日本国家の歩み 


 外史氏曰

   すばらしき若者たち
 
   祖国日本の行く末

  

ものすごい先生たちー135  ( 土佐の南学-8 ・明治維新の源流 )

2009-08-27 13:38:55 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-135   田中河内介・その134      ( 出島物語ー46 )                                                        山崎闇斎の門弟のうち、崎門の三傑と称せられたのは、浅見絅斎・佐藤剛斎・三宅尚斎で、中でも浅見絅斎が最も有力であった。 闇斎の門流は、その一部は水戸に仕えて大日本史の編修に協力し、またその主流は京都もしくは其の附近に在って、幕府に仕えず、諸侯に仕えず、困苦して学を講じ、以て王政復古の機会を待ちました。 闇斎の門人浅見絅斎、その門下若林強斎などです。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー134  ( 土佐の南学-7 ・山崎闇斎と 保科正之 )

2009-08-18 07:40:31 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-134   田中河内介・その133      ( 出島物語ー45 )                                                        会津の学風・士風の形成に大きな影響を与えた闇斎であったが、保科正之の死は人生の一つの転換点となった。 その後は、現実の政治的世界との関わりを断ち、京都に腰を据えて家で子弟に教授、学問・思索に専心、死までの九年間、ひたすら古典に沈潜して自らの思想を鍛え上げていった。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー133   ( 土佐の南学-6  ・山崎闇斎と 会津藩家訓15ヶ条 )

2009-08-06 11:06:29 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-133   田中河内介・その132      ( 出島物語ー44 )                                                        会津藩 「 家訓 」十五ヶ条に関する話。  先ず山崎闇斎がその草案を作り、正之の意見によって修正を加え、更に又闇斎の意見を徴するなど、反覆論議を繰り返して出来上がった。  会津藩では家訓を金科玉条として、二百年来、上下共に之を常に心に留め、且つ之を丁重に取り扱ったので、家訓の藩士の精神上に及ぼした影響は計り知れない程大きかった。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー132   ( 土佐の南学-5 ・山崎闇斎と会津士魂 )

2009-08-01 01:09:42 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-132   田中河内介・その131      ( 出島物語ー43 )                                                        山崎闇斎は、土佐で野中兼山らと共に南学を研究、京都に帰り学塾を開き、その門弟は六千といわれます。 四十八歳の時には、会津初代藩主 保科正之公に賓師として招聘され、会津藩の学問士風の形成に強い影響を与えました。 . . . 本文を読む