【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-60 田中河内介・その59 (寺田屋事件ー48)
【 生麦事件ー16・最終回 】
(薩英戦争・最終回)
薩摩藩の生麦事件も長州藩の攘夷戦も、一種の暴発から始まったものであるが、結果的には、薩長の暴発が、幕末の行き詰まりを打開する突破口を開き、その後の歴史の展開を大きくプラス側に導いたともいえる。 暴発、またよく前途を開くとも言うべきか。
幕府は卑屈な外交を展開したが、薩長には西欧列強と堂々と渡り合う気概があった。 この気概の差が幕末の政局の展開に 決定的な影響を与えた。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-59 田中河内介・その58 (寺田屋事件ー47)
【 生麦事件ー15 】
(薩英戦争)
【薩英開戦】
戦いは七月二日の正午から、翌日三日まで続き、薩摩藩は汽船と全砲台のほか、近代工場を備えた藩の集成館を破壊され、工場の生産能力を失い、また上町の大部分が焼失した。 薩英戦争は双方とも多大な損害を出して終結した。
薩英戦争も生麦事件から始まり、長州藩の攘夷戦も、下関に於ける一種の暴発から始まったものであるが、結果的には、ともにその気概が、その後の歴史の展開を大きくプラス側に導いたともいえる。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-58 田中河内介・その57 (寺田屋事件ー46)
【 生麦事件ー14 】
(薩英戦争)
【薩英開戦】
交渉決裂の中で、七月二日、キューパー中将は突然湾内に停泊中の薩摩の三汽船の捕獲
を命じた。 正午、折からの台風の嵐の中、薩摩側の八十数門の大砲が火を吹いた。 海・陸両面より砲撃が開始され、ここに薩英戦争が始まった。
旗艦ユアライアルス号に数個の砲弾が命中した。 艦長ジョスリング、副長ウィルモットを含めて九人が戦死した。 薩軍にとっては大戦果であったが、薩摩の砲台は壊滅した。 鹿児島の町も上町が焼けた。 薩摩の誇る集成館も、ほとんど灰になってしまった。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-57 田中河内介・その56 (寺田屋事件ー45)
【 生麦事件ー13 】
(薩英戦争)
六月二十八日、英国艦隊は前の浜に停泊し、鹿児島の町に向けて砲門をそろえた。
これに対して薩摩側は、イギリス軍艦七隻を奪取し、イギリス兵士を全滅させる計画を密かに練った。 久光は、その為の具体策と人選を、生麦事件の当事者である奈良原喜左衛門と有村武次(海江田信義)に全てまかせた。 いよいよ有名なスイカ売り決死隊の作戦が始まった。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-56 田中河内介・その55 (寺田屋事件ー44)
【 生麦事件ー12 】
(薩英戦争)
生麦事件に対して、幕府は賠償を支払ったが薩摩は承知しなかった。 幕府に薩摩を説得する力がないと判断したニールは、薩摩との直接交渉を目指し 艦隊を鹿児島へ派遣、 艦隊は六月二十七日、午後、鹿児島湾口に達し、午後七時頃 「 七ツ島岩 」 ( 鹿児島より三里、谷山郷平川村 ) 付近に投錨、そこで第一夜を過した。
翌六月二十八日、艦隊は湾内を単縦陣で進み、八時頃 前の浜の正面に砲門をそろえ、単縦陣のまま錨を投じた。 ちょうど鹿児島の町から約一一〇〇メートルの位置である。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-55 田中河内介・その54 (寺田屋事件ー43)
【 生麦事件ー11 】
(薩英戦争)
幕府が生麦事件の賠償金をイギリスに支払った 文久三年五月九日の翌日、五月十日( 正確には十一日未明 )、長州藩は下関海峡で外国船への砲撃を開始した。 そして、六月二十二日、七隻のイギリス艦隊が横浜を出航して鹿児島に向かった時には、長州藩はすでに五度にわたる外国船との交戦を経験し、攘夷戦の只中にあった。 薩英戦争の火ぶたが切られる前に、その 【 長州藩の攘夷戦 】 に関してその概略をまとめて置く。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-54 田中河内介・その53 (寺田屋事件ー42)
【 生麦事件ー10 】
イギリスの東洋侵略(下)
薩英戦争の本番の話に入る前に、まず、それに至る時代背景、列強、特にイギリスの東洋進出の経緯と、それに対する幕府や薩摩藩などの対応を、 【 幕府の天保の改革 】 と 【 島津斉彬の藩政改革 】 などを中心として簡単にまとめておこう。 . . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-53 田中河内介・その52 (寺田屋事件ー41)
【 生麦事件ー9 】
イギリスの東洋侵略(中)
薩英戦争の本番の話に入る前に、まず、それに至る時代背景、列強、特にイギリスによる 【 大津浜事件 】、 【 宝島事件 】 などの概略と、それに対する幕府や薩摩藩などの対応を中心として簡単にまとめておこう。 . . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-52 田中河内介・その51 (寺田屋事件ー40)
【 生麦事件ー8 】
イギリスの東洋侵略(上)
薩英戦争の本番の話に入る前に、まず、それに至る時代背景、列強、特に 【 イギリスの東洋進出の経緯 】 と、日本での 【 フエートン号事件 】、 それに対する幕府や 【 佐賀藩の対応 】 を中心として簡単にまとめておこう。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-51 田中河内介・その50 (寺田屋事件ー39)
【 生麦事件-7 】
この事件の賠償金として、幕府はイギリスに十万ポンドを支払ったが、薩摩は謝罪と賠償金の支払を承知しなかった。 外様大藩を押えることが出来ない幕府は、その力の衰退をまざまざと見せ付けることになった。 謝罪要求を撥ね付けた薩摩藩に対して、英国代理公使ニールは薩摩との直接交渉を選択し、キューパー提督率いる七隻のイギリス艦隊を鹿児島に回航させることにした。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】 すごい先生たち-50 田中河内介・その49 (寺田屋事件ー38)
【 生麦事件-6 】
生麦事件の当事者、海江田武次と奈良原喜左衛門に関して、その兄弟も含めて簡単に説明しておく。 二人は以前の寺田屋事件の時といい、この生麦事件の時といい、これからの薩英戦争の時といい、よく同一行動をとっている。 また、幕末の風雲の中で大きな事件に巻き込まれた彼らの兄弟たちは、機運の大きな違いでそれぞれが大変に異なる運命を辿ることになる。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-49 田中河内介・その48 (寺田屋事件ー37)
【 生麦事件-5 】
四人の外国人にとっては、本来楽しいはずの遠乗りが、たまたま武を誇り、外国人を軽蔑する気風の強い薩摩の行列と出会ったばかりに、悲劇に終わったのであるが、原因は一概にそれだけではなかった。
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【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
すごい先生たち-48 田中河内介・その47 (寺田屋事件ー36)
【 生麦事件ー4 】
血みどろになったマーシャルとクラークは東海道に近い神奈川、本覚寺のアメリカ領事館に救いを求めた。 ボロデール夫人は、横浜外人居留地に逃げ込むと、あえぎながら神奈川の四マイル先で、大名行列のサムライたちに襲われたといった。
居留地は仲間が殺された最初の事件だったので大騒ぎになり、馬や銃を持っている各国の住民達は集結すると、直ちに陸と海より神奈川へと向かった。
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