日本国家の歩み 


 外史氏曰

   すばらしき若者たち
 
   祖国日本の行く末

  

ものすごい先生たちー71 ( 清河八郎  ・ 浪士組募集 の構想 認可 )

2008-08-27 17:21:22 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    すごい先生たち-71  田中河内介・その70    (寺田屋事件ー59)                                                  【 清河八郎の事ー15 】     慶永は松平主税助の 「 浪士を集めて一隊となし、粗暴な振舞いに走らせまいとする 」 献策を受けた。 それに続いて八郎の上書 「 急務三策 」 があった。 その上書中の 「 天下の英材を教育す 」 に示された案は、主税助の献策を具体的にするものであった。 この具体案を用いると、浪士を以て一隊を作るのも 左程難しいことではないであろう。  しかもこれを将軍の警衛として、京都の浪士に差し向ければ、彼らを制圧する事もできるし、浪士がいなくなるから 江戸は静かになるに違いない。 松平春嶽が浪士の一隊を作ることに賛成したのは、こういう結論に達したからである。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー70 ( 頼三樹三郎  ・ 『 絶命詩 』  余録ー2 )

2008-08-24 02:01:29 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    すごい先生たち-70  田中河内介・その69    (寺田屋事件ー58)                                                  【 清河八郎の事ー14 】        (頼三樹三郎 『 絶命詩 』 余録ー2)                        「 悪謀の四天王 」 の一人と見なされ、処刑された 頼三樹三郎の 有名な辞世の詩 『 獄中作 』 は、三樹の 『 絶命詩 』 として、大橋訥庵(とつあん) が、小塚原 回向院 の境内、三樹の墓碑裏面に 刻したものである。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー69 ( 頼三樹三郎  ・ 『 絶命詩 』  余録ー1、 梁川星巖 )

2008-08-23 19:12:28 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    すごい先生たち-69  田中河内介・その68    (寺田屋事件ー57)                                                  【 清河八郎の事ー13 】                                 安政の大獄で、井伊側から梁川星巖、梅田雲浜、頼三樹三郎、池内陶所(通称は大学)は、「悪謀の四天王」と見なされた。その四天王の最期はそれぞれに異なったものとなった。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー68 ( 吉田松陰  ・ 『 留魂録 』   余録 )

2008-08-21 13:20:01 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    すごい先生たち-68  田中河内介・その67    (寺田屋事件ー56)                                                  【 清河八郎の事ー12 】        (吉田松陰 『 留魂録 』 余録)                                身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂                               十月二十五日 二十一回猛士(もうし)                                        吉田松蔭が 処刑の二日前から書き始めた遺書 「 留魂録(りゅうこんろく) 」の冒頭である。 これは塾生などに宛てたもので、取り調べの様子や松蔭の気持ちが静かに語られている。 家族を思い、国の将来を考えて、冷静な気持ちで書かかれている。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー67 ( 千住小塚原ー下   ・ 橋本佐内、 頼三樹三郎、 吉田松陰 )

2008-08-20 01:31:24 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    すごい先生たち-67  田中河内介・その66    (寺田屋事件ー55)                                                  【 清河八郎の事ー11 】        (千住小塚原ー下)        安政の大獄で殺戮された人材のうち、最も惜しまれるのは、橋本佐内、頼三樹三郎、吉田松陰であろう。  三人とも江戸伝馬町獄舎内で斬刑に処せられ、遺体は千住小塚原回向院に葬られた。  小塚原との係わりをこの三人の最期の状況を例に述べて見よう。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー66 ( 千住小塚原 ー中  ・ 政治犯の埋葬 )

2008-08-19 15:52:54 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    すごい先生たち-66  田中河内介・その65    (寺田屋事件ー54)                                                  【 清河八郎の事ー10 】        (千住小塚原ー中)      小塚原回向院に埋葬された人びとの大半は重罪者の死骸である。しかし、幕末になると、多くの志士たちが政治犯としてここに葬られた。 何故幕末維新の志士たちはここに葬られるようになったのか。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー65 ( 千住小塚原ー上  ・回向院、刑場 )

2008-08-18 12:39:57 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    すごい先生たち-65  田中河内介・その64    (寺田屋事件ー53)                                                  【 清河八郎の事ー9 】        (千住小塚原ー上)      千住小塚原の刑場には 徳川幕府初期に開設されて 明治初年に廃止されるまでに、二十万人余がうち捨てられたといわれている。 また この地は、明和八年、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵等が 刑屍の腑分(ふわ) け ( 解剖 ) を見たことが契機となり、それが解体新書の大成に繋がったことでも有名である。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー64 ( 清河八郎  ・「急務三策」、大赦令と浪士募集の命 )

2008-08-14 20:57:01 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    すごい先生たち-64  田中河内介・その63    (寺田屋事件ー52)                                                  【 清河八郎の事ー8 】        八郎は松平慶永に再び上書した。 その建白書の冒頭に言う、  『 臣聞く 国家の将に興らんとするや、必ず大なる機会あり、 其の将に亡びんとするや、必ず此の機会を失う・・・・  機会は勢なり。  勢の至るは、至るの日に至るに非ず、必ずや漸積して然るのみ。  故に勢至るの日は、方に機会 既に極まるの時、一日之を失へば必ず他人の有となる、深く察せざる可からざるなり。   ・・・・故に敢(あえ) て當今の急務三事を陳ぶ。 』 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー63 ( 清河八郎  ・上書 大赦運動 )

2008-08-13 14:46:35 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    すごい先生たち-63  田中河内介・その62    (寺田屋事件ー51)                                                  【 清河八郎の事ー7 】         山岡と間崎は早速八郎の意を受けて、まず罪を国事に得た志士たちを大赦させようと動いた。 二人の努力もあって、情勢は次第に好転したが、まだ完全ではなかった。  江戸に出た八郎は山岡や松岡、間崎と打ち合わせを繰り返し、常人では考付かないような大きな策を決行することにした。 それは島津久光が実行した卒兵上洛、卒兵出府とよく似たことを江戸でやろうというのである。 八郎は再び松平慶永にあてた上書を執筆し、これを山岡・間崎に托し、自分は水戸に戻って吉報を待つことにした。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー62  ( 清河八郎  ・水戸から仙台へ、お蓮の死 )

2008-08-12 17:59:43 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    すごい先生たち-62  田中河内介・その61    (寺田屋事件ー50)                                                  【 清河八郎の事ー6 】         八郎の脳中からつねに離れることのない苦悩は、獄中にある同志のことであった。  かくて八郎は、幕府を動かして 罪を国事に得た志士たちを 大赦せしめねばならぬと考え、松平春嶽に上書した。 八郎が上書を書き始めた 閏八月の上旬、八郎の最愛の妻 お蓮が庄内藩の牢中で死んだ(毒殺されたといわれる)。二十四歳であった。 八郎の無礼人斬りに連座して、無実の罪で牢中に囚われていた蓮のことを思うと 八郎の心は張り裂けんばかりであった。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー61 ( 清河八郎の事ー5  ・江戸から水戸へ )

2008-08-10 14:20:48 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    すごい先生たち-61  田中河内介・その60    (寺田屋事件ー49)                                                  【 清河八郎の事ー5 】         寺田屋事件、勅使大原重徳の関東下向などが効を奏して、井伊直弼時代の派閥は一掃され、政局は一変、世の中は転換期に入った。 西国有志を糾合した京都義挙に失敗した清河八郎は、今度は東北有志の糾合による関東再挙を目指す。 それは常人では考えられない、とてつもなく大きな策の実行である。  藩の後ろ盾も、何の背景となる勢力もなしに、単身よく水戸・仙台・京都・九州を遊説して、多くの志士を動かし、かつ結びつけた力と情熱は凡人では到底不可能な事である。 . . . 本文を読む