おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

16.03.12 二条城・地蔵院椿寺・梅宮大社(02)

2016年03月16日 | 京都


16.03.12 二条城・地蔵院椿寺・梅宮大社(02)

◎地蔵院椿寺

このお寺は平野神社の少し南、北野白梅町交差点の東南側にあります。
小宇です。寺伝では行基の開基といいますが・・・?
都名所図会などでは足利義満が金閣寺を造営した時に余った木材で建てた
お寺だとも出ています。

ともあれ江戸時代には椿寺として知られていたようです。五色八重散椿と言います。
朝鮮の役の時に加藤清正が持ち帰り、豊臣秀吉が寄進したとはいいますが・・・?

椿の本数は3.4本であり多くはないのですが、大きい木は今が盛りでたくさんの
花をつけていました。











◎ 梅宮大社

古くは橘氏一族の氏神として栄えた大社で、桂川を挟んでの松尾大社と並ぶほどの寺勢がありました。
とても格式の高い大社です。
本殿の裏のさして広くはない神苑には主に梅が多く植栽されています。私も毎年行く所です。











以下は園内の花たち















最後は鳥二葉。メジロとオナガ?かな。望遠ではなく、かつ手持ちでは鳥撮影は厳しいものがあります。





これでブログアップは少し中断します。マガジンと歌を集中してやらなくてはなりません。
次は桜の画像か、御苑の花桃の予定です。


16.03.12 二条城・地蔵院椿寺・梅宮大社(01)

2016年03月15日 | 京都


16.03.12 二条城

新聞記事の開花情報では「見頃」と出ていても、あまり信用できない。
「見頃」の感覚も人によって違いもするし、また寺社などは盛りをとうに過ぎていても
まだまだ見られる木があるなら「見頃」と言うかもしれない。

今年の梅はそれほど見に行かなかった気もするが、もともと桜に比して梅見は例年、
それほどしないとも言える。早いのは12月のうちに咲き、遅いのは4月の初めまで
あるとなれば、3月にもなれば初期の感覚が薄れてくるのかもしれない。
暖かくなって来れば、それほど梅に心を動かされることは少ない。
梅の季節が長すぎて食傷気味なのだろう。贅沢でもある。

最後の梅と思って3月12日、二条城と梅宮大社に行ってきた。二条城を拝観してから
地蔵院という椿寺に立ち寄った後で梅宮大社に行く。
二条城も梅宮大社も梅は終わりかけである。確実に盛りは過ぎているが、両方ともに
新聞では「見頃」と出ている。

(01)として二条城の分のアップ。











二条城は世界遺産登録もしており、京都の観光名所の一つである。

徳川家康が築城。江戸時代の節目節目に重要な役割を果たしてきたともいえる。

家康が豊臣秀頼と会見したのも二条城。最後の将軍15代慶喜が将軍職に就き、また大政奉還したのも
二条城である。ここでは二条城の歴史については割愛する。

以下、二条城にあった花たちです。





















一番下のは梅の木についているコケ。赤いのは梅の花。

この場面が一番絵になると思ったのですが、カメラを頭上に掲げての撮影では無理がありました。
台がないとうまく撮れそうにもなくて、あきらめました。

梅宮大社の画像は明日出します。









160308 万博記念公園

2016年03月14日 | 思い出


 16.03.08 万博記念公園

3月8日、うす曇りの一日、撮影会があり万博公園に連れて行ってもらいました。
この地は1970年に「日本万国博覧会」が開催された地。その時に私も二度か三度は
行った記憶があります。

公園として整備されてからは一度のみ、短時間だけ行きました。
当時はカメラを持っていず、写真は一枚も残されていません。
記念として写真に残しておくことは良いことだと改めて思います。

残念ながら当日の私は体調が良くない。体調と言っても腰痛です。
歩き回ることができたとしても、後でしんどくなる予感があって、
移動は最小限にしました。

それでも「太陽の塔」の写真を角度や位置を変えて何枚か撮影。
太陽の塔には三つの顔があると言われます。

塔頂部は未来を表した「黄金の顔」。
正面は現在を表す「太陽の顔」
背面は過去を象徴する「黒い太陽」とのことです。
その「黒い太陽」は下から二番目、最後は塔の前を通過するモノレールです。

















園内は広いのですが、私は「梅林」だけ行きました。128品種600本の梅林とのことです。











移動中に見つけた「コノテガシワ」の花です。花は長径4ミリか5ミリの小さなものです。
したがって水滴の直径も1ミリもありません。



いたるところに芽吹いていた雑草の「ミチタネツケバナ」。撮りにくいものです。



最後は現在的に整備された広場。若い感覚を持っていないと、こういう構造物エリアは楽しめないかも
しれません。



とまれ、また何度か一人でじっくりと撮影に来たいのだと思いました。
次はコンディションの良い時に・・・。








御苑・長徳寺・イヌノフグリ・春画展

2016年03月13日 | 京都


16.03.06 御苑・長徳寺・イヌノフグリ・春画展


◎ 御苑

拙宅を出て、まず御苑。梅と花桃の具合を見たかったのですが、梅はもう少しという感じ。
花桃は白いのが開きかけていました。
御苑の花桃は華やかで楽しめますから、梅よりも楽しみにしています。
本日あたりはもう盛りになっているはずで、行かなくちゃ・・・と思います。
白梅と紅梅。開きかけの花桃。











◎長徳寺

ここには一足先に咲く桜「オカメ桜」の木が門前に一本のみあります。4分咲き程度でした。
13日の本日なら、すでに散りかけているでしょう。







◎イヌノフグリ

京大の石垣にへばりつくようにして自生しています。なんでもアリが種子を運ぶようです。
絶滅危惧種で昨年は5株ほど見かけたのに、今年は2株だけでした。来年は見ることが
できるかどうか・・・。
4ミリほどの小さな花。ピンク色をしています。







下の三枚は路傍の花です。







◎春画展

細見美術館で「春画展」を2月からしていますので行ってきました。
待ち時間は30分から40分。行列ができていました。
女性の方が若干多い感じでした。若い娘さんたちも多いものでした。
会場は地下三階まであり、空調は聞いているとはいえ広いとは言えない館内に人が多くて、
人いきれで「疲れたなー」という感じです。
ガラスケースの中におおむねA4サイズほどの多くは版画作品。もちろん肉筆画もあります。
私の弱っている眼ではガラスに顔をくっつけるようにしても良くわからないのもあり、
視力の衰えが疎ましくも思いました。

もちろん「春画」とは男女の性愛を直截に(露骨に)描写したものです。いろいろ異論はあるのでしょうが、
「文化」とみなされて良いはずです。
見に来ていた方の中には江戸時代の庶民の生活や風俗の研究家や絵画および絵画史の研究家もいたでしょう。
特に浮世絵などを研究している方には必見なのでしょう。

私はと言えば興味本位なのですが「ムフフー」という秘めやかな、ちょっと表ざたにはできない、
楽しみごとを味わうような独特の期待感などはなかったようです。

もうこの年になると欲望も希望も執着もどんどんと抜け落ちて希薄となり、ただあるがままに
自然体で接するものだと自覚しました。

ああいうものの展示に拒絶反応はない代わりに、積極的に見たいとも思わないと
いうことが、事後の感想です。馬齢を重ねてきた証拠でしょうね。
でも話の種、さらにいうなら冥途の土産になったでしょうか?

江戸時代に限らず昭和のある年代までは、上流家庭では令嬢が結婚するときに母親はああいう
種類の「あぶな絵」をそれとなく持たせてやり、そしてそれは代々母から娘へと引き継がれて行くと
いうことも聞いた覚えがあります。そういう公にはできないけど大切な役目も担ってきたのでしょう。

次にまた見る機会があるとしても、私はもういいかなーという思いもします。








東山散策

2016年03月13日 | 京都


16.02.28 東山散策

コース

狸谷山不動院→圓光寺→曼殊院→鷺森神社→赤山禅院→植物園

四条河原町からバスに乗車。まず初めに狸谷山不動院まで。
狸谷山は2月3日の節分会巡りでも来ているから25日ぶりである。
老骨にはちょっと厳しい坂道と250段の石段がある。
不動院には至る所に信楽焼きの狸の置物あり。狸谷山だから狸という、
少し安直な発想によるものだが、狸自体はなんなく愛嬌があって良い。
下の写真の石段を上がっていきます。登りつけば森厳な霊気みたいなものを感じます。





圓光寺は紅葉の寺としてつとに有名で、私もほぼ毎年紅葉を見に行きます。
紅葉シーズンは人がとても多いのですが「花もモミジもなかりけり・・・」の当日は
観光客はまばらでした。
画像は「十牛の庭」と池の映り込み。「明鏡の池」とも名付けたいですね。





曼殊院は門跡寺院。門跡寺院の説明は要しないでしょう。さすがに由緒のある寺院ですが、
ここまで足を延ばすことはほとんどなくて、10年ぶりくらいでしょうか。
やはりここも紅葉も新緑もない季節はなんだか寂しさを感じます。画像は一枚のみ。



曼殊院からは鷺森神社を過ぎて赤山禅院まで。鷺森神社では良い被写体もなく、
写真を撮らずに通り過ぎました。

赤山禅院は京都の東北の鬼門に当たります。白河天皇の時代、比叡山の山法師たちが、
神輿を担いでの強訴をするときには、この赤山禅院に集結してから街中に入りました。
本堂にある籠に入れられたサルは日吉大社の「マサル」と同じ概念からのものでしょう。
いくら当時の人々であっても悪霊や魔というものを遠ざける効能がサルにあるなんて
信じてはいなかったでしょうね。赤山禅院の閉じ込められたサルと、そして狛犬。





赤山禅院からは植物園。2月はこれで4度の植物園詣でになります。
バイカオウレンの写真を撮りたかったのです。昨年は15回以上植物園に行きましたが、
見逃す花も結構ありました。植物のホームページを作っているので、見逃す花の
無いようにしたいと思っています。2月28日の花たち。フクジュソウ以下を植物園で撮影。





























一番最後は噴水の波紋。次は3月の中頃にはと思っています。



16.02.25 城南宮

2016年03月07日 | 京都


16.02.25 城南宮

もう半月ほども前のことになり、ここに出すこともないのですが、
一応は記録としてしたためます。

城南宮には見事な枝垂れ梅があって、梅の開花する頃になるとたくさんの人々が
押し寄せます。私もこの7.8年は毎年行っています。


   史誌上の初見は925年ですが、それより早くに建立されていたことは
   確実のようです。794年の平安京遷都にあたり、南方で平安京を鎮護
   する城南明神として、崇敬を集めたようです。
   平安末期、白河天皇・鳥羽天皇の鳥羽離宮(城南離宮)に組み込まれて、
   「都移り」とも言われたように殷賑をきわめました。多くの貴族の別邸も
   付近に建てられたようです。西行も敷地を与えられて別邸を構えていた
   ということが伝えられています。(後の西行寺のこと)
   定家卿の「明月記」では城南寺と記述されています。
   当時、競馬(くらべうま)流鏑馬(やぶさめ)がここで盛んで、後鳥羽
   天皇はこの行事にことよせて、承久の変の際の兵を集めたようです。
   城南宮は応仁の乱で衰退します。時代が下がって、江戸時代末期の
   「鳥羽・伏見の戦い」は、このあたりが中心地になりました。

   庭園は楽水宛と呼ばれます。別名、神宛です。この庭園で4月29日と
   11月3日に午後2時から「曲水の宴」がとり行われ、その模様はテレビ
   放映されます。この庭は源氏物語に出てくる花が植栽されています。
   美しい庭です。鳥居前の「菊水若水」はお勧めでしょうか。一味違います。
  

以上は私の発行しているマガジンから抜粋です。
以下は当日の画像。




























年間二回行われる「曲水の宴」の画像も出したかったのですが、見つかりません。
やむなく今回はこれで発行します。