日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

84年頃のこと。

2007-04-03 08:17:25 | 私の雑感あれこれ
「申込んだのは私です。ありがとうございます。引き受けたいのですが、小さな子供がいますので、預かってくれる保育所を確保してから返事をしたいと思います」

それから、モチロン、必要に迫られての保育所探しの電話をかけた。
「今、働いていない私」「これから働く私」には、我が子を保育所に預けるハードルは高くて無理でした。
親も遠隔地、親戚もなく、ましてや、転勤族をやめて、はじめての土地に暮らし始めて1、2ヶ月しか経っていないから、知り合いもなく。
定住することになったから…、その気持ちが強くて、早々に3歳の子供を連れて、市の教育委員会に非常勤講師の申し込みをしてきていたのでした。
申込みして1週間後ぐらいの電話だったから、本当に反応があるのだと、うれしかったのだけれど、顛末は前述の通り。
その後は再度非常勤講師の電話はかかってこなかった。
これらのやり取りがあったのは、ずっと以前、84年のことです。
何かできないかと、末子を9月から幼稚園に入れて、資格取得の通信教育を受け始めたのもそのころです。
末子の通園仲間のお兄ちゃんの家庭教師をはじめたのは、その翌年から。
こうして辿ってくると、自分の過ごした1年1年のココロモチも思い出します。
ほぼフルタイムの仕事に入ったのは、末子が小学生になる4月からでした

昨今、「職場に託児所ができて…」と、ニュースで流れます。
「よかったね」
そう、ココロの中で声をかけている自分がいます。
少子化、少子化と叫ばれ続け、これは問題だと認識され始めたことで、やっと、役所や企業が、女性の思いへ心を配るようになったのだと思います。

「有能な女性を手放したくないから」
「企業も、女性を戦力として認めた」
きっと、そうなのですよ。皆さんかんばってくださいね。

新聞で、84年に始まった富良野塾があと3年で閉鎖という記事を読んで、私の1984年を思い出したものですから。
ここに、つれづれの記録として。


コメント (1)
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