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2008.5.21 (旧暦 4.23 寺田屋事件の日は 新暦では 5.21にあたる) の寺田屋写真
吉田松陰、 田中河内介、 真木和泉守
すごい先生たち-29
田中河内介・その28 (寺田屋事件ー17)
外史氏曰
寺田屋の惨劇-1
京都錦小路の藩邸を出た九名の鎮撫使は 二手に分かれて寺田屋に向かった。
伏見街道を進む奈良原喜八郎( 後の繁、男爵 )、 道島五郎兵衛、 森岡善助( 後の昌純、日本郵船社長 )、 江夏(こが)仲左衛門ら四人と、
竹田街道を進む大山格之助( 後の綱良、鹿児島県令、西南戦争で刑死。五十三歳 )、 山口金之進( 戊辰戦争で戦死。三十八歳 )、 鈴木勇右衛門、 その子・昌之助、 上床源助ら五人である。
二組九名の鎮撫使が寺田屋へ到着したのは、午後十時頃で、奈良原組の方が少し早かった。 志士たちの準備はすっかり整い義挙に向けて出発直前であった。
寺田屋の主人伊助に奈良原が有馬新七への面会を申し込む。 伊助が手代を二階へやり新七に伝える。
橋口伝蔵の 「 有馬は いないと言え、面会したいというのは誰だ! 」 と大声で噛み付くような声が聞えたが、面会する気配は感じられない。
その声を聞きつけ、森岡と江夏が階段を登って二階の様子を窺うと、志士たちは今まさに出発の直前で雑踏を極めている。
二人は適々柴山を見付け、「 そこに居るのは愛次郎どん、我等は御身と田中・有馬・橋口(壮助)に会いに来た、階下の別室で話をしたい 」 と言った。
これを聞いて有馬はすぐに立ち、柴山・田中・橋口もそれに続いて立ち、階段を下りた。
有馬・柴山・田中・橋口らは 一階別室で奈良原らと会った。
奈良原が 「 久光公の使いで来た。 一緒に京の藩邸まで来て欲しい 」 と申し入れた。
久光公の朝廷献策の成功を説き、決起を思い留まるよう懇望、 且つ偽って 「 久光公も御身等と同説だから、一藩力を合わせて事を挙げなくてはならぬ、それまでは今回の決起は思い留まるよう 」 と力説した。
だが、有馬らも、もう後には引けない。
有馬は 「 青蓮院のお召しで出かける所である。 御用が済んだら参上する。 少し待ってくれ 」 と言った。
問答は再三繰り返されたが、一向に捗らなかった。
「 君命に背くのか。 背くのなら腹を切れ! 」
「 宮の御用が済むまで、切れない! 」
「 聞けないなら、上意討ちせよと、申しつかっているが、よいか! 」
「 仕方ない! 」
「 どうして、聴けないのか! 」と道島が怒鳴ると、
それまで黙って座っていた田中謙助が 突然喚(わめ) いた。 「 此の期に及んで、何で聴けるか! 」
その瞬間、道島が 「 上意! 」 と大声で叫ぶや、抜き打ちに謙助の眉間めがけて斬りつける。 額が割れ眼球が飛び出し、謙助は気絶して倒れた。
これより前、大山ら五人の組も到着し、彼等も亦 有馬ら造士舘派の四人を囲む席にあった。 その組の山口金之進は柴山愛次郎の背後にあったが、謙助の倒れると同時に、大喝一声、続いて柴山の背後から、やにわに右肩口へ切りつけ、返す刀で左肩口を斬り下げる。 薬丸流の大刀捌きに愛次郎の首が落ちた。
有馬新七は、これを見ると大いに怒り、忽ち大刀を抜いて道島に斬りかかった。
二人は闘うこと三四合。 互に浅手を負い、新七の刀が中段より折れた。 とっさに、新七は刀を捨てて五郎兵衛の手元に飛び込み 組み付き、そのままぐいぐいと壁際に押し付けた。
そこへ二階より橋口吉之丞(壮助の弟) が下りて来るのを見て、有馬は橋口へ、「 おいごと刺せ! 俺と五郎兵衛とを田楽刺しに刺殺せよ! 」 と怒鳴った。
二十歳になったばかりの吉之丞は、無我夢中に、有馬新七の背中めがけて刺し貫いた。 二人は共に串刺しにされ即死した。
現在も 伏見・寺田屋の壁は 当時の惨劇を語りかけてくる。
つづく 次回
吉田松陰、 田中河内介、 真木和泉守
すごい先生たち-29
田中河内介・その28 (寺田屋事件ー17)
外史氏曰
寺田屋の惨劇-1
京都錦小路の藩邸を出た九名の鎮撫使は 二手に分かれて寺田屋に向かった。
伏見街道を進む奈良原喜八郎( 後の繁、男爵 )、 道島五郎兵衛、 森岡善助( 後の昌純、日本郵船社長 )、 江夏(こが)仲左衛門ら四人と、
竹田街道を進む大山格之助( 後の綱良、鹿児島県令、西南戦争で刑死。五十三歳 )、 山口金之進( 戊辰戦争で戦死。三十八歳 )、 鈴木勇右衛門、 その子・昌之助、 上床源助ら五人である。
二組九名の鎮撫使が寺田屋へ到着したのは、午後十時頃で、奈良原組の方が少し早かった。 志士たちの準備はすっかり整い義挙に向けて出発直前であった。
寺田屋の主人伊助に奈良原が有馬新七への面会を申し込む。 伊助が手代を二階へやり新七に伝える。
橋口伝蔵の 「 有馬は いないと言え、面会したいというのは誰だ! 」 と大声で噛み付くような声が聞えたが、面会する気配は感じられない。
その声を聞きつけ、森岡と江夏が階段を登って二階の様子を窺うと、志士たちは今まさに出発の直前で雑踏を極めている。
二人は適々柴山を見付け、「 そこに居るのは愛次郎どん、我等は御身と田中・有馬・橋口(壮助)に会いに来た、階下の別室で話をしたい 」 と言った。
これを聞いて有馬はすぐに立ち、柴山・田中・橋口もそれに続いて立ち、階段を下りた。
有馬・柴山・田中・橋口らは 一階別室で奈良原らと会った。
奈良原が 「 久光公の使いで来た。 一緒に京の藩邸まで来て欲しい 」 と申し入れた。
久光公の朝廷献策の成功を説き、決起を思い留まるよう懇望、 且つ偽って 「 久光公も御身等と同説だから、一藩力を合わせて事を挙げなくてはならぬ、それまでは今回の決起は思い留まるよう 」 と力説した。
だが、有馬らも、もう後には引けない。
有馬は 「 青蓮院のお召しで出かける所である。 御用が済んだら参上する。 少し待ってくれ 」 と言った。
問答は再三繰り返されたが、一向に捗らなかった。
「 君命に背くのか。 背くのなら腹を切れ! 」
「 宮の御用が済むまで、切れない! 」
「 聞けないなら、上意討ちせよと、申しつかっているが、よいか! 」
「 仕方ない! 」
「 どうして、聴けないのか! 」と道島が怒鳴ると、
それまで黙って座っていた田中謙助が 突然喚(わめ) いた。 「 此の期に及んで、何で聴けるか! 」
その瞬間、道島が 「 上意! 」 と大声で叫ぶや、抜き打ちに謙助の眉間めがけて斬りつける。 額が割れ眼球が飛び出し、謙助は気絶して倒れた。
これより前、大山ら五人の組も到着し、彼等も亦 有馬ら造士舘派の四人を囲む席にあった。 その組の山口金之進は柴山愛次郎の背後にあったが、謙助の倒れると同時に、大喝一声、続いて柴山の背後から、やにわに右肩口へ切りつけ、返す刀で左肩口を斬り下げる。 薬丸流の大刀捌きに愛次郎の首が落ちた。
有馬新七は、これを見ると大いに怒り、忽ち大刀を抜いて道島に斬りかかった。
二人は闘うこと三四合。 互に浅手を負い、新七の刀が中段より折れた。 とっさに、新七は刀を捨てて五郎兵衛の手元に飛び込み 組み付き、そのままぐいぐいと壁際に押し付けた。
そこへ二階より橋口吉之丞(壮助の弟) が下りて来るのを見て、有馬は橋口へ、「 おいごと刺せ! 俺と五郎兵衛とを田楽刺しに刺殺せよ! 」 と怒鳴った。
二十歳になったばかりの吉之丞は、無我夢中に、有馬新七の背中めがけて刺し貫いた。 二人は共に串刺しにされ即死した。
現在も 伏見・寺田屋の壁は 当時の惨劇を語りかけてくる。
つづく 次回