敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

昭和19年1月1日の日記から

2006-11-20 01:08:09 | 日記 戦中編

昭和19年1月1日 私は8歳 小学2年生、家族は祖父、両親、兄1、姉2、弟1、妹2、の10人家族で東京都板橋区に住む。父は都電の車庫に勤務(昼夜三交代)、一人で一家を支えていた。

 私がこの日記をブログにし始めた理由は、
① 父はこの日記を後世読んでもらうことを意識して書いているように思えること、      ② 近頃の世の中は、近隣の国々の脅威を理由に国内をあおっている様におもえ、せめて戦中を知る者として多少でもこの 右カーブのブレーキの一助にでもとの思い   ③ 

 

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昭和十九年一月一日 晴曇交々 明け。
 午前九時国民奉祝の時間に合して事務所一同国歌を奉唱して心から奉祝した。それから一同打揃って営業所に行き新年の挨拶をした。(中略)何所へ行っても手紙用の紙がない。日記帳は今まで数多く出たが今年は統制され買えない。と云う方が正確である。仕方がないので広告用紙の裏に斯様に印刷して日記帳や手紙に使う事にした。惜し気なく使い心配なしに書けて洵によい具合である。