PCの周辺に文庫本が増えてきたので整理した。
夏に買ったものには大抵、夏の読書フェアの帯がついている。
これについて少し考えさせられた。
石田衣良は自著のほとんどの帯を自分で手掛けているらしい。
手元で確認したら、3冊が集英社「ナツイチ」の帯になっていた。
他の作品の帯を見ても、コピーが特別に優れているとも思えないのだけど(笑)、それでも作者の何らかの思いが込められているのは間違いなく、ちょっとどうなのかなと考えてしまう。
帯はそのうち元に戻るが、もっと問題なのが表紙だ。
マイ・フェイバリット青春コンテンツでもある村上龍の不朽の名作『69 sixty nine』の表紙が、妻夫木聡と安藤政信に変わっていた。
これにはショックを受けた。
映画化したからといって、これは最悪だろう。
今の表紙でこの作品をはじめて読んだと仮定して、以前の表紙の場合と同じだけ作品を好きになるかどうかは、自信を持てない。
それくらい、あの表紙は作品のイメージと不可分であった。少なくとも自分にとっては。
表紙というのはいわば「顔」なのだから、あまり簡単に変えてほしくないなと思った次第。
夏に買ったものには大抵、夏の読書フェアの帯がついている。
これについて少し考えさせられた。
石田衣良は自著のほとんどの帯を自分で手掛けているらしい。
手元で確認したら、3冊が集英社「ナツイチ」の帯になっていた。
他の作品の帯を見ても、コピーが特別に優れているとも思えないのだけど(笑)、それでも作者の何らかの思いが込められているのは間違いなく、ちょっとどうなのかなと考えてしまう。
帯はそのうち元に戻るが、もっと問題なのが表紙だ。
マイ・フェイバリット青春コンテンツでもある村上龍の不朽の名作『69 sixty nine』の表紙が、妻夫木聡と安藤政信に変わっていた。
これにはショックを受けた。
映画化したからといって、これは最悪だろう。
今の表紙でこの作品をはじめて読んだと仮定して、以前の表紙の場合と同じだけ作品を好きになるかどうかは、自信を持てない。
それくらい、あの表紙は作品のイメージと不可分であった。少なくとも自分にとっては。
表紙というのはいわば「顔」なのだから、あまり簡単に変えてほしくないなと思った次第。