そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

道徳は神や宗教から独立している

2008-03-11 22:52:43 | 雑感
前々回の続き。善悪の判断基準に神は必要か?

「『殺すな』とか『盗むな』など、道徳の原則は命令形をとる。この命令は人間が定めたものではない。神様が人間に与えた命令なのだ」
という意見があります。

この主張の問題点は、
「じゃあ何でワレワレ人間は神様の命令に従わなければならんのか?」
という疑問に答えられないことですね。命令があるからといって義務は必ずしも発生しない。

「神様の定めた命に背いた場合、罰を与えられる。その罰が恐いからワレワレは善を為そうとする動機となるのだ」
という意見もあります。

でも別に無神論者でも道徳的に正しく振舞っていますし、むしろ神様を信じる人のほうが神様を否定する人に対して暴力的であったことを歴史は語っています。十字軍、異端審問、テロリズム。神様を信じない人間は人間でなく、ムシケラのようにブチ殺されて当然なのだ・・・そんな発想。自分が正しいと思い込んだときから人間は野蛮で残虐で非寛容になります。単純に神様が恐いから正しいことをする人間は、道徳的に価値が高い人とは言えません。

そもそも、人間はどの宗教を受け入れるかを、いずれかのタイミングで決意する必要があります。その決断のときには宗教とは関係のない個人的な趣向が介在せざるをえないのです。

例えば、ある人が仏教よりもキリスト教の方が道徳的に優れていると感じてキリスト教を信じ始めたとします。では、その人は何を基準にして仏教よりキリスト教の道徳観が優れていると感じたのでしょうか?異なる価値観を統一的に測る基準は、仏典や聖書にはなく、自分の善悪の判断のみです。入信する前に獲得していた善悪の価値観に頼って判定する。自分の価値観で道徳観の優劣をつけた時点で、その宗教の善悪は恣意的なものになってしまうのです。

以上、道徳は神様と宗教に依存しているわけではありません。神様なしでも道徳的な価値は存在します。宗教が範を垂れなくても、ワレワレは善き存在でいられるのです。