敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

ズボン盗難

2010-04-16 17:42:54 | 日記 戦後編
昭和二十年十二月二十九日 晴 明け

 夕刻 次男(10歳 当人)が隣家の子と一緒に風呂に行き先日作ったばかりのズボンを盗まれてしまった。 明るい中に湯船から自分の衣類が見えなければあぶない。
上着を持っていかれなかったのが不幸中の幸いかも知れない。


昭和二十年十二月三十一日 晴 二,三直出勤

 空襲に明け、 敗戦に中し、 闇と食糧難に終わった二十年もおしまいになった。

ラジオの「真相はこうだ」

2010-04-16 16:59:45 | 日記 戦後編
昭和二十年十二月二十七日 曇後雨 休み

 朝食後薪にするため椎の木の根を掘り返した。 手に豆を出かした

 妻は田無に大根買いに行った。 小松菜が中板橋で一貫目八円五十銭と書いてあったが田無では一円二十銭、 大根が中板で十二円が 五円だと言う。 どうして斯様に高いのか。


昭和二十年十二月二十八日 晴 二,三直出勤

 ラジオの具合が悪いので十月、十一月と二ヶ月殆ど聞かなかったが近頃毎日聞く。
 しかし変わり方の激しいので驚く。

 「真相は斯ふだ」 と言うのが盧溝橋事件や南京攻略時の虐殺などを放送して居るが、日本人が日本の悪口を言うようなものであまりよい心持ちではない。
松井大将なども南京攻略当時は 「武勲赫々」 たる将軍であったが今は 「戦争犯罪人」と言って放送している。
 

 

賞与出る

2010-04-16 15:48:53 | 日記 戦後編
昭和二十年十二月二十一日 晴 一直出勤
 
 久し振りで一直出勤した。 今月に入って初めてだ。 電車の混雑には驚いてしまった。

 賞与を所得税 百九十八円六十銭 差し引いて 八百八十二円六十銭貰ったが赤字は埋まらない。


昭和二十年十二月二十二日 晴後小雪 二、三直出勤

 政府は 物価手当百円以内 家族手当一人二十円を支給し、 戦時勤勉手当と疎開手当を廃止すると言う。  
 物価手当 八十九円増 家族手当百五円増で 一ヶ月四百三十円になるが未だ今の物価では赤字は続くであろう。

 一昨日ラジオの修理を依頼して置い手来たが今日出来て来た。(修理料 二十五円)

 朝のうち晴れていたがだんだん雲が多くなり夜半には小雪が降り出した。