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おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

181123奈良ほか

2018年12月04日 | 京都

181123奈良ほか

すでに師も走る月に成って、今年も余すところは20日余。

言われ尽くしていることだが、全くもって光陰は矢の如しである。

むろん矢の速さと等しく歩けるはずもなく、私も遅々とした歩みを続けていて、

過ぎ去った後に悔悟に身を委ねることのくり返しでもあったのだろう。

まあそれは詮方ないこととして覚悟を決めてしまえば、大した痛痒も感じないのが、

凡人であることの証左でもあるとも言える。

 

今回は先月23日の奈良と27日の北嵯峨の画像を出してみたい。

24日は当尾の里、25日は箕面と勝尾寺に行ったのだか、両日の画像整理は

いまだに手つかずである。

 

23日の奈良は、もう20年近く続けている、ある団体のオフ会としてのものである。

興福寺の中金堂・東金堂、国宝館拝観。その後に元興寺。道すがら浄教寺と率川神社に

立ち寄ってみた。ソテツは浄教寺境内のものである。

その日、帰りの車中で月があんまりきれいなので、京都駅で降り立って月とタワーを撮影。

 

27日は北嵯峨の撮影会なので自転車を走らせて行く。

浄住寺から宝厳院。次に直指庵から大覚寺と広沢の池。

上の画像は浄住寺。藤原氏の流れをくむ葉室氏の菩提寺。紅葉は45年ほど前にはもっと

良かったと記憶しているのだが、いつの頃だったか紅葉の巨木を切断したので、寂しい。

下の画像は宝厳院。当日はなんとか見られる染まり具合になっていた。

上の二枚は直指庵。ここの紅葉もまあまあ見られはしたたのだが、良い時の7割くらいだろう。

この庵には50年ほど前に行って、置かれているノートに感想めいた?ことを書いたのだが、

すでに半世紀も前になることに今更ながら驚く。

最後は上が大覚寺の大沢の池。この池は映り込み撮影に良かったのだが、今回は撮影に良い

場所が立ち入り禁止になっていた。

9月の台風21号の被害が甚大だったために修復がいまだできていないからである。

下は遍照寺山の麓にある人造池の広沢の池。中世から月の名所として名高い。

ここの池の水抜きは京都の冬の風物詩の一つではあるが、なんとしたことか27日時点で

水のほとんどを抜いていた。理由は知らない。

23日27日の画像は下にあります。ご覧願います。

181123奈良ほか

 

 

 

 


181114 大原ほか

2018年11月29日 | 京都

181114 大原ほか

 

もう半月前になることを、ここで公開するのもいささか懐疑的でも

あるのだけど、ごくごく簡単に時制順に触れてみることにしたい。

11月11日に奈良に行って以来のことを記述してみる。

 

11月14日 大原(阿弥陀寺・三千院・実光院・宝泉院・寂光院)

11月15日 嵯峨野(宝筐院・愛宕念仏寺・化野念仏寺・祇王寺)

11月20日 御苑・植物園

11月23日 奈良(興福寺・元興寺ほか)

11月24日 浄瑠璃寺・岩船寺・海住山寺

11月25日 箕面の滝・勝尾寺

11月27日 宝厳院・直指庵・大覚寺

 

今年の紅葉は良く無いという印象が大原と嵯峨、そして20日の御苑と植物園の

紅葉を見るに及んで、ほぼ確定的になった。

今年はもう無理だと見切りをつけて京都の紅葉行脚から遠隔地にシフトした。

いつもの年であれば京都市内の寺社の30か所から40か所を見て回るのだが、

今年は早々と断念したという事である。

きれいな紅葉を見るのは私にとっては至福のひとときに違いないのだが、

それが今年は味わえなかったようにも思う。

紅葉が良く無かった原因の一つに9月の台風21号の直撃があるのだろう。

京都では倒木の後片付けもまだ終わっていない所も多い。寺社の内部でも

立ち入り禁止区域の所もある。

かてて加えて紅葉の色を深めるという秋時雨の少なさ、一日の寒暖差の低さ

なども理由なのだろう。もちろん部分的には良い紅葉も見かけはするのだが、

長年に渡って良い紅葉を見続けている私には当然に物足りない。

しかし、月末近くになって色づきを深めているような印象も受けるので、

月が変わってから、もう少し行って名残りの紅葉を見てみたい。

紅葉画像が少ないのは良い被写体が乏しかったことによる。

それもまあ仕方ない。

今回は20日までの分をワンドライブに出しています。

パソコンの調子がとても悪いので、次回はかなり遅れるかもしれない。

なんとか早めに出せるように努力してみます。

下はワンドライブのリンクです。

181114 大原ほか


 

 

 

  


181110赤目48滝ほか

2018年11月18日 | 京都

181110 赤目48滝ほか

11月07日  洛西ニュータウン

11月10日  赤目48滝

11月11日  奈良

過日、以上のように行ってきたのだが、画像整理が追い付かずに

ブログアップが今頃になってしまった。

すでに旧聞に属するかとも思うと、多少のためらいはあるのですが、とりあえずはアップ。

まずは洛西。桂坂である。ここのアメリカフウ並木は見事ともいえる方なので、

ほぼ毎年見に行くようにしている。ただ紅葉はデリケートで、本当に良い時に

行くのは難しい。でも近場なので下見にも行く。だからなんとか良い紅葉にも出会えている。

10日に行った赤目は紅葉は良いとは言うのだけど、残念ながら少し早かったようだ。

瀧を見ながらの細い山道の往復は良い運動にはなった。

京都に戻ってからタワーの写真を撮ったのだが・・・手持では、なかなか難しい。

そして11日には奈良に行く。主に奈良公園の散歩。JR奈良→興福寺→猿沢の池→浮御堂

→春日大社→東大寺というルートである。若草山にも上らず新薬師寺にも行かない。

記録を見てみたらこの日で今年は10回目の奈良行きである。意外と多い。

11月14日は大原、11月15日は嵯峨にと行ったのだけど、それにしても今年の紅葉は悪い。

ヤボ用もあって写真整理が追い付かない。パソコンの不具合で時間をとられてもいた。

今後は天気の良い日は紅葉の追っかけで無理だが、まあそのうちにアップしたい。

以上の3か所の画像は下にあります。ご覧願います。

181110 赤目の滝他

 

 

 

 

 



 

 

 


181028 粉河寺から高野山

2018年11月09日 | 京都

181028 粉河寺から高野山

まずはじめに山家集から引く。

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 小倉をすてて高野の麓に天野と申す山に住まれけり。おなじ院の

帥の局、都の外の栖とひ申さではいかがとて、分けおはしたりける、

ありがたくなむ。歸るさに粉河へまゐられけるに、御山よりいで

あひたりけるを、しるべせよとありければ、ぐし申して粉河へ

まゐりたりける、かかるついでは今はあるまじきことなり、吹上

みんといふこと、具せられたりける人々申し出でて、吹上へおはし

けり。道より大雨風吹きて、興なくなりにけり。さりとてはとて、

吹上に行きつきたりけれども、見所なきやうにて、社にこしかき

すゑて、思ふにも似ざりけり。能因が苗代水にせきくだせとよみて

いひ傳へられたるものをと思ひて、社にかきつけける

◎ あまくだる名を吹上の神ならば雲晴れのきて光あらはせ
         (岩波文庫山家集136P羇旅歌・新潮748番)
 
◎ なみかくる吹上の濱の簾貝風もぞおろす磯にひろはむ
         (岩波文庫山家集171P雑歌・新潮1193番)
 
―――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
ここに記述のある「御山」とは高野山のこと。「小倉」は京都の嵯峨野。

「天野」は高野山のふもとの天野の里。「吹上」は和歌山市の県庁のある場所。

要するに西行法師は高野山を出て天野に立ち寄り、以後は粉河寺→吹上→

和歌の浦と経巡ったという記述。(のちに和歌の浦にも行ったという記述があります)

途中に何泊かしての女性連れの小旅行だったものでしょう。

粉河寺からは吹上→和歌の浦の方へはほぼ平坦な地形だとは言え、歩いて

行くにはちょっと遠い。
 
私は逆のルートをたどったのだが全行程を歩いては無理なので電車を乗り継いでの

ものである。


「粉河寺」は感じの良いお寺であった。京都の街中のお寺などから見たら広すぎる寺地である。

手入れも行き届いていて気持ちが良い。
 
 
 

高野山に行き、京都に戻る時間も考えて1時間程度を費やしただけで駅に戻り高野山にと向かう。

高野山には20歳ころに一度のみ上がったのだが、記憶は風化していて非常に断片的だ。

高野山自体もこの半世紀の内に大幅に変わったものと思う。


西行は高野山でほぼ30年を過ごした。山に籠って、ただひたすらに仏道修行に明け暮れた

訳ではなくて、高野山を拠点として多くの場所に足跡をしるしている。

仏道に専心した僧ではなくて非常に活動的な僧侶であった。西行が建築に携わった蓮華乗院の

跡地に現在は大会堂とう堂宇が建っていて、なんとなく彼の活動を偲んだ気にもなる。         

ただ、高野山という仏教の最も大きな聖地については私にはわからないとしか言えない。

私の理解を超えているからだろう。

高野山と粉河寺の画像、そして11/03日の植物園画像も合わせて出します。

ワンドライブをご覧願います。最後は郭公でしょうか?ホトトギス?留鳥?

181028高野山ほか

 

                            




181021 比叡山

2018年10月24日 | 京都

181021 比叡山

久し振りに比叡山に登って来た。久し振りと言っても前回は7月31日だったから、

その日以来だ。3か月弱ぶりの比叡山ということになる。

四条河原町バス発10.02分。11時には山頂のガーデンミュージアムである。

八瀬からのルートの方が情趣はあるのだが、乗り換えもなくて早くに

山頂まで行けるこのルートを多用している。

 

山頂はもちろん少し気温が低い。確か100メートルで0.6度違ったと思うので

5度近く低い筈だが、河原町当たりの標高を200メートルとしたら山頂との差は

600メートル程度しかないので4度ほどの気温差になるのだろうか?

少し空気が冷たくてひんやりと感じるのだが、もちろん気にするほどの

ことでもない。

 

ガーデンミュージアムは秋の花たちの彩りに染まっている。

ダリアやコスモス、シュウメイギクや秋バラが主に咲いてはいたのだが、

これから冬に向っていく季節の花たちは短い期間を急いで咲いているようで、

どこかしら痛ましいものを包摂しているようにも感じる。

ともあれ、この季節の花を味わう。コスモスとコルチカム。

樹々は急いで冬支度をしているようでもある。紅葉している木も何本か見かける。

「睡蓮の池」の睡蓮はもちろん花期を過ぎているので花のないままだ。

比叡山にはちょうど4時間いて、ケーブルで坂本に降りる。降りてすぐの「日吉東照宮」。

観るべきものはないのが残念。

以後は別に目的も定めずに気の赴くままに湖西を散歩して、自宅着は18時頃。

今回は叡山ではアサギマダラ蝶を見ることは叶わなかった。時期が遅いのだろう。

それもやむなしである。上の蝶の撮影地は天鏡院でのもの。

下に、この日と7月末の比叡山画像にリンクします。

よろしければご覧願います。今回は花名テキストは入れておりません。

今年の比叡山





 

 


181006 梅小路公園朱雀の庭ほか

2018年10月10日 | 京都

181006 梅小路公園朱雀の庭ほか

平清盛の「西八条第」跡でもある「梅小路公園」の「朱雀の庭」には、

数年前から春と秋に「山野草展」を開催している。

それが楽しみでこの庭には必ず行くようにしている。

近年は秋の展示会に、たくさんのフジバカマを植栽していて、この花を

求めて飛来するアサギマダラ蝶が秋のメインデッシュ化してもいる。

要するに秋の場合は山野草が目的なのかアサギさんが目的なのか・・・

どちらも楽しみなことではある。花に蝶を添えた不可分のメインデッシュとも

言えるのだろう。

 

ところがこの日、10月06日にはフジバカマは咲いてはいるのにアサギマダラは

一匹も飛来していない。途中で30分程の激しい驟雨があったりして、天候は

決して良くはなかったので、そのためではなかろうか。

今年は全体的に京都は飛来数が少ないのではなかろうかとも思える。

植物園や洛西の数か所にアサギマダラを求めて行っては見たのだが、

いまだに邂逅はない。今年はもう無理だとも思う。来年を期したい。

次の日の7日には凝りもせずに二上山の夕陽を撮影に行く。

近鉄電車「二上山神社口駅」下車して、初めに「石光寺」。

境内拝観は可能だったのだがそれも一部のみ。二度の台風で境内も荒れたのか、

落ち着いて庭内の景観を味わえる状況にはなくて、すぐに辞去する。

石光寺からは二上山を正面に望める位置にまで、のんびりと歩く。

途中で満開のタニウツギを見る。今年は二度咲きしている植物を見かけることが多い。

さて懸案の二上山夕陽撮影だが、この日も天気は良いというのに

太陽は雲にさえぎられて姿を見せない。今回も空振りである。

すでにチャレンジして久しいというのに未だに二上山の両岳の鞍部に

入る夕陽は撮影できていない。今年はもう無理で、来年以降ということになるが、

無理だろうという思いもある。二上山の女神は私には微笑まない。

朱雀の庭と二上山の画像は下にあります。ご覧願います。

181006朱雀の庭ほか




180928植物園ほか

2018年10月01日 | 京都

180928植物園ほか


記録を紐解いてみると植物園に前回に行ったのは8月25日。

それからほぼ1か月ぶりの植物園である。

秋の花が多く咲いていて、それなりに楽しみはしたのだが、

9月はじめの台風21号のために倒れた多くの樹や、立ち入り禁止のテ

ープも多くて、今更ながらに台風の強さと被害の多さに驚くしかない。

つまりは複雑な思いを持ちながら、他方では楽しみもしたということだ。


顧みると、植物園には長年来ているというのに、こんなシーンを目撃したのは

初めての事ではなかろうか。植物園サイドにしても、こんなに大きな被害は

これまでの歴史の中で特筆すべきものではなかろうか。


私は植物であれ何であれ「癒される・癒しになる」という感覚はない。

これはおそらくは「癒し」なる語彙の解釈の問題なのかとも思うのだが、

あるいは最大限に広義な解釈をすれば植物を愛でるという感覚自体が

「癒し」ということになるのかも知れない。


それは擱くとしても、植物好きとしては、植物の無残な光景に痛ましいものを

禁じえない。特定の人物や団体の乱暴狼藉によるものではなくて、自然災害による植物の

被害を目撃して、内に抱えるしかない怒りとも言える感情を持て余しながら、

園内を周遊している私自身を発見する。以下は当日の花の一部である。

季節は晩秋も近いとあれば、それぞれのDNAの命じるままの秋の花たちの繚乱も

愛しいものではある。


9月28日より以前、北野天満宮や長岡の光明寺にも行く機会を得た。

ともに台風21号の爪痕がいまだ生々しい。しかし、その証拠写真とも言うべきものは、

ここには少ししか出さない。

例によって例の如くに画像はワンドライブに入れています。

よろしければご覧願います。

180928植物園ほか






180916嵐山まで

2018年09月17日 | 京都

180916嵐山まで

本年9月の中日、旧暦では中秋の8月7日。特に用事もないこととて、

嵐山方面に自転車を走らせる。

国道9号線と桂川が交差するところから川沿いに進む。

嵐山から八幡までだったか、続いている自転車道である。

中秋にもなると、さすがに暑さも和らいでいて、サイクリングを楽しんでいる方も多い。

嵐山東公園では先の台風21号で被害にあった樹の処分が進んでいる。

各メディアによって知ってはいたのだが渡月橋の南側の欄干も修復中である。

 

渡月橋を渡り、三秀院をざっと拝見してから天龍寺の庭園に入る。

天龍寺はそれほどの被害がなかったのは僥倖というべきだろう。

庭内はむろんすっかり秋の装いである。一通り回ってみる。台風があったので

外国からの観光客は心持ち少ない気もするが・・・

帰路は西山の丘陵沿いに走り、松尾大社→月読神社のルートをたどったのだが、

やはり樹が裂けたり折れたり根元から倒壊したりしたのが多い。

それだけすごい台風だったということだ。今後もより強い台風が予想されるが、

なんとか被害は少ないようにと願うばかりである。

 

この日の画像は下に置いています。

よろしかったらご覧願います。

180916嵐山まで

 

 

 

 

 

 

 

 


180911 本薬師寺址と山の辺の道

2018年09月14日 | 京都

180911 本薬師寺址と山の辺の道

暑くもなく寒くもなく、天気の良い一日に奈良に行く機会を得た。

今年になって、奈良には5回ほどは行ってはいるのだが、若い頃から

馴染んでいる所でもあり、奈良に行くというだけで妙にうれしい。


今回は属しているカメラグループの撮影会として、橿原市の本薬師寺址で

植栽されているホテイアオイの撮影のためである。

本年7月30日に藤原京址の蓮を見に来たことがある。その時に八木西口駅で

下車して藤原京址まで歩き、藤原京址から本薬師寺址のホテイアオイと蓮を見ている。

以後は畝傍御陵前駅→今井町→八木西口駅と歩いて過ぎた。

7月30日でもホテイアオイはまずまずの見頃であった。しかし今回の方が

花数は多いとも思う。広い場所で植栽されていて、花のシーズンが長い。

それまでには8年ほど前と、もう一度はもっと前に本薬師寺址まで来ているはず

だが、古い記憶は定かではない。

今回は見に来ている人が多い。それだけ有名になったということだ。

畝傍山を借景としてホテイアオイを撮りたいものだが、建物が立ち並んで

いて、思うような絵にならない。仕方ないことでもある。

畝傍御陵駅近くのレストランで昼食後、私は一人で桜井駅まで行き、駅から

歩いて山の辺の道を北上する。

海柘榴市址→金屋の石仏→磯城瑞籬宮址→平等寺と過ぎる。

これまでに山の辺の道は幾度となく歩いているというのに、大神神社から

桜井駅までは古道のルートを歩いたことが一度もない。不思議なことだ。

はじめて来たのはもう35年ほど前の事だろうか?その時は歩いたのではなくて、

京都の自宅から自転車で来て、山の辺の道を石上神社から大神神社を過ぎ、

桜井→耳成→畝傍と走って、畝傍御陵前で夜を明かしたことを覚えている。

今回も古代の出来事に思いを馳せながら、ゆっくりと見ながら過ぎる。

大神神社の「大美和の杜」は小高い丘なのだが、紅枝垂れ桜を植栽していて、

そのために毎年のようにと言うほどでもないのだが、桜の頃にしばしば来ている。

今回も大美和の杜に上ってみたが、木々が茂って来て耳成山とその背後の

二上山や葛城山にカメラを向けた時に枝先が映り込んでしまう。

はなはだ良くない。これではもう来られないかなーとも思う。

大神神社→狭井神社→桧原神社と歩いているうちにほの暗くなってくる。

さあ、夕景の撮影時間だ。とはいえ、桧原神社から見た夕景は雲が

陽を遮っている。一応は三脚を立てては見たのだが、うまく絵にはならない。

仕方なくJR巻向駅に向かう、その道すがら、割と良い夕景になってくる。

日没間際である。大急ぎで遮蔽物のない場所まで走り、手持ちのままに

落日を撮影。なんとか良い夕焼けは見られたのだが、撮影結果は

ひどいものである。仕方ない。

かくして、この日の一日が終わった。次は彼岸の中日頃に当麻寺付近と、この日の

桧原神社近くに来て、何度目かの夕陽撮影にチャレンジしたい。

その頃なら二上山の両岳の鞍部に夕日は入るだろう。天気がよくて雲のないことを

祈るしかない。

この日の画像は下に出しています。よろしければご覧願います。

180911本薬師寺址と山の辺の道




 

 


180826 丹生都比売神社他

2018年08月29日 | 京都

180826丹生都比売神社他

思い立って26日に高野山の麓の天野の里を訪なってみた。

丹生都比売神社である。ずっと気にはなりつつ行く機会も作らず、

今回が初めての参詣である。

それにしても私の最寄り駅からは4時間ほどもかかる。結構な時間だ。

前回に九度山に行った時にこの社まで町石道を歩いて行くつもりだったのだが、

その日は途中で断念したという残念な思いを持っていた。

今回行ってみて積年の思いは叶えたのだが、神社を見、付近を少し散策するだけで、

帰路につく時間になってしまった。そういう意味では足早に通り過ぎていくだけの

単なる観光客に過ぎなかったのだが、それもやむなしである。

 

山家集に下の記述がある。

 「 小倉をすてて高野の麓に天野と申す山に住まれけり。おなじ院の
帥の局、都の外の栖とひ申さではいかがとて、分けおはしたりける、
ありがたくなむ。帰るさに粉河へまゐられけるに、御山よりいで
あひたりけるを、しるべせよとありければ、ぐし申して粉河へ
まゐりたりける、かかるついでは今はあるまじきことなり、吹上
みんといふこと、具せられたりける人々申し出でて、吹上へおはし
けり。道より大雨風吹きて、興なくなりにけり。さりとてはとて、
吹上に行きつきたりけれども、見所なきやうにて、社にこしかき
すゑて、思ふにも似ざりけり。能因が苗代水にせきくだせとよみて
いひ傳へられたるものをと思ひて、社にかきつけける

あまくだる名を吹上の神ならば雲晴れのきて光あらはせ
(岩波文庫山家集136P羇旅歌・新潮748番)」

引用した詞書にある「天野の山」は、今回行った天野の里のある場所だ。

高野山内に住んでいた西行が帥の局などとともに粉河を経て和歌山の

吹上まで行ったという記述である。

中世文学の内の西行和歌を長年勉強している者としては、この天野の里に

行くこともごくごく自然の流れなのだろう。

もう少し涼しくなってから、高野山や粉河も訪ねてみるつもりではある。

もちろんその時は一泊する予定だ。

画像でもわかるように、由緒のある格式高い古刹なのだが、古めかしいとか神なびた印象は薄い。

それも時代の変遷が原因なのだろうが、高野山と密接に結びついた重い歴史を内包している

ことに変わりは無い。

OneDriveに、この日以前の画像も出しています。

8月16日 送り火

8月22日 洛西

8月25日 植物園・下鴨神社

よろしければ、ご覧願います。植物園画像には花名テキストを入れていません。

180826 丹生都比売神社