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善悪を決める神

2008-03-10 22:05:47 | 雑感
道徳には神や宗教が必要だという意見を耳にします。先日もそんな話を聞かされました。

神のような「絶対者」なしに道徳の規則を定めると、「善」と「悪」について語るとき、主観的な好みに左右されてしまうからだと言います。

例えば、Aさんは「殺人は善だ」と言いました。一方Bさんは「殺人は悪だ」と言いました。Aさんにとっては殺人は善であり、Bさんにとっては殺人は悪なんだってさ。

・・・って、道徳はそんな相対的なものではないはずです。AさんやBさんが何と言おうと殺人は悪なのです。ワレワレが何と言おうと殺人は悪。

つまり殺人には元来「悪」という特性が備わっており、ワレワレが悪だと宣言するから悪なのではない。ワレワレが殺人に「悪」という特性を与えたのではない。

では誰が殺人に「悪」という特性を与えたのか?ワレワレではない、とするならば、そりゃもう「神様」しか残ってないでしょうよ。

以上、道徳の基準は神が定めることの証明でした。

・・・と同時に、殺人に元来「悪」という特性が備わっていることから、神様の存在が証明されたこととなります。神様は存在する!?

この証明はわりと人気が高くて、ドストエフスキーやサルトルも支持していました。

でもよく考えてみますと、以上の話、やっぱりおかしいんです。どこがおかしいかと言いますと、殺人が元来「悪」という特性を備えているのなら、別に神様が「殺人は悪」なんて太鼓判を押さなくても悪なんですよ。神様が出しゃばる必要性など全くない。

では神様が「殺人は悪だ」と宣言したから殺人に悪という特性が備わった、と考えればどうか?元々善でも悪でもなかった殺人を、神様が「悪」だと言ったから悪になった。こう考えれば、神様は重要な役割を果たす存在として必要不可欠になります。

ですがその場合は、先の「善悪は好みの問題じゃない」という反論が神様にも妥当してしまいます。

神様が自分の趣味で「豚肉を食べるのは悪」とか「殺人は悪」とか決めたのであれば、神様の好みによって善悪が決めつけられてしまった、ということになります。神様の趣味が悪ければ、殺人が善に決めつけられ、ワレワレはお互いに殺し合う世界になっていたのか?
(´・ω・`)ンナアホナ

もちろん
「善なる神様が『殺人を善』だと決めるわけがないだろ?」
という反論もできます。

はいはい、「自分は善だ」なんて言ってた麻原彰晃なんて神様もいましたっけね。自分で「自分は善だ」と言うことは根拠付けになりません。では「善なる神様」とやらは、誰に「こいつは善だ」とお墨付きをもらったのでしょうか?

道徳は神に依存している、という考え方は説得力がないのです。


この「善悪は神様が定めたものか」というお話はまだ続きがありそうなので、今回はこの辺で。

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