリスの要求どおり、謝罪状も出そう、償金十万ポンドも払おうと言う。 これでは表面に攘夷の詔勅を奉戴するも、裏面では裏切りを計っていることになる。
朝廷の信頼を裏切ることは出来ないと思った八郎は、ここにおいて断然幕府と手を絶ち 独立大挙し 横浜異人街を焼き討ちする計画を立てた。 この計画は着々と進んだが、幕府の八郎暗殺計画も 忍び寄っていた。
. . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-76 田中河内介・その75 (寺田屋事件ー64)
【 清河八郎の事ー20 】
二百二十余年ぶりに行われた 【 将軍上洛 】 に関して簡単にまとめた。
京都で家茂を迎えたのは、烈しい攘夷の嵐であった。 有志大名達も招かれたが、京都は無政府状態に近く、公武合体など望むべく情況ではなかった。
賀茂社への行幸もあり、それにより、孝明天皇は将軍をこえた政治君主であるかに見えた。 幕府は攘夷期限を五月十日と決定する事を奏上した。 家茂は六月九日、漸くにして京を退くことが出来た。
. . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-75 田中河内介・その74 (寺田屋事件ー63)
【 清河八郎の事ー19 】
浪士組は 関東に於て攘夷の先鋒を勤めるため、東下したい旨の上書を 学習院へ提出。 そして鷹司関白の達文により 攘夷のため 浪士組に江戸帰還が命令された。 三月四日、将軍家茂が上洛して二条城に入った。 近藤勇や芹沢鴨のグループなど22名は希望により京都に残留することになったが、 帰還組と残留組の対立から、清河八郎は近藤勇らに命を狙われることになった。 浪士組は、京都に居ること わずか二十日にして京都を離れた。 . . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-74 田中河内介・その73 (寺田屋事件ー62)
【 清河八郎の事ー18 】
清河は 浪士組の役人にも内密に、浪士中より弁舌と胆力の特に優れた腹心の同志六人を選び、学習院へ上書を奉呈させた。 幕府を経ないものは受理出来ないと拒否されたが、六人の命を掛けた決死の行動により上書はついに受理された。 しかも数日後、学習院より六人に御召があり、攘夷の勅諚まで賜った。 これは前代未聞のことである。 これで最早幕府の拘束を受けずに独立独行して攘夷が可能になる。 八郎は大いに喜び、即夜盛大な祝宴を開いた。
. . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-73 田中河内介・その72 (寺田屋事件ー61)
【 清河八郎の事ー17 】
二月四日、応募して来た浪士の中から 総数二百三十四名を選び、二月六日には浪士組の編成が成った。 さっそく 幕府は浪士組に、京都警衛の為に 至急上洛せよと命じた。
浪士組が京都に着いた二月二十三日の夜、八郎は一同に、今回上洛したのは、決して将軍家護衛の為でなく、一意尊皇攘夷の先鋒たらんが為である、依って一同の素志を天聴に達するため、御所に上書をするが、無論異存のある筈はなかろうと申し渡し、かねて用意した朝廷への上奏文を朗々と読み上げた。
. . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-72 田中河内介・その71 (寺田屋事件ー60)
【 清河八郎の事ー16 】
清河の大赦運動は成功し、八郎は幕府の指図にしたがい、麻裃(あさかみしも)に威儀を正し、庄内藩江戸留守居役 付添にて、町奉行所に出頭し、無礼人斬殺の旨を届出で、奉行からその場で公然赦免になり、同時に浪人取扱に引き渡されることになった。
全国指名手配の極悪犯人が、青天白日の身となり、一躍、文武兼備、尽忠報国の英士となった。
. . . 本文を読む