酔いどれ反省会

反省出来ない人の反省文

死んだっていい

2014年04月06日 01時44分24秒 | 日記
今日は、5月に朗読パフォーマンスをさせていただく関わりで、障害を持つ子たちが、社会の一員として生活していくためのサポートをする活動を、独自で行っている方々の懇親会にお邪魔してきた。
今までどんな活動をしてきたか、これからどんな活動を予定しているのか、いろんな方々の、いろんなお話を聞いて、とても勉強になり、刺激になった。こういう場所にお邪魔できて、こういう方々と繋がれるという事は、とてもありがたい。こういうご縁を大切にしたいと思う。

そして俺自身、7年ほど働いていた学校が、もう今年度からは働けなくなり、いきなり「ほぼ無職」という状況になってしまった。ほかの学校でちょこっとは仕事はあるものの、ほぼ無職だ。昨年度もこんなことがあり、「こういう形であれば大丈夫でした」みたいなドッキリがあったけど、今年度はそれももはやなく、唐突に終わってしまった。こちらとしては、「ガッツリじゃなくても、ちょっとは入れるだろう」と思っていて、まさか完全に無いとは考えてなかったので、生徒や先生方に何もあいさつもなく、いきなり消えてしまうことになってしまった。。それがわかったのが一昨日で、なので昨日一昨日と、「マジか」と「どうしよう」で頭がいっぱいである。

7年前にこの学校で働き始めた当初、一緒のグループだった先生が非常に面白い先生だった。「障害者」という人たちにまったく関わった事がない俺が、突然「養護学校」という所で働くことになり、恥ずかしながら、偏見とは言わずとも、どうしたらいいかまったくわからない状態だったのが、この先生のおかげで、勤務1日目から、そんな不安は吹き飛んだ。「障害」とかじゃなく、「生徒と教員」「人と人」という感じで、大人も子供も、ありのままの姿でぶつかり合ってる印象を受けた。楽しさも苛立ちも、思い切りぶつけ合う姿をみて、とても衝撃を受けた。俺が絶対にできないことだった。実際はいろいろと感情を抑えたり我慢したりすることは多々あっただろうと思う。でも俺の目には、すごい生き生きした姿に見えた。ただ単に「特別支援学校」で働くことになったからというだけでなく、そこで初めて出会ったこの先生が、俺にとってとても大きな存在だった。この先生のおかげで、自分の中でいろいろと大きく変化したと思う。
その先生は別な学校に移動され、俺はその学校で働き続けた。俺の舞台活動に関してもその先生はとても興味を示してくれて、よく公演も観に来てくれた。それでもなんとなく、時間とともに舞台のお知らせもあまり送らなくなり、疎遠になってしまった。

長年働いた学校で来年度続けられなくなり、「どうしよう」と思っていたところ、今朝、突然「お元気ですか?」と、その先生からメールが来た。本当に数年ぶりで、何があるというわけでもなく、すごく唐突だった。
「舞台は続けてますか?またお知らせください。」
という、シンプルな内容だった。なんだろう。なんで突然連絡をしてくださったんだろう。わからないけど、すごく、すごくうれしかった。ミラクルだなって思った。なんだかすごく力をもらった。

もう、「こうでなくちゃいけない」という事に知らず縛られていたけども、どうにかこうにかすれば生きていけるし、やる気があればなんだってできる。明日死んだっていい。一日一日を、人生最後の日、くらいの感じで生きていこう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする