日本国家の歩み 


 外史氏曰

   すばらしき若者たち
 
   祖国日本の行く末

  

ものすごい先生たちー31 ( 寺田屋の惨劇ー3 )

2008-05-28 01:31:12 | 幕末維新
                       2008.5.21 寺田屋


吉田松陰、 田中河内介、 真木和泉守

すごい先生たち-31

田中河内介・その30 (寺田屋事件ー19)


外史氏曰

【寺田屋の惨劇ー3】

 寺田屋一階の一番奥座敷にいた真木和泉守は、遅れて到着した田中河内介をまじえ、一党の者達と晩餐の膳に向い、成功を祈りまた永訣の意を遇して、お神酒を酌み交わした。
 晩餐も終り、出陣の準備もすっかり終った。

 その時店先の方で、ただならぬ騒動が生じた様子で、やがて怒号と斬り合う刃の音が聞えてきた。

 門弟に命じて窺わせると、

 「 どうも、薩摩人同士の喧嘩のようです 」
 という報告である。

 とっさに、これといった対応の方策も思い付かぬまま、息をひそめてじっと成行きをうかがうと、数人が乱闘している。  白刃を閃かし、撃って火を発し、恰も電光の激するようであった。  間もなくしてその乱闘は終わったようだ。


店先の方を覗いていた原道太が小声で、

 「 誰か、人が這ってくる 」  と言う。

 真木らが抱き起こして見ると、先に道島五郎兵衛の一撃に倒れた薩摩藩世話人の田中謙助である。  謙助は漸く蘇生してここまで来ているのであった。

 「 謙助君ではないか、如何したのだ 」  和泉守は訊ねた。

 田中は身を起こそうとしてもがきつつ、「 刀を貸せ、刀を貸せ 」 と言った。

 「 何者にやられたのだ 」

 「 いや、気遣い給うな 」

  田中は眉間を斬られて見るも無残な有様で、気息奄々たる状態である。 原道太らは、これを介抱し、傷を包帯し、水よ、薬よと与えた。

 またしても新たに斬り合いの聲が起こり、暫くしてまた止んだ。


 やがて鎮撫使の一人奈良原喜八郎が、裏座敷にやって来て、

 「 田中河内介殿にお会いしたい 」 と言った。

 奈良原がここに来たのは、二階の諸士たちが、なかなか決心しないので、河内介に 久光の志のあるところを告げ、二階の諸士と共に、錦邸に伴う為であった。


  河内介は独り、店先の別室へと伴われた。

しばらくして河内介が、

 「 真木殿! 真木殿も来られよ! 」  と呼ぶ、

  和泉守が店先の板の間へ着いてみると、死骸や重傷者が転がっており、流れた血糊で足が滑り、座る所も無い。

  別室では 河内介らが会談中で、奈良原は和泉守を迎えて 乱闘の経緯を説明し、「 有馬たちは上意討ちしたが、他の者へは敵意はない。 久光公も御身等と御同意だから、錦小路の屋敷へ参られて、久光公へ決起の趣旨をよく話し、ご意見を陳べられ、明晩でも改めて 実行されるのがよい。 又二階の者共が久光公の御前に行こうとしないので困っている。 貴殿より今晩のところは思い止まって 京都の薩邸へ参るように説得してほしい 」 と言葉巧みに懇請した。

 和泉守は固より久光の同意なんか信じていない。  しかし、今や薩藩激派の巨魁の悉くが斃れてしまい、義挙策は頓挫してしまった。  そこで和泉守は 已むを得ず奈良原の言を承諾した。


 田中河内介と真木和泉守が 二階へ上って見ると、一同はただ黙然と座っている。 ほんの少し前までは、鎮撫使らを討ち止めんと、佐土原の富田・池上らは殊更に槍をしごいて、

 「 回天! 回天! 」 と叫び、

殺気立っていたのに、今はすっかり意気消沈して、先刻までの勢いは 更に感じられない。

 「 諸君! お鎮まり下され。 予は真木和泉守で御座る。 少しお話致したき事が御座る。 お聴きくださるよう! 」

 諸士は和泉守の言に耳を傾けた。

 「 今 奈良原氏より承れば、今宵の義挙は久光公も御同意ということだ。  けれども今晩は 時刻が後れて致し方もあるまい。  故に諸君は一度錦小路の藩邸に行き、久光公にお詫いたされ。 攻略のことは公に聴いて、明日を待って 御相談致されては如何であろう 」  と、懇ろに諭すと、敢て反論する者もなく、初めてその言に従うことになった。

                       つづく 次回

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