【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
先生とその門人たち-125 田中河内介・その124
(出島物語ー36)
当時、士風が退廃堕落していた薩摩藩が、どうして明治維新を主導出来るようになったのか。 それにはまず、戦国島津氏の話から始めるのが適当であろう。 戦乱と激動の時代を乗り越えたこの時代の当主の横顔はいずれも個性的である。
. . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
先生とその門人たち-124 田中河内介・その123
(出島物語ー35)
頼山陽の伝記の続きです。 昔から、薩摩は武の国として知られていたが、当時の鹿児島は、士風を一変させ、退廃堕落、若者も柔弱化していた。 山陽は薩摩風俗の激変に驚き、それを二つの詩で表現した。 「 前兵兒謡(ぜんへこのうた) 」 と 「 後兵兒謡(こうへこのうた) 」 である。
. . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
先生とその門人たち-123 田中河内介・その122
(出島物語ー34)
頼山陽の伝記の続きです。 熊本には四日間滞在し鹿児島に向った。 水俣では、徳富太蔵方に一泊。 分家の徳富美信と互に談笑した。 この美信の孫が後年、「 昭和の頼山陽 」 といわれた 徳富蘇峰であり、その弟が小説家の 徳富蘆花である。 . . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
先生とその門人たち-122 田中河内介・その121
(出島物語ー33)
頼山陽の伝記の続きです。 今回は、『 雲か山か呉か越か―下 』 として、 「 早崎瀬戸と イルカ 」 、 「 富岡の町と 頼山陽先生 」 の話をします。 . . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
先生とその門人たち-121 田中河内介・その120
(出島物語ー32)
頼山陽の伝記の続きです。 山陽は、茂木から肥後に向おうと船出したが、はげしい風波に襲われて橘湾の奥深くに漂着、千々石(ちぢわ) の天川屋(あまかわや)伍平(ごへい) 方に泊した。 翌日は、波静かで楽しい航海となった。 この時の茫々たる大海に船を浮べた感激を、詩にしたものが、かの有名な 「 天草洋に泊す 」 である。 . . . 本文を読む
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】
先生とその門人たち-120 田中河内介・その119
(出島物語ー31)
頼山陽の伝記の続きです。 父の三年忌を済ませた山陽は、九州遊歴に出かけた。 最大の目的は、長崎に行って異国の風物に接することであった。 長崎では、年に一度のオランダ船の入港に出会っている。 また、この西遊には、『 日本外史 』 の草稿を、大切に持って歩き、行く先々で校正している。 . . . 本文を読む