【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
先生とその門人たち-119 田中河内介・その118
(出島物語ー30)
頼山陽の伝記の続きです。 山陽は、広島の父が病気がちなのを気にしていたが、広島には行きずらかった。 しかし、京都へ出て五年目、ついに意を決して行くことにした。 山陽は、この時から病没まで、生涯に十一回帰省する。 父春水はこれから二年後に亡くなり、山陽は足かけ三年間の喪に服する。
●●〔ちょっと一息〕●●
桜田門外の変の生き残り、増子金八の墓に行ってきました―(その4)
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
先生とその門人たち-118 田中河内介・その117
(出島物語ー29)
頼山陽の伝記の続きです。 山陽は、潤筆の旅で美濃大垣に遊んだ際、藩の侍医江馬蘭齋の長女多保(たお)に出会った。 多保は、山陽の門人になり、細香(さいこう)という号をもらった。 細香は、ひそかに山陽を慕い、山陽も細香を妻にしたいと考えていたが、この話は成就しなかった。
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桜田門外の変の生き残り、増子金八の墓に行ってきました―(その3)
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
先生とその門人たち-117 田中河内介・その116
(出島物語ー28)
頼山陽の伝記の続きです。山陽は、入京、開塾、自立の生活に入る。 しかし、藩侯に対する忠と、父母にたいする孝は、一生涯、片時も忘れることがありませんでした。
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桜田門外の変の生き残り、増子金八の墓 ( 茨城県 ) に 行ってきました。―(その2)
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
先生とその門人たち-116 田中河内介・その115
(出島物語ー27)
頼山陽の伝記の続きです。 神辺を発ち、大坂に着いた山陽は、篠崎三島父子の世話により入京。 蘭医・小石元瑞(げんずい) の骨折りで、開塾、自立の生活に入った。
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桜田門外の変の生き残り、増子金八の墓 ( 茨城県 ) に 行ってきました。―( その1 )
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
先生とその門人たち-115 田中河内介・その114
(出島物語ー26)
頼山陽の伝記の続きです。 広島を出た山陽は、菅茶山の塾で、塾頭として講義を担当していましたが、茶山から、自分の姪と結婚して夫婦養子になってほしいという話と、福山藩への仕官の話が出され、びっくり仰天。 修史の実現のためには、どうしても茶山塾を出て大都へ出ねばと、煩悶するのでした。 . . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】 先生とその門人たち-114 田中河内介・その113
(出島物語ー25)
頼山陽の伝記の続きです。 山陽は、二十六歳の春、やっと門外自由を公許され、藩学問所の助教に挙げられました。 しかし、これでは修史の夢は不可能となります。 どうしても、広島の藩地を離れなければならないと、日々悩んでいましたが、やがて管茶山から朗報が寄せられました。
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伏見奉行所趾 ( 京都市 ) を 訪れました。 . . . 本文を読む