そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

エラい!!!

2008-03-24 23:45:29 | 雑感
ある程度の大きさの「何か」を創り上げた人は、掛け値無しにエラいと思います。心の底からそう思う。

簡単だけどおいしい料理を作る人、拙いけれど一つの絵を描き上げる人、一つの製品を作り上げた人、あるいは一つの小説を書き上げた人。

ワタシはそんな人たちを本当にエラいと思っています。

ごはんを食べるとき、絵を眺めるとき、何かの製品を使うとき、そして物語を読むとき。どんなものであっても、そんな思いを直接言う機会はないけれど、いつもそう思っています。

大阪で暮らした学生時代に、一番好きになった言葉・音は「エラい」というものでした。

「エラい」と発音された音は、状況次第でたくさんの意味になります。例えば、「エラい早いやんけ」というように、この音は時に「とても」という意味になります。また、その「エラい」という言葉は時には「疲れる・しんどい」という意味に響くこともあります。例を挙げれば、「エラい目にあったわ!」という具合。もちろん、その「エラい」という音が「偉い」という意味に聞こえることもあります。同じ発音の「エラい」という言葉が、こんな多くの意味を持つ。

ある程度の大きさの「何か」を創り上げた人、あるいは、そこに伴う作業をワタシは「エラい」という音が持つあらゆる全ての意味において「エラい」と心から信じます。

「エラいエラい作業をエラいこと続け、ちゃんと形にするなんてエラいエラいなぁ」と思います。


論文を書き上げた卒業生の皆様。関西弁のイントネーションでお願いいたします。

アンタはエラい!!!

卒業式の日に見上げたもの

2008-03-24 00:46:04 | 雑感
ワタシは大阪の大学に修士も併せて6年間在籍したんですけど、修士の卒業式(正しくない言い方ですけどこう呼んでおきます)の日まで、吹田市の万博記念公園にある「太陽の塔」をじっくりと見たことがありませんでした。

何度か万博記念公園に遊びに行き、入り口からすぐの正面にドデカイのが立っているのを視界の端にとらえてはいたんですが、じっくり見たことがない。

と言いますのも、1981年生まれのワタシにとって、70年万博すらおとぎ話の世界でしかないからです。万博のシンボルたる「太陽の塔」も、物語に添えられたキャラクターでしかなかったのです。役目を終えたキャラクターは「玉手箱を開けた後の浦島太郎」のように過去だけを背負えばよく、それでもまだ在り続ける姿から、「時代にこびり付いた寂しい垢」なんだろう、と。

その日までワタシはそんな風に勝手に考えていました。

今からちょうど2年前の3月24日(だったと思います)。院の卒業式が終わって、帰りのモノレールの混雑ぶりが酷かったので、混雑を避けるため友人のY君と一緒に、式場からわりと近くにある万博記念公園へ時間つぶしに向かいました。

式に出た時のスーツ姿で、塔の手前でボンヤリと塔を眺めていますと、しかめっ面をしている灰色の顔と目が合いました。



白くてドデカイ身体、というよりも「肉体」と表現すべきフォルムは、そのもの自体には人間らしいところが無いにもかかわらず、よくあるブロンズ彫刻よりもよほど肉感を感じました。

ワタシが生まれる前からそこに在り、万博というイベントと切り離された後でもその物理的存在は揺らいでいませんでした。「そんな時代もあったよね・・・」という、過去の確認作業以外の価値が、確かにその塔は湛えていました。

伝統は、価値の変遷が築きます。

芸術は創られた当初から伝統を背負っていたわけではありません。宗教の道具として、権力者の栄華の象徴として、時代の熱情の表象として、破壊や憎悪の対象として、長い年月を経つつ、時代や文化の流れに応じて役割や意味を変動させてきたからこそ、現在まで生き延びてきたからこそ「伝統」という重みを身にまとったのです。もし一つの時代にとっての一つの価値しか持てないようなものであれば、その時代の終焉とともに滅び去っていたに違いありません。

変わり続けるであろう価値の視線に対し、様々な表情を持った太陽の塔は、一過性ではない長い文化の意味をワレワレに問いかけ、なおかつ自らも伝統になることの自負を示しているようでした。「伝統」は「伝統」として在るわけではなく、その瞬間も「新たな伝統」に変化し続けている事実を、太陽の塔は雄弁に語っているようでした。


ワタシが大学に入る前から太陽の塔はそこに在り続けていました。

さて、ワタシは先輩方から受け継いだ伝統を新しく作り変え、後輩達に伝えることができただろうか?青空の中どすんとそびえる塔を眺めながら、そんなことを考えました。
(少なくともその日の夜はどうしようもないダメな先輩だったなぁ)

それでもワタシの大学院卒業とは関係なく、太陽の塔はそこに在り続けているようです。


「太陽の塔」は、今、どんな表情をしているだろうか・・・。