さて、私が務めている塾も、3月から新年度に入っています。
昨今は、行き帰りの生徒の安全というのが問題になっています。しかし、いくらなんでもこれはないだろうという事件を紹介しておきます。朝鮮日報から。
中3男子、フラれた腹いせに放火
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/20/20070320000036.html
(以下引用)
光州南部警察署は20日、女友達が誘いを断ったという理由で学習塾に放火した光州某中学校3年A少年(14)を放火未遂容疑で身柄を拘束、現在取り調べを行っている。
この少年は19日午後8時50分頃、同じ学習塾に通う女子生徒からデートの誘いを断られたことに腹を立て、光州南区の学習塾の窓にトイレットペーパー挟み、放火したところを講師に発見された。
警察の調べによると、少年は今月9日にも放火未遂事件を起こしており、誘いを断った女子生徒を脅すため、これまでにも事件をおこしていたことが分かった。
(引用以上)
さる国の放火というのは、もはや「風物詩」「民俗行事」と化しているという感があります。●こちらのサイトを見るとよくわかりますが、
「ライターを売ってくれないので、中学生が放火」
「喧嘩して妻が逃げたので、自宅に放火」
など、日本では考えられない事例が多発しています。
この国の人間には観光ビザが免除されているようですが、神社や日の丸を掲揚している建物に放火してもらいたくはないものです。
さて、今回は、勉強についての話です。私が塾で政治関連のヨタ話ばかりしているわけではない(笑)ことを知っていただければと思います。
どうも、受験勉強の世界は、真偽を検証されることなく流通している迷信が多いような気がします。その最たるものは、
「社会は暗記物である」
という言葉でしょう。
この言葉にも、一応の「論拠」はあります。すなわち、社会の入試問題で問われるのは知識のある・なしなので、結局それを沢山覚えた人間が点数を取れる、ということです。
しかし、この考えは重大な誤解が前提になっています。それは、「暗記」と「記憶」をごっちゃにしている点です。
暗記というのは、たとえて言えば、接着剤で壁にものを貼り付けることと似ています。確かに頭の中に一定の時間留まりはするのですが、何か少し違うことをすると簡単に剥がれてしまうわけです。
私は英語の熟語のテストなどを、別の科目の授業をやった後に実施することが多いのですが、それを宣言すると必ず生徒がブーブー不満を口にし始めます。
彼彼女らの言いたいことは、要するに「早くしないと忘れちゃう」ということです。直前に暗記しているから、早いこと吐き出してしまわないと忘れるわけです。これでは意味がありません。
これに対して、記憶というのは、頭の中にある物事がボルトで固定されたような状態とでも言えばいいのでしょうか。何かのきっかけさえあれば、簡単に思い出すことが出来ます。
当然ですが、物事を覚えるときは、「記憶」した方がいいに決まっています。ところが不思議なもので、勉強が苦手な人ほど暗記に頼ろうとする傾向があるのです。そうして、ますます出来なくなっていくのです。社会に限らず、理科の知識や、数学の解き方などもそういうことがあります。
では、どうすれば「記憶」という状態に持っていくことができるのか。ここがわかれば、暗記に頼っている人間を大きくリードすることができます。
まず、一番重要なのは覚えるべきものの意味を知ることです。
英語の単語が一番良い例でしょう。複雑そうな単語、長い単語は覚えづらいと思われがちですが、アルファベットの塊に特定の意味が伴っていることがよくあります。いくらなんでもbatやstudyなどといった単語までそうしろとはいいませんが、beautifulなら「beauty(美)」が「full(いっぱい)」、comfortableやportableのableは「できる」などがそうです。
そういう意味をいちいち取り上げたり調べたりする方が時間がかかるじゃないかという方もいるかもしれませんが、意味が分からずに覚えるとかなり頭に負担がかかることを忘れてはいけません。丸暗記の方がよほど時間がかかります。
社会の勉強でも、やはり意味をいちいちかみしめる必要があります。「大化の改新」なら、どうして皇族方が蘇我氏を暗殺しなければならなかったか、「北陸地方は水田単作地帯」なら、なぜ新潟では他の作物が作りにくいのか、簡単でもいいから知っておくべきです。
本当に親切な先生というのは、自分の好き嫌いに偏ることなく、そういう物事の意味をわかりやすく説明してくれる先生です。そういった説明をちょっとメモしておく方が、黒板に書かれた文字を写す作業より何十倍も意味があります。
興味がないことに意味を見いだすのはなかなか苦痛ですが、そういうときにはわざとでもいいから「ふーん」「なるほど」「そうなんだ」と思う(できたら口に出す)ことで、自分をだます(笑)というのが有効です。そのうち、その気になってくることが結構あります。
とにかく、初めから遠ざけないことです。そういう姿勢を直さずに、後から変な暗記勉強をするくらいなら、勉強などしない方がましです。
次に、知識と知識のつながりを重視することが必要です。
よく思うのですが、勉強が下手な人ほど「コンピューターの真似」をしています。
コンピューターというのは、あらゆるデータを「逐一検索」しています。たとえて言えば、トランプの神経衰弱で、一番端っこのトランプから一番手前のトランプまで、全てのトランプをめくっていって、条件に合うカードを見つけ出しているようなものです。
勉強でこれと似ているのが、「一問一答」です。みなさんも使ったことが一度はあるでしょう。左側に「不平士族に担ぎ出されて西南戦争を起こした人物は誰か」という問題があって、右に「西郷隆盛」という答えが出ているあれです。
後で述べるように、これは全く無意味ではないのですが、初めからこれを使ってしまうと非常に効率が悪くなります。知識を「逐一検索」している状態になるので、角度を変えた出題をされてしまうと、すぐに思い出せなくなってしまうのです。それに、だいたい一個一個の知識がどこに位置づけられているかわからないまま、問題を解けるのでしょうか。そういう覚え方は避けるべきです。
ものを覚えるときは、必ず他の事柄と関連づけて覚えなくてはいけません。具体的には、一つの知識を覚えるときは必ず関連する複数の知識に目を通し、その間のつながりを確認する作業を入れることです。
たとえば、「南北朝を統一した人物は誰か」という問いがあって、「足利義満」と答えられることにはあまり意味がありません。足利義満のように、教科書で写真付きで紹介されるような歴史上の有名人であれば、複数の業績を挙げているのが普通だからです。
そうするくらいなら、初めから「足利義満がやったことを5つ挙げよ」とでもメモしておいて、その横に
①南北朝統一
②京都室町に「花の御所」を建設
④明との間で勘合貿易を開始
④金閣
⑤能の世阿弥を後援
とでも書いておく方がいいでしょう。そして、とどめに、
「日本をまとめた後、貿易で金儲け、そのカネで北山文化をプロデュース」
などとメモしておけば完璧でしょう。この一言で、5つの事柄にハッキリしたつながりが見えてくるからです(歴史学の観点から見ればどうかとは思いますが・・・)。そう考えてみると、一番初めに挙げた「意味を知る」ことと余り大差がないのかもしれません。
そこまで面倒くさくで出来ない!!という人に、いい方法を教えましょう。
知識と知識のつながりがちゃんと書いてあるものがあるのです。学校の教科書です。
歴史や公民は、この方法がかなり使えます。特に歴史は、きちんとした文脈に従って整理されています。だから、何か覚える時には、必ず教科書の何処にその知識が書いてあるのか確認する(できれば印を付ける)ようにするといいでしょう。あるいは、上のようなメモ書きを作るときに、教科書に書いてある文章をパクってくるという使い方もあります。
「ニューコース」のような学習参考書や、塾のテキストでもいいのですが、初めから簡略化してしまっていることが多いので、前後のつながりがかえってわかりにくくなっています。普段の勉強には使わない方がいいでしょう。
地理の教科書は情報量が少なすぎるので、出来れば地図帳を使う方がいいでしょう。受験用の地図帳(「受験対応」と書いてあるもの)なら、関連知識のイラストや図表が挟まれているので、一緒に見ておくとかなり効果的です。歴史で有れば、年表で出来事や人物を確認するのもいいですね。
とにかく、同時代、同地域の何かと関連づけて覚えることが大事です。
また、覚える対象を全体として把握することを意識すべきです。
塾の先生でも学校の先生でもそうですが、「本当にこの人お金もらってんのかな」と言いたくなるような人がいます。大抵は何を言っているのかよくわからない人です。 あるいは、いつもいつも授業時間をオーバーしている先生もいます。学校で言えば、中学2年生の2月になってまだ江戸時代の中頃のことを喋ってる社会の先生といったところでしょうか。
この両者に共通しているのは、初めから詳しく取り扱いすぎていることです。入試問題を見ればわかりますが、「卑弥呼」や「縄文時代の生活」などというものはほとんど出ません。●学習指導要領でも、「古代」の目標事項が4つしかないのに対して、「近現代」のところは8つもあります。当然、後者の方が重視されているのです。だから、縄文時代や弥生時代でウネウネと細かい話をしている暇など本来ならないはずなのです。
まあ、だからといって日教組教員(狂員)が近現代史の暗い部分の「解説(怪説)」に恐ろしいまでの情熱を傾けているのも勘弁願いたいものですが・・・。
話し下手、授業下手も、全体の中での位置づけを意識していないという点では同じです。
勉強も同じです。下手の横好きにならないよう、以下のように心がけるべきでしょう。
(1)まず、できるだけ早く全体を終えるようにする
(2)細かい知識はとりあえず置いておく
(1)について言うと、一回目の勉強は、全ての範囲に、一応目を通したという状態を作れれば十分です。後述するように、どうせ何度も繰り返すものですから、一度目は「こういうこともあるのか」程度でおしまいにしておくべきです。
(2)については、(1)が出来ていない以上は、細かいことを覚えても無駄だということです。車のボディが出来ていないのに、高額のカーオーディオやカーナビを揃えても意味がないのと同じです。
具体的には、科目全体を網羅した薄い問題集を使うといいでしょう。このとき、後でやり直したとき役に立つように、間違ったりすぐに思い浮かばなかったりした問題に印を付けておくとよいです。
それ以前に全く知識がない場合は、教科書の太字の所だけを読んでいくという手もあります。数学ならば、例題だけをどんどん解いていくことがこれに当たります。
とにかくこの段階では、「覚えていないのではないか」と疑わないことが重要です。
そして、一巡目が終わったら、すぐ二巡目に入ります。
今度は、一巡目で出来が悪かった箇所(印が付いているはず!)を中心に問題を解いていきます。分からなかったところは自分の弱点ですから、手で書いてみたり、カードに記録しておくなどして、3回目に当たったら解けるようにしておくことが重要です。
注意すべき事としては、上に挙げたような作業は直前に慌てて始めても全く意味がないということです。
慌ててやるから、しっかり覚えられなくて、暗記に頼るようになるのです。逆に言えば、記憶するためには、覚える作業をしながら、ある程度の時間を重ねることが必要なのです。
私はもう司法試験の勉強をやめてしまいましたが、今になって「あ!この条文は、こういう時に使えばいいんだ」とか「こんな細かいことを覚えていたけど、要するにこことここさえわかっていればよかったんだな」と思うことが結構あります。
そう思えるようになったのは、時間を置いて、覚えたものを醒めた目でとらえ返すことができるようになったからでしょう。そういう腑に落ちるような瞬間があると、なぜか記憶が鮮明になったりします。時には、その知識を覚えたとき、どんな服を着ていたとか、誰それの顔が思い浮かんだとか、そういうことも一緒に思い出せるくらいです。
おそらく、脳の中で、無意識に整理のような作業が行われているのでしょう。しかし、それはホットな状態では難しいことでもあります。
だから、直前と言われるような時期になる前に、何度かヤマを作って、そこまでに必要な知識を叩き込んでおくようにすべきなのです。そして、直前にはそういう知識に漏れがないかをチェックしていくわけです。
先に挙げた「一問一答」というのは、こういう時にこそ使うべきです。旺文社や代ゼミ当たりが出している英単語集なんかもそうです。最後に、「こういうこともあったよね」的に振り返る材料として使うべきなのです。
もちろん、その場合でも、以前からやってきた問題集や、昔まとめたメモやノートを読み直すことの方が大切です。
少しは参考になったでしょうか?
<関連記事>
こんなノートは命取り!!
http://blog.goo.ne.jp/roro_football-lover/e/086d94cae3d2694088fd6d96ec5814d5
事務処理能力アップ講座~受験と仕事は同じ!!
http://blog.goo.ne.jp/roro_football-lover/e/e1fcdf9fccbf3909cc37a4c672467bc2
昨今は、行き帰りの生徒の安全というのが問題になっています。しかし、いくらなんでもこれはないだろうという事件を紹介しておきます。朝鮮日報から。
中3男子、フラれた腹いせに放火
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/20/20070320000036.html
(以下引用)
光州南部警察署は20日、女友達が誘いを断ったという理由で学習塾に放火した光州某中学校3年A少年(14)を放火未遂容疑で身柄を拘束、現在取り調べを行っている。
この少年は19日午後8時50分頃、同じ学習塾に通う女子生徒からデートの誘いを断られたことに腹を立て、光州南区の学習塾の窓にトイレットペーパー挟み、放火したところを講師に発見された。
警察の調べによると、少年は今月9日にも放火未遂事件を起こしており、誘いを断った女子生徒を脅すため、これまでにも事件をおこしていたことが分かった。
(引用以上)
さる国の放火というのは、もはや「風物詩」「民俗行事」と化しているという感があります。●こちらのサイトを見るとよくわかりますが、
「ライターを売ってくれないので、中学生が放火」
「喧嘩して妻が逃げたので、自宅に放火」
など、日本では考えられない事例が多発しています。
この国の人間には観光ビザが免除されているようですが、神社や日の丸を掲揚している建物に放火してもらいたくはないものです。
さて、今回は、勉強についての話です。私が塾で政治関連のヨタ話ばかりしているわけではない(笑)ことを知っていただければと思います。
どうも、受験勉強の世界は、真偽を検証されることなく流通している迷信が多いような気がします。その最たるものは、
「社会は暗記物である」
という言葉でしょう。
この言葉にも、一応の「論拠」はあります。すなわち、社会の入試問題で問われるのは知識のある・なしなので、結局それを沢山覚えた人間が点数を取れる、ということです。
しかし、この考えは重大な誤解が前提になっています。それは、「暗記」と「記憶」をごっちゃにしている点です。
暗記というのは、たとえて言えば、接着剤で壁にものを貼り付けることと似ています。確かに頭の中に一定の時間留まりはするのですが、何か少し違うことをすると簡単に剥がれてしまうわけです。
私は英語の熟語のテストなどを、別の科目の授業をやった後に実施することが多いのですが、それを宣言すると必ず生徒がブーブー不満を口にし始めます。
彼彼女らの言いたいことは、要するに「早くしないと忘れちゃう」ということです。直前に暗記しているから、早いこと吐き出してしまわないと忘れるわけです。これでは意味がありません。
これに対して、記憶というのは、頭の中にある物事がボルトで固定されたような状態とでも言えばいいのでしょうか。何かのきっかけさえあれば、簡単に思い出すことが出来ます。
当然ですが、物事を覚えるときは、「記憶」した方がいいに決まっています。ところが不思議なもので、勉強が苦手な人ほど暗記に頼ろうとする傾向があるのです。そうして、ますます出来なくなっていくのです。社会に限らず、理科の知識や、数学の解き方などもそういうことがあります。
では、どうすれば「記憶」という状態に持っていくことができるのか。ここがわかれば、暗記に頼っている人間を大きくリードすることができます。
まず、一番重要なのは覚えるべきものの意味を知ることです。
英語の単語が一番良い例でしょう。複雑そうな単語、長い単語は覚えづらいと思われがちですが、アルファベットの塊に特定の意味が伴っていることがよくあります。いくらなんでもbatやstudyなどといった単語までそうしろとはいいませんが、beautifulなら「beauty(美)」が「full(いっぱい)」、comfortableやportableのableは「できる」などがそうです。
そういう意味をいちいち取り上げたり調べたりする方が時間がかかるじゃないかという方もいるかもしれませんが、意味が分からずに覚えるとかなり頭に負担がかかることを忘れてはいけません。丸暗記の方がよほど時間がかかります。
社会の勉強でも、やはり意味をいちいちかみしめる必要があります。「大化の改新」なら、どうして皇族方が蘇我氏を暗殺しなければならなかったか、「北陸地方は水田単作地帯」なら、なぜ新潟では他の作物が作りにくいのか、簡単でもいいから知っておくべきです。
本当に親切な先生というのは、自分の好き嫌いに偏ることなく、そういう物事の意味をわかりやすく説明してくれる先生です。そういった説明をちょっとメモしておく方が、黒板に書かれた文字を写す作業より何十倍も意味があります。
興味がないことに意味を見いだすのはなかなか苦痛ですが、そういうときにはわざとでもいいから「ふーん」「なるほど」「そうなんだ」と思う(できたら口に出す)ことで、自分をだます(笑)というのが有効です。そのうち、その気になってくることが結構あります。
とにかく、初めから遠ざけないことです。そういう姿勢を直さずに、後から変な暗記勉強をするくらいなら、勉強などしない方がましです。
次に、知識と知識のつながりを重視することが必要です。
よく思うのですが、勉強が下手な人ほど「コンピューターの真似」をしています。
コンピューターというのは、あらゆるデータを「逐一検索」しています。たとえて言えば、トランプの神経衰弱で、一番端っこのトランプから一番手前のトランプまで、全てのトランプをめくっていって、条件に合うカードを見つけ出しているようなものです。
勉強でこれと似ているのが、「一問一答」です。みなさんも使ったことが一度はあるでしょう。左側に「不平士族に担ぎ出されて西南戦争を起こした人物は誰か」という問題があって、右に「西郷隆盛」という答えが出ているあれです。
後で述べるように、これは全く無意味ではないのですが、初めからこれを使ってしまうと非常に効率が悪くなります。知識を「逐一検索」している状態になるので、角度を変えた出題をされてしまうと、すぐに思い出せなくなってしまうのです。それに、だいたい一個一個の知識がどこに位置づけられているかわからないまま、問題を解けるのでしょうか。そういう覚え方は避けるべきです。
ものを覚えるときは、必ず他の事柄と関連づけて覚えなくてはいけません。具体的には、一つの知識を覚えるときは必ず関連する複数の知識に目を通し、その間のつながりを確認する作業を入れることです。
たとえば、「南北朝を統一した人物は誰か」という問いがあって、「足利義満」と答えられることにはあまり意味がありません。足利義満のように、教科書で写真付きで紹介されるような歴史上の有名人であれば、複数の業績を挙げているのが普通だからです。
そうするくらいなら、初めから「足利義満がやったことを5つ挙げよ」とでもメモしておいて、その横に
①南北朝統一
②京都室町に「花の御所」を建設
④明との間で勘合貿易を開始
④金閣
⑤能の世阿弥を後援
とでも書いておく方がいいでしょう。そして、とどめに、
「日本をまとめた後、貿易で金儲け、そのカネで北山文化をプロデュース」
などとメモしておけば完璧でしょう。この一言で、5つの事柄にハッキリしたつながりが見えてくるからです(歴史学の観点から見ればどうかとは思いますが・・・)。そう考えてみると、一番初めに挙げた「意味を知る」ことと余り大差がないのかもしれません。
そこまで面倒くさくで出来ない!!という人に、いい方法を教えましょう。
知識と知識のつながりがちゃんと書いてあるものがあるのです。学校の教科書です。
歴史や公民は、この方法がかなり使えます。特に歴史は、きちんとした文脈に従って整理されています。だから、何か覚える時には、必ず教科書の何処にその知識が書いてあるのか確認する(できれば印を付ける)ようにするといいでしょう。あるいは、上のようなメモ書きを作るときに、教科書に書いてある文章をパクってくるという使い方もあります。
「ニューコース」のような学習参考書や、塾のテキストでもいいのですが、初めから簡略化してしまっていることが多いので、前後のつながりがかえってわかりにくくなっています。普段の勉強には使わない方がいいでしょう。
地理の教科書は情報量が少なすぎるので、出来れば地図帳を使う方がいいでしょう。受験用の地図帳(「受験対応」と書いてあるもの)なら、関連知識のイラストや図表が挟まれているので、一緒に見ておくとかなり効果的です。歴史で有れば、年表で出来事や人物を確認するのもいいですね。
とにかく、同時代、同地域の何かと関連づけて覚えることが大事です。
また、覚える対象を全体として把握することを意識すべきです。
塾の先生でも学校の先生でもそうですが、「本当にこの人お金もらってんのかな」と言いたくなるような人がいます。大抵は何を言っているのかよくわからない人です。 あるいは、いつもいつも授業時間をオーバーしている先生もいます。学校で言えば、中学2年生の2月になってまだ江戸時代の中頃のことを喋ってる社会の先生といったところでしょうか。
この両者に共通しているのは、初めから詳しく取り扱いすぎていることです。入試問題を見ればわかりますが、「卑弥呼」や「縄文時代の生活」などというものはほとんど出ません。●学習指導要領でも、「古代」の目標事項が4つしかないのに対して、「近現代」のところは8つもあります。当然、後者の方が重視されているのです。だから、縄文時代や弥生時代でウネウネと細かい話をしている暇など本来ならないはずなのです。
まあ、だからといって日教組教員(狂員)が近現代史の暗い部分の「解説(怪説)」に恐ろしいまでの情熱を傾けているのも勘弁願いたいものですが・・・。
話し下手、授業下手も、全体の中での位置づけを意識していないという点では同じです。
勉強も同じです。下手の横好きにならないよう、以下のように心がけるべきでしょう。
(1)まず、できるだけ早く全体を終えるようにする
(2)細かい知識はとりあえず置いておく
(1)について言うと、一回目の勉強は、全ての範囲に、一応目を通したという状態を作れれば十分です。後述するように、どうせ何度も繰り返すものですから、一度目は「こういうこともあるのか」程度でおしまいにしておくべきです。
(2)については、(1)が出来ていない以上は、細かいことを覚えても無駄だということです。車のボディが出来ていないのに、高額のカーオーディオやカーナビを揃えても意味がないのと同じです。
具体的には、科目全体を網羅した薄い問題集を使うといいでしょう。このとき、後でやり直したとき役に立つように、間違ったりすぐに思い浮かばなかったりした問題に印を付けておくとよいです。
それ以前に全く知識がない場合は、教科書の太字の所だけを読んでいくという手もあります。数学ならば、例題だけをどんどん解いていくことがこれに当たります。
とにかくこの段階では、「覚えていないのではないか」と疑わないことが重要です。
そして、一巡目が終わったら、すぐ二巡目に入ります。
今度は、一巡目で出来が悪かった箇所(印が付いているはず!)を中心に問題を解いていきます。分からなかったところは自分の弱点ですから、手で書いてみたり、カードに記録しておくなどして、3回目に当たったら解けるようにしておくことが重要です。
注意すべき事としては、上に挙げたような作業は直前に慌てて始めても全く意味がないということです。
慌ててやるから、しっかり覚えられなくて、暗記に頼るようになるのです。逆に言えば、記憶するためには、覚える作業をしながら、ある程度の時間を重ねることが必要なのです。
私はもう司法試験の勉強をやめてしまいましたが、今になって「あ!この条文は、こういう時に使えばいいんだ」とか「こんな細かいことを覚えていたけど、要するにこことここさえわかっていればよかったんだな」と思うことが結構あります。
そう思えるようになったのは、時間を置いて、覚えたものを醒めた目でとらえ返すことができるようになったからでしょう。そういう腑に落ちるような瞬間があると、なぜか記憶が鮮明になったりします。時には、その知識を覚えたとき、どんな服を着ていたとか、誰それの顔が思い浮かんだとか、そういうことも一緒に思い出せるくらいです。
おそらく、脳の中で、無意識に整理のような作業が行われているのでしょう。しかし、それはホットな状態では難しいことでもあります。
だから、直前と言われるような時期になる前に、何度かヤマを作って、そこまでに必要な知識を叩き込んでおくようにすべきなのです。そして、直前にはそういう知識に漏れがないかをチェックしていくわけです。
先に挙げた「一問一答」というのは、こういう時にこそ使うべきです。旺文社や代ゼミ当たりが出している英単語集なんかもそうです。最後に、「こういうこともあったよね」的に振り返る材料として使うべきなのです。
もちろん、その場合でも、以前からやってきた問題集や、昔まとめたメモやノートを読み直すことの方が大切です。
少しは参考になったでしょうか?
<関連記事>
こんなノートは命取り!!
http://blog.goo.ne.jp/roro_football-lover/e/086d94cae3d2694088fd6d96ec5814d5
事務処理能力アップ講座~受験と仕事は同じ!!
http://blog.goo.ne.jp/roro_football-lover/e/e1fcdf9fccbf3909cc37a4c672467bc2
ところが、私は丸暗記する能力が著しく低いのにも関わらず世界史は得意中の得意でした。
当然ながら「暗記しなければどうにもならない科目」は大の苦手で、「英単語」や「数学の公式」が暗記出来ないせいで英語と数学は駄目。
英単語なんか単語帳で憶えて2~3ページ進んだら最初のページの分が抜け落ちるという体たらく。
世界史は「人類の物語」として読んでたので全然丸暗記の必要がなかったのです。
受験の本番では、数学は数式を知らなくても解ける問題が多かったお陰で、図形を実際に書いて計測したり方程式に次々とそれらしい数字を入れてみて答えを出したりと反則すれすれの方法で、自己ベストの得点を出してしまいました。
英語はもう手も足も出ないので当てずっぽう。
他教科に較べても極端に低い、200点満点中100点取れなかったんじゃないかという成績でした。
そんな私でも国立大学の端くれに引っ掛かって入学しましたよ。
自分は、横文字の名前が面白かったので好きでしたね。
たとえば、同じ名前が英語だと「チャールズ」なのに、フランス語だと「シャルル」、ドイツ語だと「カール」になるっていうのがとても面白かった覚えがあります。
今ではブログを書くくらいにしか役に立っていませんが、なるほど歴史はきちんと勉強しておくべきですね。
英語は好きでしたね。落合信彦のおかげで、外国で勉強したいと本気で思っていました。カナダに留学したいと思ってカナダドルで金を貯めていたころもあるくらいです。
今思うと、本当に法律の勉強には人生を歪められましたね。5年間かなりのものを犠牲にしたのに、何のプラスにもなっていません。
収入や職業のためとはいえ、好きでもないのに難関資格に挑むのはやめたほうがいいですね。絶対に。
あのデーブ・スペクターは少年時代、日本語をなんとか覚えたくてありとあらゆる日本の出版物を読みまくったそうだが、その中に少女雑誌の生理用品がらみの広告を随分読んだらしい。
私自身も最近になって、ネットでスケベ系の英語に多々触れる機会があり、「これが受験生時代にあったら脳と下半身を活用して文字通り『体』に英語を叩き込めたのに!」と随分口惜しく思いました。
スケベ系の英語を沢山読んで、やっと「複数」の持つ意味が理解できました(代名詞はtheyで受けるとか)し、用語の使い方も、例えばbreast=胸、tit=おっぱいでは、方向性は合っていてもカバーする領域がぜんぜん違うとかにも合点がいきました。
これをもう少し敷衍すれば、外国語でも内容に興味がわかなければ結局外国語科目を苦手になってしまうということです。だって最後は結局読書量で語彙量が決まりますから。
さて、世界史ですが、
わたしも暗記とは思いませんでしたね。世界史は結局「人」で成り立っていますから。「その時その場所で自分が誰々だったらどういう意思決定をしたか」を常にシミュレーションして、史実はどう展開したかを追っていくことで自らのこれからの人生に指針ができますから。
世界史を暗記科目だと思っている人は、結局「歴史」を自分に繋げて物事を見ることなく一生を終えてしまうのでしょう。ということは、よその国で起こっている戦争、紛争は結局他人事なのです。
私はフリーマントルの小説を英語で読んだとき、「胸が大きい」=bosomyという表現を覚えましたね。
あと、何を隠そう私が英語に強くなったのは、「B'z」っていうユニットのおかげなんですね。英語オンリーの歌を結構書いているんです。意味が知りたくなったので、いろいろ調べたり、学校の先生に聞きに行ったりしましたね。
この「知りたい」「なんでだろう」という心理を作り出す方法がわかれば、学力問題のほとんどが解決する気がするのですが・・・やはり、家庭環境なのでしょうかね。
>世界史を暗記科目だと思っている人は、
>結局「歴史」を自分に繋げて物事を見ることなく
>一生を終えてしまうのでしょう。
教えている人にも問題が多いでしょう。本当に歴史の「意味」をわかっている人(たとえば江田島孔明氏)のような人は、なかなか教職を志してくれません。だから、ただ面白がって趣味にしているだけのマニアばかり先生になるんです。
マニアの問題は、自分が好きな問題だけ掘り下げようとするところと、マニアになっている部分以外の話が全く面白くないことです。
「一連の戦争の最大の原因になったのは、大陸権益を確保しようとした一部の勢力(たとえば財閥)がいたからだ」
「満州国でエリート官僚達が理想の国(統制国家)作りを成功させ、戦争のどさくさに紛れてそれを日本本土でも実践しようとした。これが総動員体制である」
「アメリカでは非戦論が活発だったが、それが一気に戦争肯定に傾いたのは、真珠湾攻撃である。アメリカは、石油をほんのわずかだけ日本に輸出し、日本が暴発するのを待っていた」
「日本軍はよく戦ったし、個々の兵士は非常に有能だった。しかし、松坂投手でも毎日先発完投していたら腕が折れてしまうように、優秀なパイロットをこき使って枯死した。人材育成のやり方がなっていなかった」
「人類の歴史上、人間に向かって核兵器をしようしたのはアメリカだけ。原爆投下ではなく、核兵器による大量殺戮だ」
「一番卑怯なのは、中立条約を破って満州に攻め込んだソ連だ。シベリア抑留で何万人もの日本人が殺された」
もちろんこれを話しつつ、1時間で入試に必要な論点は全て触れました(笑)。
今、インターネットでいろいろなことが分かり「もう少し勉強しておけばよかったかな。」と思っています。
高校のときは教師が嫌いだった。「国歌は天皇を称えた歌だ」、とか「本当に日本はひどいことをした」と言っていた事は覚えている。おまけに6時間目が終わるとほとんど居ない。
他の先生は居るのに不思議でした。
今思えばバリバリの日教組だったんだなと思います。あと、親が付き合いで赤旗を購入していた時期があったなあ。
私の高校の卒業式のことでは父が国旗をどうのとか金屏風がどうのとか学校に文句を言っていたなあ。
私には何故父があんなに怒っているのか分かりませんでしたが今なら少し理解できるようになりました。
ろろさんは塾の講師をしておられるそうですね。答えられる範囲でよいので聞きたいことがあります。今の小学生は学校の授業だけでは心配で塾に通わせている親が多いのでしょうか。
私は札幌に住んでいるのですが、来年、私の娘が小学生になります。その小学校に通っているお母さんからこんな話しを聞きました。
宿題がない(先生による)、
ラジオ体操を教えない、別の体操を教える。
夏休みの宿題が無い(工作や自由研究なども)。
夏休み中、朝のラジオ体操が無い。
小学校1~2年生は歩いて15分~20分くらいの公園でスキー教室をするがスキーとスキー靴はトラックで運ぶ(もちろん有料)、私の時代は自分で運んだのでとても驚いた。
入学してはじめは塗り絵をする。
娘が行く予定の学校ではないけれど担任の先生が自分のことをジョニーと子供を呼ばせる。
もちろん悪いことばかりでなく丁寧に教えてくれると言う人もいます。
心配になり小学生ママの子育てマガジンを購入してみました。付録に陰山先生の学習指導要領マップがあり、学習指導要領に記載されていないが先生が必要だと考える学習内容がありました。
社会 日本地図で都道府県を知る
各地の特産物を知る
日本で一番長い川、一番高い山などを知る
日本の国境を知る
世界の主な国々を知る
理科 光の屈折
音の伝わり方
滑車
太陽系
地球温暖化
おまけに、発展的学習に
帯分数・仮分数の足し算、引き算、掛け算・割り算
少数と分数の足し算・引き算、
台形・ひし形の面積、
角柱の体積
私は小学生のうちはガールスカウトや、工場見学、キャンプなどいろいろな体験をさせたいと思っていたのでとてもショックでした。
実際はどうなのでしょうか。いまから自分でなにができるか考えたいのでよろしくお願いします。
>塾に通わせている親が多いのでしょうか。
うちは補習の塾ではないので、授業の補完のための通塾をさせる生徒さんの数などが、どのような状況になっているかは実際の所わかりません。
しかし、「公立中学には行かせたくない」ということで、中学受験をさせる家庭は本当に増えてきていますね。昔は都心3区+文京区くらいだったのに、今や東京西部や、鎌取や土気みたいな千葉の奥地(笑)まで中学受験熱があります。
>宿題がない(先生による)
これは私の頃からそうですね。
先生を選べるシステムでない以上、諦めていただくしかありません。だから、みんな中高一貫中学に行かせたがるんです。
もっとも、親御さんがついて勉強を見てあげることは出来ると思います。
>夏休みの宿題が無い(工作や自由研究なども)。
いくらなんでも、これはひどい(笑)。教員が添削や提出状況のチェックをするのをサボっているだけですね。
しかし、上の事項と同様、そういう先生を避けることは公立小学校の現在の仕組みでは無理です。
だから市場原理を、と安倍さんや周りにいる教育カイカクに熱心な議員(なぜかパチンコ議員と重なっていることが多い)の方々は言うんでしょうが、それ以前の問題ですよね。子供に期限を決めて手間のかかることをやらせるのは、立派な訓練です。要するに、教育する側がそういう訓練に価値を見いだしていないのでしょう。嘆かわしいことです。
残念ながら、そういった事態を避けて、子供に意味のある負荷(それを死んだ知識の暗記などと言う方は、入試問題を見てみるといい)をかけるには、塾に行かせるしかないのが現実のようです。
下記のような仕組みも、「場」ではなくて「担い手」の問題を解決できていない以上、団塊教師の暇つぶしの域を出ないでしょう。
(以下引用)
経済的理由などで塾に通えない児童のため、文部科学省は2007年度から、公立小学校で放課後や土・日曜日に無料で補習を行う事業を始める方針を固めた。指導者には大量退職期を迎える団塊世代の教員OBを活用する。授業以外で勉強したい子どもに学習の場を提供することで、塾通いの有無で学力に差が付かないようにするのが狙い。
事業は小坂憲次文部科学相が発案し、具体化を指示した。同省は「学びの居場所」(仮称)の名称で、全国約2万3000の小学校のうち、規模などが一定の条件を満たす1万校程度で実施する方向で検討。政府が6月にまとめる「骨太の方針」に骨格を盛り、来年度予算の概算要求に反映させる。 (07:00)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060418AT1G1702P17042006.html
(引用以上)
>自分のことをジョニーと子供を呼ばせる。
それで「フランク」だとか「親しみやすい」とかいうことになると思っているんでしょうか。愚かなことですね。
中身が伴わない関係など、すぐに破綻すると思います。教師など、少し煙たがられるくらいがちょうどいいです。
>付録に陰山先生の学習指導要領マップがあり、
>学習指導要領に記載されていないが先生が
>必要だと考える学習内容がありました。
まあ、この人がおっしゃることが絶対だとは思いませんが、的外れな指摘ではないですね。
このリストに挙がっているようなことは、昔の小学生ならやらされていたことだと思われます。私の頃に、すでに「鶴亀算」を教えなくなっていましたから、ゆとり教育云々も、2002年に始まったというわけではありません。
>いまから自分でなにができるか考えたいので
>よろしくお願いします。
何も、暗記の手伝いや、難しいことを教える役割を担う必要はございません。知識は、後からでも付きます。
しかし、親御さんにできる一番大きな知育は、
「質の高い会話をする」
ことです。これは、塾の講師にはできません。
なんのことかと言えば、密度の濃い言葉のキャッチボールができるかどうかです。そのためには、親御さんもある程度言葉を勉強される必要がありますし、子供の話を受け止める態度を身につけていただきたいと思います。
女の親御さんというのは、とかく先回りしていろいろなさる傾向が強いですが、昔のように、家庭外で問題解決能力を養う場所がありません。ガキ大将を中心とした子供社会も崩壊していますし、学校はそもそもそういう場所ではありません。親しい大人と数多く接する場面もあまりありません。
だから、親御さんとしても、すぐに答えを出さずに、子供がある程度自分で答えを探り当てるような接し方をしてほしいのです。そうすれば、表面にあるものから、どんどん深く探り当てるように物事を考える子供になっていく可能性が高いです。
便利になると人間が馬鹿になるのは、何でも用意されてしまっていて、努力の余地がなくなっているからです。ラットの実験でもあるのですが、努力をしても状況が変わらないと悟ると、必ず無気力になるそうです。
しかし、一番大切なのは、そういった「学力」よりも、こうあるべき・こうであってはならないという躾ではありませんかね。
最近の事件でもありましたが、東大やマサチューセッツ工科大学を出ても、フェレットなどの小動物を虐待してそれをネットに晒すような人間では困ります。そんなことをするくらいなら、虫をいじめたり人形の腕をもいだりした段階で殴って言うことを聞かせる方がいいです。
余計な言葉かもしれませんが、覚えておいていただければ幸いです。
大変うれしいです。
とても参考になりました。
入学予定の学校は「子供は心配ないけど、教師が心配」と、親の間でうわさがあるくらいでして。おまけに2年前、1年生の1クラスが、勉強が分からない子が続出して、父母が激怒して学校に抗議した話もありとても心配だったんです。
>しかし、一番大切なのは、そういった「学力」より>も、こうあるべき・こうであってはならないという>躾ではありませんかね。
これは、私も同感です。
有名大学を出たからといって、立派な人ばかりではないことがわかってきました。
今回は、本当にありがとうございました。
また、今回も非常にタメになるお話でした。
実は、自分も歴史は得意でしたね。
ストーリーがあって、当時ゲーム好きだった
自分にとっては、歴史はRPGのような感覚で
勉強できました。
私はこれからIT系の資格を目指すことに
なるので、応用していきたいと思います。