……多分、コレまで会ったことのある男性で
彼くらい綺麗な人をオレは知りません。
そして「俳優ってなんだ?」と、考えさせられる人でもあります。
最初に会ったのは、96年。
北野監督作品『キッズ・リターン』のパブ取材でした。
松竹の横の公園で、共演の金子くんと一緒に、
自転車に乗ってもらったり、弁当食ってもらったり。
その後、ちょっと間を空けて
00年『スペーストラベラーズ』、『バトル・ロワイアル』
01年『サトラレ』、『RED SHADOW~赤影』と
立て続けに取材をしました。
これって、とても稀なことなんですね。
だからまぁ、印象深いし肩入れもしちゃうんですが。
彼は「役を入れる、役を出す」ということを
どうしてもしてしまうタイプの役者さんだと思います。
自分の中に役を入れる、それをフィルムが回っているときに出す。
器用か不器用かは何とも言い切れないけど。
映画という長期にわたる撮影でそれをしてしまうと、
役者はかなりヘヴィになってしまうようです。
『バトル・ロワイアル』のときは、こんなことを言ってました。
「毎日、人を殺すことばかり考えてるから、辛い」
そのときの役は冷徹な殺人者・桐山。
作品の中の「不条理」を体現する役どころ。
役の頻繁な出し入れが、どんどん重荷になっていた感じだったのを覚えています。
思い返せば、最初の取材でじゃれ合う友だち同士、
みたいな写真をセッティングしたときにも、自分で絵を作ったあと、
「シンジ(役名)っぽい?」と出来を聞いてきたような気がします。
このときからすでに「役を入れる、役を出す」みたいなことを
していたんだなぁ、と思います。
最後の取材になった『赤影』のときは、
さすがに間を置かずの取材だったので、安藤君もオレを覚えていたみたいで。
カメラマンに雰囲気を指示して
服に付いたゴミを取ったりしてたら、
「この人さぁ、うるさいんだよねえ」
なんてことをニヤニヤ笑いながら、ぼそっと。
「きちんと役を出して写るからさ、うるさいこと言うなよ」と
言外に言ってたのかもしれません。
だから、オレも言い返したものです。
「いいから、取材中に、ソファに寝ころぶなよ!」
彼くらい綺麗な人をオレは知りません。
そして「俳優ってなんだ?」と、考えさせられる人でもあります。
最初に会ったのは、96年。
北野監督作品『キッズ・リターン』のパブ取材でした。
松竹の横の公園で、共演の金子くんと一緒に、
自転車に乗ってもらったり、弁当食ってもらったり。
その後、ちょっと間を空けて
00年『スペーストラベラーズ』、『バトル・ロワイアル』
01年『サトラレ』、『RED SHADOW~赤影』と
立て続けに取材をしました。
これって、とても稀なことなんですね。
だからまぁ、印象深いし肩入れもしちゃうんですが。
彼は「役を入れる、役を出す」ということを
どうしてもしてしまうタイプの役者さんだと思います。
自分の中に役を入れる、それをフィルムが回っているときに出す。
器用か不器用かは何とも言い切れないけど。
映画という長期にわたる撮影でそれをしてしまうと、
役者はかなりヘヴィになってしまうようです。
『バトル・ロワイアル』のときは、こんなことを言ってました。
「毎日、人を殺すことばかり考えてるから、辛い」
そのときの役は冷徹な殺人者・桐山。
作品の中の「不条理」を体現する役どころ。
役の頻繁な出し入れが、どんどん重荷になっていた感じだったのを覚えています。
思い返せば、最初の取材でじゃれ合う友だち同士、
みたいな写真をセッティングしたときにも、自分で絵を作ったあと、
「シンジ(役名)っぽい?」と出来を聞いてきたような気がします。
このときからすでに「役を入れる、役を出す」みたいなことを
していたんだなぁ、と思います。
最後の取材になった『赤影』のときは、
さすがに間を置かずの取材だったので、安藤君もオレを覚えていたみたいで。
カメラマンに雰囲気を指示して
服に付いたゴミを取ったりしてたら、
「この人さぁ、うるさいんだよねえ」
なんてことをニヤニヤ笑いながら、ぼそっと。
「きちんと役を出して写るからさ、うるさいこと言うなよ」と
言外に言ってたのかもしれません。
だから、オレも言い返したものです。
「いいから、取材中に、ソファに寝ころぶなよ!」