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ぷちとまと

FC東京、もう飽きた。

人生のテクスト性(笑)

2006年01月22日 03時41分11秒 | 雑記
男性へのアンケートです。
Q1. あなたは今、たいへん魅力的な女性と二人きりです。あなたはその女性とセックスしようと思いますか。
1. しようと思う
2. しようとは思わない
3. わからない
Q2. 前の質問で「1. しようと思う」と答えた方におたずねします。その女性にセックスを拒まれたら、あなたはどうしますか。

滋賀県のN.Oさんの回答
A1. しようと思う
A2. その女を殺す。

大阪府のH.Tさんの回答
A1. しようと思う
A2. 力ずくでセックスしようと試みる。

愛知県のI.Tさんの回答
A1. しようと思う
A2. 相手がセックスする気になるまで待つ。



あるワンシーンで始まった物語は、その後の展開に無限の可能性を秘めている。
いくつもの展開を思いつく作者もあれば、ワンパターンな作者もあるだろう。
物語の価値は、読者/観客/視聴者にインタレストを生じさせたかどうかによって評価されればよいのであり、創り出す展開の数によって決まるのではない。
しかし僕が作者であるなら、できるだけ多くの可能性を模索して、その中から最も面白いものを選びたい。
ワンパターンでつまらない物語など、誰も見向きもしないのだから。

上の文は、「物語」を「人生」に置き換えてもある程度成り立つように書いたつもりである。
つまり、インタレストを持ちうるかという視点で見る限りにおいて、僕は善良であるがつまらないストーリーの語り手よりも、凶悪犯罪者を評価する。



たとえば、ドラマを観て泣く。
人間は、間接的に経験することができる生きものだ。
ひとつ具体的な例を挙げると、人を殺したことがなくても、殺人犯の心理をのぞくことができるのだ。
もちろん実際に人を殺さなければ知りえないこともあろうが、殺人犯を取り上げた物語の作者に「人を殺したことあるのか」などと聞くのは愚の骨頂である。
語り手だけでなく、聞き手にも資質が要求されるのだ。



いい女とセックスする。
男ならたいてい思い描くストーリーだ。
しかし、紋切り型の語り手/聞き手がどれほど多いことか。

したいと思うこと、しようと思うこと、実際にすること。
これらは無関係ではないにせよ、混同すべきではない。
短絡的に結びつけられた展開に、面白みなどあるはずがないではないか。



人と人とのコミュニケーション、それは経験と経験の相互作用でもある。
だから経験豊富な人と付き合うのは楽しく、行動力も想像力もない人と過ごす時間はつまらない。
僕の知っている後者に属する者の罪は間接的な経験への意思を持たない/持てないことであり、傲慢なのか、さもなくば頭が悪いのである。
その者の欺瞞を僕は見逃さない。

僕は欲張りな人間なので、いつも面白い物語を聞きたいし、そして語りたいと思っている。