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ぷちとまと

FC東京、もう飽きた。

高校野球は誰のものか

2005年09月22日 02時55分28秒 | 雑記
またまた「不祥事」ですよ。
準優勝京都外大西も不祥事 野球部長ら謹慎処分へ (共同通信)

■高校野球の神聖化が疑問視されないことへの疑問

「不祥事→処分または出場辞退」というお決まりのパターンは、何とかならないのだろうか。
いつまでもこんな思想がまかり通るなら、高校野球などなくなった方が世のためだ。
国内最高峰のプロ野球が放送時間を削られてるご時世に、高校野球の放送枠が不可侵だというのも疑問だし、これからの高校野球のあり方を考えるべきだと思う。
少なくとも、処分の基準は他の競技と同等であるべきで(他の競技の基準を知っている訳ではないけど)、高校野球だけを特別に神聖化する必要など、どこにもないはずだ。

■罰することだけが教育なのか

個人的には、不祥事による連帯責任には反対である。
出場資格の取り消しは、集団で薬物を使用した場合など、競技結果に影響を及ぼし得る不正があった時だけでいいのではないかと思っている。
どうしても処分したいのなら、問題のあった人物だけ処分すれば十分ではないか。

たまに聞く「高校野球は教育の一環」もかなり疑わしい。
連帯責任を負うことも教育の一部であることは認める。
では、許すことは教育ではないのかと、教育を振りかざす方々にお聞きしたい。
問題を起こした生徒を仲間がどう受け入れるのか、その学校を世の中がどう受け入れるのか、許すことから学べることだって、たくさんあるはずだ。
誰か分かりやすく説明してほしい。
連帯責任万能論についていけるほど、自分はIQが高くないようなので。

付け加えると、記憶に新しいダルビッシュの喫煙問題。
大多数の高校球児は煙草を吸ってたダルビッシュ君に勝てなかったという事実を受け入れることも教育ではないだろうか。
確かに喫煙は褒められたことではないのかもしれないけれど、それだけで彼の才能や野球への真摯な姿勢を隠蔽してしまうのは本質的ではなく、そんな馬鹿なことをしているのは、おそらく野球に関係のない人だけだと思う。
サッカー選手がマラドーナを悪く言わないのと同じ理屈、と言えば分かるだろうか。(単にタブーなだけかもしれないけれど)

■「クリーンなイメージ」を維持しないと困る人たち

何かあれば連帯責任、そして前時代的な髪型と、高校野球にはクリーンなイメージという胡散臭さがつきまとう。
普通に人生を送っていれば、高校生があんなにクリーンでないことくらい常識だ。
ではあの胡散臭さの実体は何なのか。

まず思い浮かぶのが、高野連と主催新聞社。
「自分たちはこんなにクリーンで素晴らしい大会を主催しています」と世にアピールできるのだから、まあ当然だろう。

次に、なぜか高校野球は神聖で、球児たちはクリーンだと信じたい人たち。
自分のイメージに合わないものは一切受け入れない。排除あるのみ。
そのイメージを守る目的で、自分の直接の利益/不利益に関係ないことにまで口を出す、質の悪い人種だ。
アイドルが「彼氏いませ~ん」って言うのを信じたい人たちだ。
『ちびくろサンボ』を廃刊に追い込むような人たちだ。

そんなにクリーンが好きなら、北朝鮮にでも行けばよい。
体制にとって問題がある人間は粛清されるのだから、社会全体が高校野球みたいなものだ。

■高校野球は誰のものか

上に書いたように、高校野球がみんなのもの、特に高校生のものだとは、とても思えない。
場内アナウンスをしたり、プラカードを持って入場行進すれば、高校生のものだという訳でもない。
高校野球が好きな人たちは、自分たちの手に取り戻そう。
みんなが好きな高校野球は、それほどクリーンを強調する必要はないはずだ。
高校生が野球の試合をすれば、それが高校野球だ。
原点に帰ろう。

●あとがき

高校野球なんて嫌いな自分が、こんな長文を書いたのは、あまりに不毛なニュースが多いから。
興味がない分野でも、どうせなら有意義なニュースを見たいものです。