明治十四年に東京上野で開かれた第二回内国勧業博覧会に、五岳の書いた「熊本城下作」の書が、上人が知らないうちに出品され、上人は作詩賞を得た。 この事で五岳は画家以外に、漢詩人、また書家としてもその名が全国に知られ、三絶僧と呼ばれるようになった。 . . . 本文を読む
明治も初年の戊辰戦争から十年の西南戦争までの間は、国内各地に騒乱が頻発した。 そしてその最大のものが西南戦争であった。 明治九年十月、五岳は 鹿児島に向った。 この時、大久保利通から、西郷隆盛説得の内命を帯びていたと言われる。
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明治維新後、五岳上人は 新政府からの出仕要請に、次のような詩を示してそれを断わったと言う。
「 人世無事を貴ぶ、 名と功とを争わず。 鳥喬木(きょうぼく)に遷りて後、 幽谷も亦春風 」
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