理想のサッカーと勝利を両立させるのは難しい。
言うまでもないが勝利というのは最大の目的であり、それを目指さないサッカーが面白いはずはない。
サッカーに限らず人生においても、どのような理想を持ち、どのような現実に直面し、理想と現実の間でどのように苦悩して両者の折り合いをつけるのかというのが、それぞれの「生きざま」として現れるのだろう。
一発勝負のトーナメントで行なわれる高校サッカー選手権に、理想とするサッカーで快進撃を続けるセンセーショナルなチームが出現した。
噂の野洲高校をチェックするため、準決勝の多々良学園戦をテレビで観た。
恥ずかしながら、近所の修徳高校の初戦の相手が野洲だと知った時も、僕のアンテナは何も反応していなかった。オランダに範を求める修徳との対決なんて、僕好みの試合を堪能できた可能性が高かったというのに。
準決勝は1-0という結果で、全体的にゲームを支配していたのは野洲だったが、決定的なチャンスの回数はほぼ同じくらいという印象。つまり、どっちが勝っても不思議ではなく、お互いの攻撃の持ち味が存分に発揮された好ゲームだった。観客のどよめきの回数がそれを物語っているだろう。
準決勝を観た限りで得られた野洲の印象は、ショートパス主体で全員がテクニックに自信を持っているということ。それはディフェンダーとて例外ではなく、自陣ゴール前で相手ボールをカットした選手が、安易にロングボールを蹴り出したりせず、いったん相手選手をフェイントでかわす余裕さえ持ち合わせている。
ボールの受け方、持ち方が良くなければできないことで、日々の練習は狭いフィールドでのミニゲームが主体なのだろうということがうかがわれる。
これは口でいうほど簡単なことではない。
プロとアマチュアを比較してもあまり意味のあることではないが、2003年あたりのFC東京が余裕のある状況でこういうサッカーをしてみせた時に10分と継続できなかった事実が、野洲の理想のサッカーへの徹底ぶりを物語っている。
野洲高校の快進撃に添えられるトピックは、レスリング出身という山本監督の異色のキャリア。
サッカーファンとしては、「サッカー一筋○十年」という指導者の誰一人としてこのような魅力的なサッカーを実現しなかったことは残念ではあるが、このような人が転身してきたことがサッカー界にとっての救いであると信じたい。
ドーハの悲劇以後、日本サッカー―特に代表チーム―には、まるで国家プロジェクトであるかのごとく、とにかく結果を出すことが求められた。1998年ワールドカップフランス大会への出場と2002年の地元開催のワールドカップでの決勝トーナメント進出という、悲願ともいえる目標があったのだから、それも当然のことだ。
だが、そのドーハ~2002年の間に飛躍的にサッカーファンが増加した結果、いつまでもそういう視点でしか見られないファンが多過ぎるのではないかと思う。
2002年6月のトルコ戦の終わりをもって、日本サッカーの高度成長はいったん終焉を迎え、以後はコンテンツの充実が求められる時期が来ていたというのに。
ファンの目が肥え、それぞれの楽しみ方を覚えることも、サッカー界の発展には重要なのだ。
決勝で野洲が挑むのは名門鹿実。
都合でテレビでしか観戦できないのが残念だけど、もしかすると何十年か後、この試合が日本サッカーのターニングポイントだったと語り継がれるようになるのではないかというかすかな期待を胸に、僕はこのゲームをとても楽しみにしている。
言うまでもないが勝利というのは最大の目的であり、それを目指さないサッカーが面白いはずはない。
サッカーに限らず人生においても、どのような理想を持ち、どのような現実に直面し、理想と現実の間でどのように苦悩して両者の折り合いをつけるのかというのが、それぞれの「生きざま」として現れるのだろう。
一発勝負のトーナメントで行なわれる高校サッカー選手権に、理想とするサッカーで快進撃を続けるセンセーショナルなチームが出現した。
噂の野洲高校をチェックするため、準決勝の多々良学園戦をテレビで観た。
恥ずかしながら、近所の修徳高校の初戦の相手が野洲だと知った時も、僕のアンテナは何も反応していなかった。オランダに範を求める修徳との対決なんて、僕好みの試合を堪能できた可能性が高かったというのに。
準決勝は1-0という結果で、全体的にゲームを支配していたのは野洲だったが、決定的なチャンスの回数はほぼ同じくらいという印象。つまり、どっちが勝っても不思議ではなく、お互いの攻撃の持ち味が存分に発揮された好ゲームだった。観客のどよめきの回数がそれを物語っているだろう。
準決勝を観た限りで得られた野洲の印象は、ショートパス主体で全員がテクニックに自信を持っているということ。それはディフェンダーとて例外ではなく、自陣ゴール前で相手ボールをカットした選手が、安易にロングボールを蹴り出したりせず、いったん相手選手をフェイントでかわす余裕さえ持ち合わせている。
ボールの受け方、持ち方が良くなければできないことで、日々の練習は狭いフィールドでのミニゲームが主体なのだろうということがうかがわれる。
これは口でいうほど簡単なことではない。
プロとアマチュアを比較してもあまり意味のあることではないが、2003年あたりのFC東京が余裕のある状況でこういうサッカーをしてみせた時に10分と継続できなかった事実が、野洲の理想のサッカーへの徹底ぶりを物語っている。
野洲高校の快進撃に添えられるトピックは、レスリング出身という山本監督の異色のキャリア。
サッカーファンとしては、「サッカー一筋○十年」という指導者の誰一人としてこのような魅力的なサッカーを実現しなかったことは残念ではあるが、このような人が転身してきたことがサッカー界にとっての救いであると信じたい。
ドーハの悲劇以後、日本サッカー―特に代表チーム―には、まるで国家プロジェクトであるかのごとく、とにかく結果を出すことが求められた。1998年ワールドカップフランス大会への出場と2002年の地元開催のワールドカップでの決勝トーナメント進出という、悲願ともいえる目標があったのだから、それも当然のことだ。
だが、そのドーハ~2002年の間に飛躍的にサッカーファンが増加した結果、いつまでもそういう視点でしか見られないファンが多過ぎるのではないかと思う。
2002年6月のトルコ戦の終わりをもって、日本サッカーの高度成長はいったん終焉を迎え、以後はコンテンツの充実が求められる時期が来ていたというのに。
ファンの目が肥え、それぞれの楽しみ方を覚えることも、サッカー界の発展には重要なのだ。
決勝で野洲が挑むのは名門鹿実。
都合でテレビでしか観戦できないのが残念だけど、もしかすると何十年か後、この試合が日本サッカーのターニングポイントだったと語り継がれるようになるのではないかというかすかな期待を胸に、僕はこのゲームをとても楽しみにしている。