日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

パステルと白墨

2006-07-20 07:42:17 | その他
パステルでの絵を描きはじめました。
あのドガが踊り子を描いたパステル、のハズです(画材が同じでも…、笑い)。
でも、初めてなのに、描いていて、昔懐かしい気持ちもするのです。
ほら、黒板につき物のチョーク。白墨。そして、色チョーク。あれの雰囲気です。
昔、白墨で絵を描いたものです。そして、生活の身近にあった炭でも描きました。
筆を使わず、手で描く、この気分が郷愁を誘うのでしょうか。
指先で、ちょっとぼかしを入れたりするのは、あの「ぬりえ」で、女の子の頬をほんのり染めるときの気分。
あー、思えば、よく描いたものです。
記憶のひとつ。
それは落書きです。釜戸のたきつけを入れる木箱(側面が1m×1.5mはあったでしょうか)に、白墨で描いたときの気分覚えています。
縄跳びをする女の子の絵。
幼い私は考えました。
…確かに縄を飛ぶときは、足がまっすぐじゃないはずだから…。
そう言うわけで、足はカーブしています。でもなんかカーブの具合が変なのに、確かに飛ぶとき、棒たちではおかしいと、年端もいかない私は、棒たちでない女の子を描いた自分に納得していました。
でも、カーブが変…なのです(笑い)。
昭和30年頃の台所の暗がりにあったその木箱の絵、誰も消すことも無く、小学校に進んでしばらくたつと、その「一生懸命描いたのに変な足」のなぞは解けて(今でも再現できます)、クスッと自分に笑いました。

油彩、水彩からパステルへ、なんか白墨に似て、先祖帰りしているようで、指の感触が懐かしいのです。
只今休眠中の「私のスケッチ帖」にパステル画も加えようと思います。


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梅雨の晴れ間に汗を流す。

2006-07-14 10:49:07 | その他
「雨季は植物を育む」って、実感です。庭が草ぼうぼう。狭い芝生にもにょきにょき雑草が目立っています。
早朝とはいかなかったのですが、先程まで1時間ほど、草むしり、芝刈り。
1輪の緋色の松葉ボタン、みーつけ。5株植えたのは1ヶ月ほど前。これからが彼らの季節。
紡錘型の葉っぱも梅雨時の水分と今日の日差しを受けて、四方に葉先を伸ばそうと元気です。
シャワーを浴びて、10時半。午前中はまだ残っています。
殆どの週日は仕事で自宅にいることがないものだから、天気が良くて、汗を流した後、まだ何かできる、この感覚好きです。
それでは。




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ダイエット中 第2弾

2006-07-14 08:18:43 | その他
一里塚として、書いたのが6月28日。ここに2回目の印として。
ダイエット初めて、後数日で1ヶ月、現在マイナス3キロ。
あと、ふたターム(6キロ)ほどの減量が目標だから、なかなか先は遠いのですが、この夏中には実現したい、…その予定です。
この1ヶ月で判ったこと。
なんといっても、「今まで、いかに飽食していたのか」ということ。こんなに意識していてやっと、減り始めるのだから。
「成人の必要カロリーは2400キロカロリー」と覚えたのは遠い昔、中学生の頃。
その後、小学4、5年生の方が成人女性よりも、沢山カロリーを必要とする(すなわち、小学4、5年生よりも、摂取カロリーが少なくていい)、と聞いたのは30代の頃。

ところがところが、2400摂取路線を維持していたことになります。
生活習慣病コースから路線変更するためにも、覚醒の意味をこめて、お馬鹿な話題をブログに公開。


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絵を描いてきた自分に 

2006-07-04 21:29:17 | その他
6月の1ヶ月間、喫茶店で絵を展示していました。5月になって、急遽誘われたグループ展。私が出したのは水彩スケッチ4点と30号の油絵。
情けない癖で、絵を出しておきながら、その1ヶ月、その喫茶店に近づけず・・・。
後になって、評が、ひとつふたつ、三人、四人から入ってきて、照れくさく返事しながら、家に帰って嬉しがっている自分。
アホだなー。
なにやってきたんだろ。
描きたくて、描く自分でありたくて、ヨチヨチ歩きの子供が寝た間に描いていた絵を「いい絵だったよ」「なかなかなものだネ」と、声を掛けていただくことを、今感慨深く受け止めています。
その絵、実は今残っているので一番好きな一枚です。
ものを表現することは、自分の感性の問題なのに、目移りすると、あっちへ行ったり、こっちへなびいたり、そのくせ、いつも心に響くのです。
あの中野重治の詩の一節「トンボの羽やあかまんまの花を歌うな」と。
描きたいのは、自分の心が振れるもの、私を揺さぶるもの。
おしゃべりで、絵のことを語ることもないわけではないけれど、自分の絵については、極端に自己主張を押さえてしまう情けなさ、でした。

評を下さった中には、存じ上げない方々もいらっしゃいます。
ありがとうございます。
あの頃の自分を少し誉めていただいたようで、嬉しいです。
そして、今、いただいた評に勇気をいただいて、描きたいものを表現する気持ちに、少し真剣みを増して、やっていこうと思います。

次の機会がいつになるか、判りません。自分の感性の発露としての絵でないと、いけませんね。
これくらいなら描けるよ、という絵になってしまっていました。
実は、今も町民会館の喫茶店に一枚のスケッチを掛けてもらっていますが…、大人し目の風景スケッチです。

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梅雨の晴れ間

2006-06-19 14:39:28 | その他
5月に雨降りが多かったこともあり、今年はいつのまにか梅雨入り。
そして、雨空を恨むように眺めることなく、はや下旬になろうとしています。
連日の満杯の洗濯物から解放され、2人家族の余裕でしょうか(笑い)。

ビル街を自転車で行くことが多いのですが、赤信号は、もうしっかりと街路樹やビルの日陰で待機です。
ビル風が冷たくて、陽だまりをぬくいと思っていたのに。
コンクリートの熱気に悩む季節が直ぐそこです。

こんな風にして、季節は巡り、どの季節も覚えがしっかり染み付いているから、歳は重ねたものだと思います。

あぁ、この季節、山吹がきれいです。
街中の自転車の通り道にあるのです。
統廃合して、銀行が去った高層ビルの周りにグルッと。
雨の季節が似合う花ですね。
本来、山道に見かけるはずなのに、すっかり手入れされて都会の花になっていますが、葉っぱの分量が多いところが、野趣の花、山吹です。
梅雨の晴れ間、今日は日ざしが強いのですが、その一角が涼しげでした。

 ―― 七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき ――
                              (太田道灌)
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テンプレートまた、変えました。

2006-06-13 07:15:37 | その他
gooのブログに素敵なテンプレートが加わったものです。
早速、弊ブログ変身!
コロッセオの内側から、わずかに茜を帯びた雲が流れる景観は、心憎い工夫です。

このブログをはじめたのは、去年の3月。6日間のローマ・フィレンツェ旅行から帰ってまもなくでした。
ローマの街もしっかり記憶にあります。ちょうど日曜日でした。半日観光コースで回ったのですが、それなりに大きなデモがあり、何度も観光バスは立ち往生。
予定通りに進行できずに、このコロッセオの前で解散になったのです。
フリーになったものだから、コロッセオに入場、それで、内側も巡り歩いています
お天気がよくて、眺め最高でした。
それでも地下の深い溝に待機していたのは、戦う人だったのか猛獣だったのか、2000年前を想像するものだから、複雑でもありました。
その後に、歩いてフォロー・ロマーノをまわり、カラカラ浴場までも、テクテクと歩いたものです。「すべての道はローマに通ずる」の、あのローマを歩いているということに感慨が一杯でした。その道のどの石畳も、長い年月で見事に角が磨り減って、現在の状態では馬車道としてはでこぼこで困難です。あれでは、馬も怪我をするだろうし、ガタガタとお尻が痛くて無理。
ローマは、あっちこっちに「古代」が顔を出していて、平和な今は観光産業の街なのでしょう。地方のイタリア人にとっても、ローマは観光の地らしく、日曜日にデモにやってくる人たちも、午前はデモ、午後はローマ観光をして帰ると、ガイドさんの説明(笑い)。
統一国家イタリアになったのは明治維新の少し前。
それまでは各州ごとに統治されていたわけだから、江戸の殿様が譜代・外様の各藩にも目を光らせていた日本の事情と随分違うのでしょうね。
コロッセォの画面から話があちこち散策して、とりとめもない文になってしまいました。

(追記)コロッセォは世界中から観光客がくる超観光地なのに、中には(簡易設置されたような)トイレが一箇所しかなく、長蛇の列。日本ではありえない。
つまらない話ですが、これも感想です。
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6月の夕暮れに

2006-06-09 07:29:45 | その他
6月は夕暮れがゆっくりやってくる。
昨日、仕事から帰り、ガレージに止めた車から出たところで、電線にふと目がいきました。

あれ?
ひょっとして。
確かに。
しかも胸元には産毛が残っている。
巣から初めて飛んでこの電線に止まったのでしょうか。
不自然なくらいぴったりと肩寄せあっているツバメの幼鳥。
2羽の顔は見えて、1羽は尾。
3羽の幼鳥、通りを見下ろして何を想っているのか。

いつの間にかツバメがやってくる季節になっていたのですね。
もう一番バッターの雛鳥たちが飛び立つのでしょうか。
そういえば曇り空。
「ツバメが低く飛ぶときは雨が近い」
そんな言い回しを思い出し、そういえばツバメは雨時のこの季節を日本で過ごすと合点。

インターネットが普及し、世の中様変わりなのに、ツバメの季節は変らない。
「すっかり変った」が溢れている世の中で、変らないものに出会って、ココロが「くふっ」と笑っていました。


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5月の雨

2006-05-11 08:07:38 | その他
庭はしっかり雨に濡れています。
雨の中でつるバラが花をつけています。
例年だと、八朔の白い花と、つるバラの赤い花びらが競うように狭い庭に花開くのですが、今年は八朔の花が遅れています。
そして、去年のキンギョソウが越年して今年も咲いてくれました。花壇にも植木鉢にも。但し黄色だけ。
黄色い花が強いと聞いていたことがあるけれど、やっぱり、そうなんですね。
他にはパンジーに苧環(オダマキ)。
山野草の部類ではないかと思うのですが、オダマキは我が家の庭が気に入ったのか、あちこちに種をこぼし、この時期花をつけます。葉っぱの形も面白いので、好きです。
どれも今朝は雨に濡れています。

あっ、芝生の中の雑草(「地縛り」という名らしい)も、めきめき伸びています。
今年は、雑草とちょっと勝負しようかなと考えているのですが、彼らは日々怠らず成長するので…、負けそうです(笑い)。
ちなみに、今までは打ちのめされていました。
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「名言」として自分へ

2006-05-02 23:05:58 | その他

ふと尋ねたブログで見つけました。

―― もし、自分が嫌っている人を、一人残らず、神も嫌っているなら、あなたは自分の姿に似せて、神を作ったのだ ――
                slashdot.org.でのコメントの署名から

               

何の解説もなく、枠に囲まれて、この言葉だけ。
うん?と、立ち止まって、読み返して、自分用に拝借してここに。

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こんな話

2006-04-27 09:07:45 | その他
今日のブログ自分自身への業務連絡の類です。

ちょっとしたことから、ふと思いました。
カリカリしていたのです。
「あなたのメールの○を確認して、もし△になっていたら、変更してくれないと、自分のところに来るメールが不具合で読みづらいと」いわれていました。
ずっと、パソコンでメール送信をやりだして7年程。この手のクレームは初めて。
「全員に送信」して、誰からもクレームが来ていないのに、◎さんからだけ。
家族間で確認しても、ノープロブレム。
「ム、ム…」「◎さん指摘の表示が出ているわけでないし、何で私の方?」

長く使ってはいるものの、家人に教えられて始めた部類だから、あそこと、あそこをチェックして、ここを確認してなんていわれても、いまいち不得手。
私の中で、「◎さんは厄介な御仁」と、その流れに傾きかけていました。
昨日の朝、家人の手助けで分かりました。
私の素人加減が判明、というか、◎さんがパソコン通だったのです。
きっと隔靴掻痒だったことでしょう。

物事って、こんなところでギクシャクするのだなと、そんな風に思いました。
結構外側から見ると分からない理解度の差があるのに、指摘されたことに「ムッ」と、きていたのだと。
いろんな場面でも、同じなんだろうと。
ひとつ高い(というか深い)理解力があれば、スッと遠くまで見通せてトラブルにならないのに。些少なところで人間関係に軋みを作るのは、本人の力不足でもあること。
世の中、理不尽だと怒っている人はあっちにも、そしてこっちにも。
その中には、きっと、理解度の差からくる行き違いってことも、あるんでしょうね。
勿論、それらのやり取りに、「刺」がミックスされていたりすることも軋みに拍車をかけるのでしょうが、そこは「刺ミックス」にしてしまう人の「器」なのだということも、ふと思いました。
もっと、高い理解力(というか深い)理解度をめざせば、糸は絡むこともないのですね。
絡むから人間模様なのでしょうけれど。
あぁ、山の中腹をたどたどしく登っている自分が見える。
コメント (2)
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