大使館からの一斉メール。
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タイ在留邦人の皆様へ
【大使館からのお知らせ】
緊急一斉メール
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タイに対する渡航情報(危険情報)の引き下げについて
(2011年11月16日現在)
当国における洪水被害の現状を踏まえ、10月27日付をもって、首都バンコク、アユタヤ県、
パトゥムタニ県、ノンタブリー県、ナコンパトム県及びサムットサコン県に対して
「渡航の延期をお勧めします。」の危険情報を発出しました。
同危険情報については、その国又は地域への渡航を予定している邦人に対して渡航の延期を勧めると同時に、
既にその国又は地域に滞在する邦人に対しては、邦人の「生命・身体」に直接的な危害を及ぼす事案が現実的に
存在し、それがある程度継続する場合には、退避の可能性の検討や準備を促すメッセージを含むものです。
当国における今次洪水被害については、現在の危険情報のレベルに引き上げた時点においては、「生命・身体」に直
接的な危害を及んでいたというよりは、むしろ、洪水被害がさらに拡大する場合には、「生命・身体」に対する
危害が直接及ぶ可能性があったため、「渡航の延期をお勧めします。」との危険情報を発出したものです。
一方で、現下の洪水被害の状況は、拡大から縮小の方向に転じ、改善してきています。
今後、仮に、想定外の事態が生じ再び洪水被害が拡大したとしても、その際の被害の程度は、「生命・身体」に
直接危害を及ぼすようなものではなく、むしろ「日常生活に多少の不便・不都合」が生じる程度のものであると判断し、
今般、以下のとおり、危険情報の引き下げを行いました。
10月28日からの避難一時帰国が、解除になった。
中心部の浸水地域が縮小傾向にあり、危険性が低くなったため。
10月後半に比べて、飲料水などの入手が容易になり、水道水の水質も改善され、
外務省も、状況の改善を受け、11月16日に渡航情報を引き下げたため。
避難解除をうけ、一週間以内に任国に戻る。
本部とタイ事務所からすぐに連絡があり、23日タイに戻ることが決まった。
療養から避難に切り替わり、タイに帰れないまま長かった。
考える時間が長くなると、勢いや思い切りが冷え去り、冷静にものを見るようにもなる。
活動への自信不足、それを補いきれない残り任期の短さ、ブランクにより忘れそうなタイ語。
日を追うごとに希望や自信よりも不安と緊張の方が強くなっていった。
教育委員会にも呼ばれ、この数ヶ月なにをしていたのか、タイに戻って今後の活動を何をするのか、
それを、どう福岡市に生かし貢献するのかを聞かれた。
療養帰国していなければ、任国でずっと活動ができていれば、なかったはずの様々な質問。
日本では、いや教職の世界では特にそうだったような気がするが、
病気療養で仕事を休むことは、まるでよくないことのような空気。
療養している間も、まるで悪いことをしているような気分になることがあった。
JICA本部、教育委員会、すでに離任した学校、そして私、4者で情報が渡り合い、
伝言ゲームのようになり、私の所在や現状が事実と違う形で伝えられ おおごとになったり、
誤解があったり、誤解のままあちこち伝わっていたり、腑に落ちないことでおしかりをうけたり、
療養中に気を揉むことが多く、いつ帰れるか分からない不安との中で、
長くなれば長くなるほど、「療養帰国」は実際には「療養」にならないな、
療養帰国なんてするもんじゃない、
任国に行ったままでいられるのが一番だと思った。
見えた自分の欠点もある。
それは違う、と思っても、多少腑に落ちなくても、まだ理解が追いついていなくても、
言いたいことをガマンして、「はい」と言ってしまうこと。
余計なトラブルになったり、これ以上相手との関係をこじらせるくらいなら、黙っていようと
自分の思いを言わない道を選んでしまうところ。
結果、それは誤解なのにと思うもどかしさや、誤解があるままの関係性が続き、
意見を戦わせることもないまま、ガマンした不完全燃焼で、一人もやもやする。
それは、よくいえば控えめさであり、タイの配属先の人たちは
この、「私が私が」と前に出ない、黙って意見を飲み込む日本人ボランティアが
イメージするつつましい日本人にぴったりで、そういう部分には好感をもってくれていたと思う。
タイ人は日本人の出過ぎない謙虚なところが好きだという。
けれど、長い時間を一緒に過ごす相手に、
しかもタイのようなやりたいことをはっきりと言う世界で
ずっとこれで行くわけにはいかなかったのではないか。
カウンターパートから
「さちえは考えすぎる。たくさん考えすぎている。でも口に出さない。
頭の中はのぞけないから、口に出してどんどんしゃべって。」
と言われたことを思い出した。
いろんなことを考えた時間だったし、帰らない方がいいのかとも思った時間にもなったけど、
やりかけのままの活動、人間関係、タイでの生活、
いきなりぴたりと止まってしまった時間をもう一度動かさなくては。
チャンスがあるのだから。
孤独感や、罪悪感さえ感じて、あせり、不安になり、その不安を消そうと人に会った。
この間に支えてくれたのは、地元のタイ料理店のタイ人や友達、同僚の教師、友達、そして家族だった。
自分の居場所があり、確実に必要とされている安心感は絶対の力になった。
「成果とか、形とかプレッシャーに縛られず、JICAのためとか教育委員会のためとかじゃなく、
本当にあなたのことを心配してくれる人たちのために、無理せずにがんばっておいで。」
と言ってくれた友達。
意地もあるかもしれない。
途中でやめたくない、ただそれだけかもしれない。
心配してくれる人たちの顔を見ると、もう、ここまででもいいんじゃないかと考える。
でも、それでも、
タイに帰る、帰らないを天秤にかけたら、帰るの方が下にぐいっと下がる。
誰が何を言ったとしても、私の気持ちは私にしか大事にできない。
受けとった思いやりある言葉、私のためを思ってくれる言葉だけを大事にかかえてタイに戻ろうと思う。
私の悔いが残らないように、私がやりたいように、私ががんばる。
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タイ在留邦人の皆様へ
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タイに対する渡航情報(危険情報)の引き下げについて
(2011年11月16日現在)
当国における洪水被害の現状を踏まえ、10月27日付をもって、首都バンコク、アユタヤ県、
パトゥムタニ県、ノンタブリー県、ナコンパトム県及びサムットサコン県に対して
「渡航の延期をお勧めします。」の危険情報を発出しました。
同危険情報については、その国又は地域への渡航を予定している邦人に対して渡航の延期を勧めると同時に、
既にその国又は地域に滞在する邦人に対しては、邦人の「生命・身体」に直接的な危害を及ぼす事案が現実的に
存在し、それがある程度継続する場合には、退避の可能性の検討や準備を促すメッセージを含むものです。
当国における今次洪水被害については、現在の危険情報のレベルに引き上げた時点においては、「生命・身体」に直
接的な危害を及んでいたというよりは、むしろ、洪水被害がさらに拡大する場合には、「生命・身体」に対する
危害が直接及ぶ可能性があったため、「渡航の延期をお勧めします。」との危険情報を発出したものです。
一方で、現下の洪水被害の状況は、拡大から縮小の方向に転じ、改善してきています。
今後、仮に、想定外の事態が生じ再び洪水被害が拡大したとしても、その際の被害の程度は、「生命・身体」に
直接危害を及ぼすようなものではなく、むしろ「日常生活に多少の不便・不都合」が生じる程度のものであると判断し、
今般、以下のとおり、危険情報の引き下げを行いました。
10月28日からの避難一時帰国が、解除になった。
中心部の浸水地域が縮小傾向にあり、危険性が低くなったため。
10月後半に比べて、飲料水などの入手が容易になり、水道水の水質も改善され、
外務省も、状況の改善を受け、11月16日に渡航情報を引き下げたため。
避難解除をうけ、一週間以内に任国に戻る。
本部とタイ事務所からすぐに連絡があり、23日タイに戻ることが決まった。
療養から避難に切り替わり、タイに帰れないまま長かった。
考える時間が長くなると、勢いや思い切りが冷え去り、冷静にものを見るようにもなる。
活動への自信不足、それを補いきれない残り任期の短さ、ブランクにより忘れそうなタイ語。
日を追うごとに希望や自信よりも不安と緊張の方が強くなっていった。
教育委員会にも呼ばれ、この数ヶ月なにをしていたのか、タイに戻って今後の活動を何をするのか、
それを、どう福岡市に生かし貢献するのかを聞かれた。
療養帰国していなければ、任国でずっと活動ができていれば、なかったはずの様々な質問。
日本では、いや教職の世界では特にそうだったような気がするが、
病気療養で仕事を休むことは、まるでよくないことのような空気。
療養している間も、まるで悪いことをしているような気分になることがあった。
JICA本部、教育委員会、すでに離任した学校、そして私、4者で情報が渡り合い、
伝言ゲームのようになり、私の所在や現状が事実と違う形で伝えられ おおごとになったり、
誤解があったり、誤解のままあちこち伝わっていたり、腑に落ちないことでおしかりをうけたり、
療養中に気を揉むことが多く、いつ帰れるか分からない不安との中で、
長くなれば長くなるほど、「療養帰国」は実際には「療養」にならないな、
療養帰国なんてするもんじゃない、
任国に行ったままでいられるのが一番だと思った。
見えた自分の欠点もある。
それは違う、と思っても、多少腑に落ちなくても、まだ理解が追いついていなくても、
言いたいことをガマンして、「はい」と言ってしまうこと。
余計なトラブルになったり、これ以上相手との関係をこじらせるくらいなら、黙っていようと
自分の思いを言わない道を選んでしまうところ。
結果、それは誤解なのにと思うもどかしさや、誤解があるままの関係性が続き、
意見を戦わせることもないまま、ガマンした不完全燃焼で、一人もやもやする。
それは、よくいえば控えめさであり、タイの配属先の人たちは
この、「私が私が」と前に出ない、黙って意見を飲み込む日本人ボランティアが
イメージするつつましい日本人にぴったりで、そういう部分には好感をもってくれていたと思う。
タイ人は日本人の出過ぎない謙虚なところが好きだという。
けれど、長い時間を一緒に過ごす相手に、
しかもタイのようなやりたいことをはっきりと言う世界で
ずっとこれで行くわけにはいかなかったのではないか。
カウンターパートから
「さちえは考えすぎる。たくさん考えすぎている。でも口に出さない。
頭の中はのぞけないから、口に出してどんどんしゃべって。」
と言われたことを思い出した。
いろんなことを考えた時間だったし、帰らない方がいいのかとも思った時間にもなったけど、
やりかけのままの活動、人間関係、タイでの生活、
いきなりぴたりと止まってしまった時間をもう一度動かさなくては。
チャンスがあるのだから。
孤独感や、罪悪感さえ感じて、あせり、不安になり、その不安を消そうと人に会った。
この間に支えてくれたのは、地元のタイ料理店のタイ人や友達、同僚の教師、友達、そして家族だった。
自分の居場所があり、確実に必要とされている安心感は絶対の力になった。
「成果とか、形とかプレッシャーに縛られず、JICAのためとか教育委員会のためとかじゃなく、
本当にあなたのことを心配してくれる人たちのために、無理せずにがんばっておいで。」
と言ってくれた友達。
意地もあるかもしれない。
途中でやめたくない、ただそれだけかもしれない。
心配してくれる人たちの顔を見ると、もう、ここまででもいいんじゃないかと考える。
でも、それでも、
タイに帰る、帰らないを天秤にかけたら、帰るの方が下にぐいっと下がる。
誰が何を言ったとしても、私の気持ちは私にしか大事にできない。
受けとった思いやりある言葉、私のためを思ってくれる言葉だけを大事にかかえてタイに戻ろうと思う。
私の悔いが残らないように、私がやりたいように、私ががんばる。