日本国家の歩み 


 外史氏曰

   すばらしき若者たち
 
   祖国日本の行く末

  

ものすごい先生たちー158  『水戸史学』掲載  「天領日田の一風景」 ・三絶僧・平野五岳と明治維新-4

2011-06-28 16:28:24 | 幕末維新
今回は 「幽谷もまた春風」(そろそろござれ後の連中)  です。  この [ 「天領日田の一風景」 ・三絶僧・平野五岳と明治維新 ] の シリーズの最終回です。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー157  『水戸史学』掲載  「天領日田の一風景」 ・三絶僧・平野五岳と明治維新-3

2011-06-28 01:16:52 | 幕末維新
今回は 「名と功とを争わず」 です。   主として、西南戦争から 明治十一年、大久保利通 暗殺までの期間である。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー156  『水戸史学』掲載  「天領日田の一風景」 ・三絶僧・平野五岳と明治維新-2

2011-06-27 16:50:14 | 幕末維新
今回は、「人世無事を尊ぶ」 です。 明治四年、五岳に内閣諸公から再三にわたり、中央政府への出仕要請が来た。 五岳はこれ等の厚意を辞退するのに、次の詩(原漢文) を用いたと言われている。      人世無事を貴ぶ、名と功とを争わず。 鳥喬木に遷りて後、幽谷も亦春風。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー155  『水戸史学』掲載  「天領日田の一風景」 ・三絶僧・平野五岳と明治維新-1

2011-06-26 17:12:42 | 幕末維新
水戸史学会発行、『水戸史学』 第七十四号(平成二十三年六月十五日発行)掲載。 『天領日田の一風景』―三絶僧・平野五岳と明治維新― を、四回のシリーズで載せます。 今回は、[生い立ち] と [勉学と修業] です。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー154  「 天領日田の一風景 ・2 」  三絶僧・平野五岳と明治維新-4

2011-03-30 17:41:09 | 幕末維新
明治十四年に東京上野で開かれた第二回内国勧業博覧会に、五岳の書いた「熊本城下作」の書が、上人が知らないうちに出品され、上人は作詩賞を得た。 この事で五岳は画家以外に、漢詩人、また書家としてもその名が全国に知られ、三絶僧と呼ばれるようになった。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー153  「 天領日田の一風景 ・2 」  三絶僧・平野五岳と明治維新-3

2011-03-23 23:48:34 | 幕末維新
明治も初年の戊辰戦争から十年の西南戦争までの間は、国内各地に騒乱が頻発した。 そしてその最大のものが西南戦争であった。 明治九年十月、五岳は 鹿児島に向った。 この時、大久保利通から、西郷隆盛説得の内命を帯びていたと言われる。     . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー152  「 天領日田の一風景 ・2 」  三絶僧・平野五岳と明治維新-2

2011-03-15 16:42:22 | 幕末維新
明治維新後、五岳上人は 新政府からの出仕要請に、次のような詩を示してそれを断わったと言う。   「 人世無事を貴ぶ、 名と功とを争わず。  鳥喬木(きょうぼく)に遷りて後、 幽谷も亦春風 」 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー151  「 天領日田の一風景 ・2 」  三絶僧・平野五岳と明治維新-1

2010-12-02 00:00:53 | 幕末維新
今回は 広瀬淡窓の門人で、詩・書・画に優れた「三絶僧」として有名な平野五岳( 五岳上人(ごがくしょうにん) )の話をします。  咸宜園からは多くの優れた人物が輩出した。 そして、その多くが 政治家・ 経世家・ 学者・ 教育者等 として明治の世に活躍したが、五岳上人は 新政府からの要請にもかかわらず、中央に出ることを拒み、一生を日田の地で過ごした。  まず、 「生い立ち」と 「勉学と修業」 から始めます。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー150 『日本』掲載 「天領日田の一風景・1」  広瀬淡窓と咸宜園ー3

2010-10-16 08:31:58 | 幕末維新
雑誌「日本」平成22年11月号に投稿した「 天領日田の一風景 」 (広瀬淡窓と咸宜園) を紹介します。   広瀬淡窓は 近世最大の私塾「咸宜園」を起し、多くの優れた門人を育成したが、一方では、「咸宜園」からは、幕末の動乱期に臨んで、国事に奔走する志士の輩出が無かったとも言われている。 ここでは その辺りの事も考慮しつつ 教育者淡窓と咸宜園 について考えてみたい。               今回は このシリーズの最終回で、 『 広瀬淡窓一代の抱負 』 と 『 心情の吐露 』 について考察します。 広瀬淡窓に対しての 新たな見方が生れます。   . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー149  『日本』掲載 「天領日田の一風景・1」  広瀬淡窓と咸宜園ー2

2010-10-14 16:26:39 | 幕末維新
雑誌 「 日本 」平成22年11月号に投稿した 「 天領日田の一風景 」 ( 広瀬淡窓と咸宜園 ) の内容を紹介します。    広瀬淡窓は 近世最大の私塾 「 咸宜園 」 を起し、多くの優れた門人を育成したことでよく知られているが、一方では、「 咸宜園 」 からは、幕末の動乱期に臨んで、国事に奔走する志士の輩出が無かったとも言われている。 ここでは その辺りの事も考慮しつつ 教育者淡窓と咸宜園 について考えてみたい。                                                                         今回は 『 何故 咸宜園からは、志士の輩出がなかったのか 』  を考察します。 少し難しそうな内容ですが、現在の社会にとって 非常に重要な内容が含まれていますので、時間の許す限り じっくりと 何度も読み返してください。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー148  『日本』掲載 「天領日田の一風景・1」  広瀬淡窓と咸宜園ー1

2010-10-12 09:21:30 | 幕末維新
雑誌 「日本」 ( 発行 (財)日本学協会 )平成22年11月号 に投稿した 「 天領日田の一風景 」 (広瀬淡窓と咸宜園) を、三回シリーズで紹介します。   広瀬淡窓は 近世最大の私塾「咸宜園」を起し、多くの優れた門人を育成したが、一方では、「咸宜園」からは、幕末の動乱期に臨んで、国事に奔走する志士の輩出が無かったとも言われている。 ここでは その辺りの事も考慮しつつ 教育者淡窓と咸宜園 について考えてみる。                                                                                 先ず今回は、『 広瀬淡窓とその土壌 』  および  『 咸宜園教育 』  に関しての話です。   . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー147  ( 土佐の南学ー20 ・ 梅田雲浜ー6 ・ペリー来航―上 ) 

2010-01-12 16:01:32 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-147   田中河内介・その146      ( 出島物語ー58 )                                                        ペリー率いる米艦隊が来航。 武力を背景にして我国に開国を迫った。 危惧していた外迫が現実のものとなり、 泰平を貪って来た幕府は周章狼狽、国内が騒然となり始める。 本格的な幕末の始まりです。 それはまた、梅田雲浜の尊攘運動時代の始まりともなります。 現在のアメリカの対日交渉は、幕末のペリー提督の対日交渉に似ている。 その意味でも、この時の ペリーの交渉を知る事は大事である。 その為、今回から数回、 ペリー艦隊来航時の状況について 簡単なまとめを行ないます。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー146  ( 土佐の南学ー19 ・ 梅田雲浜ー5 ・一乗寺村閑居 )

2009-12-29 15:29:16 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-146   田中河内介・その145      ( 出島物語ー57 )                                                        雲浜 一乗寺村閑居中の逸話の一つとして、雲浜の妻 信子(しんこ) さんの事に就いて、下田歌子が、『 婦人世界 』に、『 襦袢一枚で琴を弾じた婦人 』 と題して、登載しているので、その内容を紹介する。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー145  ( 土佐の南学ー18 ・ 梅田雲浜ー4 ・浪人儒者 )

2009-12-22 14:38:28 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-145   田中河内介・その144      ( 出島物語ー56 )                                                        西欧列強の東アジアへの進出が迫り来る。 国を憂いた雲浜が、主として海防力の強化に関して、藩に度々呈した上書は、藩の忌諱に触れ、雲浜は、士籍を剥奪され浪人儒者となった。 もちろん望楠軒講主の肩書きも無くなる。 一方、雲浜は貧困のため、高雄山、一乗寺村と 転居を繰り返す。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー144  ( 土佐の南学ー17 ・ 梅田雲浜ー3 ・藩主の招を拒絶 )

2009-12-08 17:32:37 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-144   田中河内介・その143      ( 出島物語ー55 )                                                        望楠軒講主となっても、相変わらず貧乏生活を続ける雲浜の許へ、藩主の招を伝えに一人の武士が訪ねて来た。 しかし、その武士の雲浜を見下した横柄な態度と口上に、雲浜はついに藩主の招を拒絶してしまった。 . . . 本文を読む