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「梵鐘」あれこれ

2009年03月16日 | Weblog
●梵鐘(ぼんしょう)
梵鐘は、中国で生まれ、仏教の伝来に伴って、朝鮮半島や日本にも伝わりました。
東洋の梵鐘の特徴は、優美な形、東洋独特の装飾、荘厳な響きと余韻にあります。

撞木(しゅもく)で撞(つ)き鳴らし、重く余韻のある響きが特徴。
青銅製‥銅に少量の鍚(ヨウ)・亜鉛等を加えて鋳造し、概ね高さ150~160cm、直径60~90cmのものが多い。まれに鉄製もある。

インドでは僧団の集会などに木製の稚(かんち ガンター)を用いたが、中国ではその代わりに銅鐘を用いるようになった。木製のものも板[ばん]と称して同様に用いる。



・梵鐘の別名
大鐘(おおがね)
洪鐘(おおがね、こうしょう)
蒲牢(ほろう)
鯨鐘(げいしょう)
巨鯨(きょげい)
華鯨(かげい)



・梵鐘を詠んだ詩歌・文学
「花の雲 鐘は上野か浅草か (芭蕉)」 上野寛永寺と浅草寺
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 (子規)」
「涼しさや 鐘を離るる 鐘の声 (蕪村)」
「一里鳴って 二里響き 三里渡る」
「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘がなる」(童謡『夕焼け小焼け』作詞: 中村雨紅、作曲: 草川信)
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色,盛者必衰の理をあらわす」平家物語冒頭



・日本三大梵鐘として大鐘を持つのは‥
京都 知恩院
奈良 東大寺
京都 方広寺



・日本三名鐘
「姿(形)の平等院」
「音(声)の三井寺」
「勢の東大寺」
東大寺の代わりに、「銘の神護寺」を加えて「三名鐘」とする文献も。
また別説として「金剛峯寺 大塔の鐘」を加える場合も。



・巨鐘の別称 
「南都の太郎」 奈良 東大寺の鐘
「高野の二郎」 高野山 金剛峯寺 大塔の鐘
「吉野の三郎」 吉野 廃世尊寺(金峯山寺)の鐘
「出羽の四郎」 出羽神社(山形県)の鐘



・江戸三大名鐘 
芝増上寺の鐘
上野寛永寺の鐘
牛込市谷八幡の鐘
内藤新宿天竜寺の鐘

*文献によって組み合わせが異なります。



・供出
第二次世界大戦時に金属類回収令により数多くの梵鐘が供出され、鋳潰された。文化財指定の鐘、その他特に古いものや貴重なものは残されたが、近世の鐘の多くが溶解され、日本の鐘の9割以上が第二次世界大戦時に失われたという。



・撞木 
鐘と撞木と完全に適合していないと本当に良い音は出ないと云う事は申すまでもない事ですが、打撃音を美しくする為には、松檜などが最も良い様である。梵鐘の重さの約二十分の一位が適当と云はれています。
なお、撞木は綱で吊るとすぐ緩みが来て撞座の下方を打つ様になるので、これを避ける為に鉄の鎖を使つた方が宜しい。



・梵鐘と喚鐘
『梵鐘』(ぼんしょう)
寺院の鐘楼[しょうろう]に吊[つ]る青銅製の大きな鐘[かね]。
「集会鐘[しゅうえしょう]」ともいい、法要や儀式を開始するに先立って、大衆[たいしゅう]が参集[さんしゅう]する合図として三十分または一時間前に撞[つ]く。打数は十打とし、各間隔をゆっくりあけ、余韻がかすかになってから次を撞き、最後の二打は少し間隔を早めて撞く。梵鐘は、法要や儀式以外(朝夕の時報など)に撞く場合もある。

『喚鐘』(かんしょう)
梵鐘の小型(一説には直径1尺7寸以下)のもので小鐘[こがね]とも半鐘[はんしょう]ともいう。
「行事鐘[ぎょうじしょう]」ともいい、法要や儀式の開始を知らせる合図として打つ。打ち方は、適当な間隔(5~8秒程度)で七打してから、打ち上げ(短く小さく→長く大きく)、打ち下ろし(長く大きく→短く小さく)、次に五打してから再び打ち上げ、打ち下し、最後に三打する(三打のうち第二打は小さく打つ)。
高い音で、用途も仏事以外に火事などの警報目的でも使われる。


「打ち上げ」とは、初めは小さく細かく打ち、次第に大きくゆっくり打つことで、「打ち下し」はその逆に、初め大きくゆっくり打ち、次第に小さく細かく打つことです。



・韓国最大の巨鐘
華川 「平和の鐘」 重量1万貫 聖鐘社の制作



<最古の梵鐘>
・日本でつくられた最古の梵鐘
京都・妙心寺の梵鐘(国宝)は、内面に戊戌年(698年)の銘があり、製作年代の明らかな日本製の梵鐘としては最古のものとされている。

・中国から渡来した最も古い梵鐘
奈良国立博物館所蔵 陳の太建7年(575年)の銘をもつ梵鐘がある。

・朝鮮から渡来した最も古い梵鐘
福井県常宮神社の鐘 年代の明らかなものとしては最古(唐の太和7年 833年)

・日本に持ち帰った記録
梵鐘の日本への渡来については、日本書紀に大伴狭手彦(おおとものさでひこ)が562年、高句麗から日本に持ち帰ったとの記録が残っている。現存遺品でこの時代にまでさかのぼるものはない。



<京都 神護寺の鐘>
・貞観17年(875年)に鋳造されたもので、国宝に指定されています。

・日本三名鐘の一つとして、「銘の神護寺」と呼ばれています。

・詞書を橘広相、八韻の銘一首を菅原是善、藤原敏行が文字を揮毛したことに由来します。

・当時の三絶によって銘が刻まれたことから、「三絶の鐘」とも呼ばれています。



<滋賀 三井寺の鐘>
・「三井寺の晩鐘」で知られています。また「音(声)」の三井寺として、日本三名鐘のひとつにも数えられています。

・平成8年7月には、環境庁より「日本の音風景百選」に認定されています。

・この鐘は、慶長7(1602)年、古鐘「弁慶の引き摺りの鐘」の後継ぎとして鋳造されたもので、鐘楼(国の重要文化財)とともに、県の文化財に指定されています。

・直径123.6センチ、高さ205.4センチ、重量2、250キロ(600貫)です。

・百八煩悩に因んで、鐘の上部には乳といわれる108個の突起が付いています。



<宇治 平等院の鐘>
・「姿」の平等院として、日本三名鐘のひとつにも数えられています。

・無銘ながら、和鐘中、最も華麗な装飾文様を鋳表したものとして有名です。

・銘文がない為、製作時期については平安後期とする説が有力ですが、諸説あって、平等院発行の資料にも11~12世紀と記されていて、断定されていません。

・口径123cm、高さ199cm、重量約2トンです。



<奈良 東大寺の鐘>
・梵鐘は、大仏開眼供養の前年751年に鋳造されたと伝えられています。

・東大寺の鐘は、重さ26.364トンもある大鐘で、「奈良太郎(奈良の大鐘、あるいは奈良時代の大鐘)」と呼ばれて来ました。

・音色は豪壮で、長く響き渡ることで知られ、「日本三名鐘」の一つとされています。

・直径は2.708メートル、高さは3.853メートルです。現在の鐘楼は、鎌倉時代に、栄西によって再建されたものです。梵鐘も、鐘楼も、国宝に指定されています。

・また、室町時代の文献には、南都(奈良)八景の第一として、「東大寺ノ鐘」が挙げられています。



<京都 知恩院の鐘>
・除夜の鐘で最もよく知られた寺院の1つが知恩院。東大寺(奈良市)、方広寺(京都市東山区)と並び、日本三大梵鐘の大鐘(重文)がある。大みそかには「エーイ、ヒトーツ、ソーレ」の掛け声で、大綱、小綱を17人の僧侶が上体を反らせ、最大限の力を振り絞って、1分間に1回打ち鳴らす光景は有名だ。

・同寺の文化財保存局長・前田昌信さんに大鐘のエピソードを尋ねた。
大鐘は1636(寛永13)年の鋳造で、高さ3・3メートル、口径2.7メートル、厚さ0.3メートルの国内最大級の鐘だ。戦時中の梵鐘の供出を免れたのも、大きすぎて持ち出せなかったという逸話が残る。除夜の鐘を撞く希望者が、毎年30人ぐらいいて、12月27日の試し撞きで選抜される。鐘を打つタイミングや実際に鳴らした音、撞木(しゅもく)に振り回されないかがポイントだそうだ。

・しかし、意外にその歴史は新しい。知恩院で除夜の鐘が始まったのは1930(昭和5)年から。NHKのラジオ中継の要請に答える形で始めたという。それまでは、宗祖・法然の命日に行う「御忌法会」が始まる前に鳴らすだけだった。

・知恩院の大鐘には有名なエピソードがある。相対性理論で知られるアインシュタイン博士が1922(大正11)年に知恩院に立ち寄った。大鐘の直下に立った後、鐘を打たせた。鐘の真下では、音波が相殺して無音の場所ができることを証明したのだという。記者も実際に鐘の真下に立って、鳴らしてもらった。「無音」ではなかったが、確かに音は小さく感じた。

[京都新聞 2006年12月25日掲載 京都おもしろ宣言]より

・知恩院の鐘が聴けます。
ココのHP
昔は市中の西の端、嵐山まで聞こえたという。



<京都 妙心寺の鐘~黄鐘調鐘(おうじきちょうしょう)国宝>
・国内で特に知られる梵鐘のうち、最古の梵鐘は妙心寺にある。

・妙心寺の鐘は国宝で、現在は宝物館に展示している。

・複製品があり、塔頭住職らが31日午後11時から90回、1日午前5時から18回撞く。参拝者は見学だけで自分では撞けない。

・「妙心寺鐘」と称される。浄金剛院(廃寺)にあったもの。音色が雅楽の黄鐘調(おうじきちょう)に合うといわれる。

・徒然草に「およそ鐘のこえは黄鐘調なるべし‥浄金剛院の鐘の声のまた黄鐘調なり」と詠われている。

・「戊戌(つちのえいぬ)(698年 文武天皇2年)4月13日に前糟屋評造舂米連広国」の鋳造と記されている

・九州地方で制作されたものといわれる法堂の北西の鐘楼にかかっていたもので、現在は法堂に移動されている。



<滋賀 三井寺 弁慶の引き摺り鐘>
・三井寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。むかし、承平年間(10世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。

・その後、山門(比叡山延暦寺)との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。

・また、この鐘は寺に変事があるときには、その前兆として不可思議な現象が生じたといいます。良くないことがあるときには鐘が汗をかき、撞いても鳴らず、また良いことがあるときには自然に鳴るといいわれています。

・「園城寺古記」という戦国時代の記録には、文禄元年(1592)七月に鐘が鳴らなくなり寺に何か悪いことが起るのではないかと恐れた僧侶たちは、様々な祈祷をおこなったところ八月になってようやく音が出るようになりました。

・また建武の争乱時には、略奪を恐れ鐘を地中にうめたところ、自ら鳴り響き、これによって足利尊氏軍が勝利を得たといわれるなど、まさに霊鐘というにふさわしい様々な不思議な事件をいまに伝えています。

・現在は撞かれることもなく金堂西方の霊鐘堂に奉安されています。



<芝 増上寺の鐘>
・鐘楼堂は寛永十年(1633年)に建立されたが、現在の鐘楼堂自体は戦後の再建によるものであります。

・鐘楼堂に収められている大梵鐘は、延宝元年(1673年)にあまりの大きさに七回の鋳造を経て完成し(東日本で最大級といわれております)、江戸三大名鐘の一つに数えられています。

・朝と夕べ、六度ずつ響くその鐘の音は、時を告げるだけではなく、人を惑わす百八の煩悩を浄化し、人々の心を深い安らぎへと導く六度の誘いでもあります。

・江戸時代の川柳には「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」「西国の果てまで響く芝の鐘」等と謳われ、江戸っ子鐘と親しまれています。



<増上寺と寛永寺の鐘>
・増上寺の鐘は延宝元年(1673年)品川御殿山で椎名伊予守によって鋳造されたもので、高さ3m、重さ約15tの大梵鐘である。時の四代将軍家綱の命により、奥方のかんざしなど多くの寄付を集めて江戸で初めて造られた鐘である。この鐘の音は、木更津まで響いたといわれ、江戸の人々に親しまれた。


・また、上野寛永寺の梵鐘は、1669年(寛文9年)に設けられたが、現在の鐘は二代目で1787年(天明7年)の作である。



<高野山 金剛峯寺 大塔の鐘>
・日本三大名鐘のひとつとして紹介されることのある伽藍の大梵鐘は、通称「大塔の鐘・高野二郎・高野四郎」などとも呼ばれています。こうした名称がいつの頃から使われはじめたのかは明確ではありませんが、現在の梵鐘は天文16年(1547)8月25日に鋳造(改鋳)された巨鐘です。これ以降、各時代を通じて日本屈指の梵鐘となり、時に応じて別称が付けられたことが考えられます。

・大塔の鐘
通常、「大塔の鐘」として紹介される場合が多いようです。根本大塔の前にあることからこうした名前がつけられたと思われますが、これもまた正式な名称ではないようです。室町時代の記録では、「金堂大鐘」「金剛峯寺本堂の鐘」などとも記されており、また単に「鐘楼堂」とする場合も多いようです。

・高野四郎
通称として「高野四郎」と呼ばれています。明治期の参詣案内書などには、既に「高野四郎」の名が別称としても紹介されていますので、遅くとも明治期までさかのぼることができます。
また一説に、唐から運ぶのに海中に沈んだという巨鐘を「海に太郎」と呼び、以下「奈良二郎」「吉野三郎」「高野四郎」と呼ばれたとも伝えられています。

・高野の二郎
「高野四郎」と呼ばれる以前は「高野の二郎」と呼ばれていたといいます。この説は、典拠は不明ながらも梵鐘研究の大成者といわれる坪井良平氏によって紹介されています。「南都の太郎」と呼ばれた東大寺の巨鐘を一番とし、二番に「高野の二郎」、三番目には「吉野の三郎」として吉野廃世尊寺(金峯山寺)の巨鐘を充てます。ついでながら山形県出羽神社の梵鐘を「出羽の四郎」と名付け、これを日本の「四大鐘」といったようです。しかし実際の寸法からすると、出羽四郎の方が吉野三郎より大きいことから、三大名鐘として名付けられた時期には畿内の有力寺院の梵鐘に限定されていたことも考えられます。

・こうした順位は釣り鐘の大きさ、主に口径の寸法順に名付けられているようで、大塔の鐘の場合、当時、日本で二番目の大きさであったことから「二郎」とされ、後世、二つ下がって四番目と認知されたことにより「四郎」と呼ばれるようになったと考えられます。但し大塔の鐘を「高野四郎」とした場合、太郎、二郎、三郎をいずれの梵鐘にあてはめるのかは明確にはされていません。

・そこで、現在わかる範囲で著名な梵鐘(主に国指定品)を口径順に並べてみますと次の表のようになります。

順位 寺院名/別名 口径cm 総高cm 時代
1 知恩院   280.0 333.0 江戸時代
2 東大寺/南都の太郎 276.6 386.0 奈良時代
3 方広寺   226.8 412.0 江戸初期
4 金剛峯寺/大塔の鐘(高野の二郎 高野四郎) 179.5 251.0 室町時代
5 出羽神社/出羽の四郎 168.0 285.5 鎌倉時代
6 東本願寺   156.0 256.0 室町時代
7 円覚寺   142.4 259.1 鎌倉時代
8 園城寺/音の園城寺鐘 133.3 197.3 奈良時代
9 薬師寺   131.5 198.9 奈良時代
10 建長寺   124.5 207.3 鎌倉時代
11 清水寺   124.2 195.2 室町時代
12 金峯山寺(廃世尊寺)/吉野の三郎 124.0 160.0 平安時代
13 平等院/姿の平等院鐘 123.6 199.1 平安時代
14 神護寺/銘文の神護寺鐘 80.3 147.6 平安時代

*江戸時代以前制作の鐘から。



<京都 方広寺 国家安康の鐘>
・豊臣氏当時ものとしては梵鐘が残っているが、この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文(京都南禅寺の禅僧文英清韓の作)が徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒瀆するものとみなされて、大阪の役による豊臣家滅亡を招いたとされる。

・この鐘は重要文化財に指定されており東大寺、知恩院のものと合わせ日本三大名鐘のひとつとされる。

・慶長19年(1614年)に京都三条釜座の名古屋三昌により鋳造された。大きさは高さ4.2m、外形2.8m、厚さ0.27m、重さは82.7トンである。



<柿くへば鐘がなるなり法隆寺>
・明治28年10月、病床をぬけて松山から東京へ旅に出かけた正岡子規が奈良に立ち寄った際に法隆寺の茶店で詠んだ句と言われています。

・しかし実際は、東大寺裏の宿で食べた柿と斑鳩の風景を結びつけた作とも言われています。

・東大寺裏の旅館に泊まっていた子規が夕食の後に富有柿食べていると近くの東大寺の鐘がなったのだそうです。この鐘は「初夜」と呼ばれるその日最初の鐘のことで、この「初夜の鐘」に興味を持った子規が翌日出かけた法隆寺の風景と結びつけ名作を詠んだそうです。

・「法隆寺の茶店に憩ひて」と詞書(ことばがき)のあるこの句は、自筆句集「寒山落木」の第四巻(1895、明治28年の分)に収められています。

・また、句碑が、子規の筆蹟で法隆寺中門東寄りの池の岸に立っています。



<道成寺の鐘>
・梵鐘がないことで有名。安珍・清姫伝説に基づく。

・道成寺 和歌山県日高郡日高川町にある寺院



<熊本県玉名市 蓮華院誕生寺奥之院~世界一 飛龍の鐘>
・大きさ、重量ともに世界一の大梵鐘 「飛龍の鐘」

・口径九尺五寸、高さ十五尺、重量一万貫(37.5トン)

・昭和52年鋳造。鋳造元は岩澤の梵鐘。

・玉名市 より遠く離れること40キロの天草にまで鳴り渡りつつあることが、去る54年1月29日、テレビを通じて立証されました。



<品川寺(ほんせんじ)の鐘>
・東京都品川区南品川

・明暦3年(1657年)の銘があり、徳川幕府第四代将軍徳川家綱の寄進とされる。鐘身に六観音像を鋳出する。

・この鐘は幕末に海外へ流出し、パリ万博(1867年)・ウィーン万博(1871年)に展示されたと伝えるが、その後所在不明となっていた。

・大正8年(1919年)、当時の住職であった仲田順海は鐘がスイス・ジュネーヴ市のアリアナ美術館に所蔵されていることを突き止め、返還交渉を開始した。外務大臣幣原喜重郎ほか多くの人々の尽力により、ジュネーヴ市議会は鐘を日本へ戻すことに同意し、昭和6年(1931年)、同市の好意により品川寺に返還された。

・平成3年(1991年)には品川寺からジュネーヴ市に新しい梵鐘が贈られた。品川区とジュネーヴ市は平成3年に友好都市となったが、交流の契機となったのはこの梵鐘である。



<奈良時代の梵鐘>
梵鐘研究家の坪井良平氏は以下の16口を奈良時代鐘としている。

千葉・成田市出土鐘(国立歴史民俗博物館蔵) 774年
福井・劔神社鐘 770年
岐阜・真禅院鐘
滋賀・園城寺鐘 通称・弁慶の引き摺り鐘
滋賀・竜王寺鐘
京都・妙心寺鐘 698年
京都・東福寺鐘
奈良・東大寺鐘
奈良・興福寺鐘 727年、製作年代明らかなものとしては日本で2番目に古い
奈良・薬師寺鐘
奈良・新薬師寺鐘
奈良・法隆寺西院鐘
奈良・法隆寺東院鐘 旧・中宮寺鐘
奈良・当麻寺鐘 妙心寺鐘と並ぶ日本最古級の鐘
奈良・大峯山寺鐘
福岡・観世音寺鐘 妙心寺鐘と同じ木型から造られた古鐘



<国宝の梵鐘>
神奈川・円覚寺
神奈川・建長寺
福井・劔神社
滋賀・佐川美術館
京都・平等院(所在:鳳翔館、現在鐘楼に吊られている鐘は複製)
京都・妙心寺(徒然草に登場する)
京都・神護寺(非公開)
奈良・当麻寺(非公開)
奈良・東大寺
奈良・興福寺(所在:国宝館)
奈良・栄山寺
福岡・観世音寺
福岡・西光寺




参考にさせていただいたHP
http://www.carillon.co.jp/index.htm
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/omoshiro/shikake13_02.php
http://www.shiga-miidera.or.jp/about/legend01.htm
http://www.zojoji.or.jp/keidai/
http://homepage2.nifty.com/renjakudo/shinjuku.htm
http://www.reihokan.or.jp/yomoyama/various/garan/hall/syorodo/shiro01.html
http://www.tabian.com/tiikibetu/kinki/nara/horyuji/horyuji5.html
http://event.jr-odekake.net/spot/5257.html
http://www.net.sfsi.co.jp/watanabebonsyou/html/bonsyotisiki.html
http://iwasawa-bonshou.com/archives/category/bell_sample/
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/03_01_19.html
http://www.kyototsuu.jp/Temple/MyoushinJi.html
http://www.sungjongsa.co.kr/company-jp.htm
http://www.kyosan.co.jp/column/column04.html
ウィキペディア(Wikipedia)ほか


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