ご機嫌公論

フリーランスのライター兼編集者・ロイ渡辺のBLOG。
締め切り間際に更新されていても、それはあくまでも「息抜き」。

繊細さ、というものについて

2005-05-03 12:53:25 | Weblog
唐突なんですけれども。
「繊細さ」という言葉は
なんだか曲がって使われているんじゃないか
と思う今日この頃です。
いかがお過ごしですか。

繊細、の原義についてはgooの辞書によると、こうなっています。
ここで注目していただきたいのは、
どこにも「もろさ」や「脆弱さ」についての言及がないこと。
そう、繊細は、その細やかな状態を指しているのであって
「壊れることを前提とした危なっかしさ」とは
別の次元にある、ということです。
繊細さ=弱々しい=扱いづらい
的な使われ方に、常々疑問符を感じていたオレとしては
この辞書の記載に意を強くしたりするわけです。

そして、先ほどのページの左側にあるリンクを
ポチっとなっと押しますと、こんなことが載せられています。

「繊細さの精神」
パスカルの考えた人間精神の類型の一。
多数のこまかな原理を一挙にとらえるしなやかな精神。

ええこと言うやないですか、パスやん!
そうなんですよ。
まさに我が意を得たり、です。

オレの思う「繊細さ」って
分かりやすいからって
検証もせずに安易な結論には飛びつかず、
人を傷つけるがさつさに背を向けて、
しかし弱々しさの言い訳にもせず、
排他よりも許容に力を注ぐ、
そんな状態ではなかろうか、と。

今まで、いろんな人から
「繊細すぎるんじゃん?」と
半ば苦笑を浮かべながら言われたことのあるオレとしては
これからは「いいじゃんよー、繊細」と、
開き直ったままで生きていこうと思います。

ただし。
「繊細さ」はヒゲヅラには似合わない、
というもっともな指摘は
「高いよね、富士山!」クラスの
言わずもがなかつヒネリ無しの指摘である、
と言い置いておきましょう。

あらあらかしこ。