笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

「平等院鳳凰堂を平安時代の姿に近づけることに」もちろん賛成!

2013年07月14日 11時59分00秒 | 日々雑記
本日は午前中に参院選の期日前投票に行きました。
帰宅後、ネット覗いたらこんな「投票」していました。なんでも、

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平等院は約60年ぶりに実施している大規模修理で、国宝・鳳凰堂の塗装色や瓦を変え、900年前の平安時代の姿に近づける方針を明らかにしました。
劣化が進んでいたこともあり、色鮮やかな塗装を施して、耐久力の増強を図るとのこと。
一方で、この改修は「崩れ」や「くすみ」を美とする「わび、さび」という価値観に対する否定だという意見もあります。あなたは、平等院鳳凰堂を当時の姿に近づけることに賛成ですか?
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だとかで、当然「賛成」に一票入れましたわよ。

記事にある「崩れ」「くすみ」を「わび」「さび」と考える向きって理解はできるけれど、かつて「廃仏毀釈」から京都の寺院が荒れ放題で放置され「寺は荒れたほうが風情がある」と言っていた時代の考え方と同じだと感じるのです。
劣化が進んでいるのなら、今後1000年のことを考えてきちっと修復を図るべきだし、ましてや「観光価値としての鳳凰堂」がどうとかは別問題でしょう。

「平安時代の姿に近づける方針を明らかにしました」とあるので、これは決まったことなのでしょう。1000年後の日本人に「残してくれてありがとう」と言われるような修復を期待したいところです。

事実奈良の薬師寺は、現在東塔の修復中で、次にお目にかかるときはかつての西塔がそうであったように「極彩色」の塔になるはず。でもそれで今後1000年残るなら私はそれでもいいと思っているし、自分の生きた時代の薬師寺を「よきもの」として見上げればいいと思うのです。

1000年後の人々に、きちんと「遺産」としてバトンを渡すため「ほんのちょっと、なにかを我慢すること」だって私たちができる「文化遺産」を守るための「お手伝い」ではないでしょうか。

「文化遺産」は今の私たちに「消費」されるべきものではないのですから。
コメント
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