日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

21世紀になっても、この光景が!

2022-03-08 06:54:03 | 社会問題
ウクライナの様子を伝える映像が何とも生々しい。
なんで21世紀にもなっているのに、こんな武力侵攻がヨーロッパで現実に起こって、そして13日目にして、まだ停戦の手だてが見つからない。ウクライナ政府は当然だし、EU諸国もアメリカも専門家の英知が集結されているだろうに、この状況を止める名案に苦慮しているのは、「核兵器」の存在なのでしょう。

2000年にベルリンのブランデンブルグ門を訪れました。門の界隈に絵葉書スタンドがあって、記念にと数枚の絵葉書を買いました。白黒写真で第2次大戦で瓦礫が散乱しているベルリンの建造物などでした。
日本人が西洋の都市部を訪問すると、装飾を施された石造りの4階建て建築の街並みに圧倒されます。その私たちがイメージする西洋の大都市の街並みが、大戦で本当にこんなにも無残になったのか、を証明している写真でした。

そして今また、爆撃が繰り返されコンクリートの建物群の崩れ落ちた映像が毎日のニュースに流れます。
現在なのです。75年前に、もうこの惨劇は2度と起こしてはならないと誰もが思ったはずなのに、「また」のように思ってしまいます。
そして、ベルリンの街が瓦解して降伏した後に、私たちの国の二つの街に、これまであり得なかった「核爆弾を使用する」という惨劇が起こっています。今はその時の核爆弾の何十倍もの威力のある核兵器をいくつもの国が保有しています。
絶対にそれを使ってはならない、使わせてはならない。その大鉄則のもとで、どう停戦に進んでいくのか、英知の結集でよい着地点が見いだされることを願うばかりです。

第3回目の交渉で、人道回路が用意されたとのこと。避難用のバスがたくさん並んでいた画像を目にした。
ウクライナ政府は、国民にこのバスに乗るな、と指示したという。避難先はロシアやベラルーシのようだった。
咄嗟に思い出しました。
満州に駐留していた日本の兵隊が日本降伏後に帰国のための列車だと思って乗車したのが、シベリヤ行きだった、という父親の話。21世紀になっても20世紀と類することがあるものだとつくづく思いました。

戦闘の犠牲にならないで生き残ってほしい。
なんとか名案はないものでしょうか。



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