おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

20.05.20京都植物園

2020年05月25日 | 2020年植物園

20.05.20京都植物園

予想だにしないことであったが、例のコロナ禍が随分と

終息に近づいてきた20日に植物園に自転車で行って来た。

植物園が開園しているという報に接していて、

気持ちとしては一目散という感じでもあった。

まだまだ警戒して公共交通機関を使わずに電動自転車で行く。

電動とはいえ、あまりスピードが出るわけではない。

植物園までは10キロ程度。それなのに1時間少しかかる。

信号も多い。加えて老境である。こんなものだろう。


前回は3月26日に行ったのだから約2か月ぶり。初夏というよりは夏の花たち、

そしてたくさんの園芸種が咲き誇っている。

長くごぶさただった植物園なのだし、丁寧に見て回る。

事実として、ここの花たちを長く見られなかったことによる

フラストレーションめいたものさえ感じていた。

ゆえにこそ、見逃す花がないほどに丁寧にみて回る。

いつもは見ても撮影する気力は沸かなかった薔薇さえも撮影する。

結局は10時30分に到着して16時ちょうどに植物園を出る。

5時間半を過ごしたのだが、それなりに有意義な時間を過ごせたと思う。

いろいろと多忙なこともあって、ざっと画像整理をして

ワンドライブにアップしています。

よろしければ御覧ください。一番上から入って下さい。

 

 


20.05.11嵐山まで

2020年05月15日 | 2020年

20.05.11嵐山まで

5月11日。コロナ禍の渦中にあることは変わりないのだが、

自転車で嵐山方面に向かってみる。

今は植物園も休みで、この時期に咲く花が見られない。

それで、あわよくばと思って出かけてみる。

目的は別に定めなかったが、ミニ植物園とも言うべき天龍寺に

行けば見られるかなという思いがあった。

幸いなことに天龍寺は参拝可能。ラッキーである。

天龍寺より前に、十数年ぶりなのか千光寺に参る。

千光寺は角倉了以を祀る小宇。嵐山の中腹にあり、もちろん観光寺社

でもない。禅宗寺院ではあるのだが、私たちの感覚としての

寺院の寺観には遠い。もともとは清凉寺の近くにあったのだが、

了以が移築したという。寺地も広かったらしいが、明治の上地令で

大部分を手放さざるを得なかったらしい。

現在の住職さんは小説にも登場したりしていて、有名人なのか、

小さな庭に先客が6名。

お寺からは保津川の流れが眼下に見わたせる。市街も見えはするが、

絶景というほどでもなすい。緑猛る今の時期よりは秋が良いだろう。

以前に秋にも来たのだが、もう記憶は定かではない。

写真は渡月橋右岸から千光寺に行くまでに撮影。

上の画像のあたりを「千鳥ヶ淵」と言う。平安末期、滝口入道との悲恋で、

横笛が身を投げたとも入水したともいう。源平盛衰記にある。

私の手持ちの「平家物語」では横笛は奈良の法華寺あたりで命絶えたという。

物語なのだし、事実はどうか分からない。作り物、脚色と言うことだろう。

嵐山には「滝口寺」があり、二人を祀る。

さて、天龍寺。

普段でもよく行く。おそらくは年間で5回ほどだろう。ミニ植物園という

感じもさせるほどに境内には花が多い。花好きの私としては見逃せない。

ここにしかない「ヘビノボラズ」という植物もある。

画像の内、山椒バラとトウオガタマは塔頭の三秀院で撮影。

他は天龍寺境内で撮影したものが殆どである。

下はアヤメ、サンショウバラ、ナツローバイ。

天龍寺の北門から辞して竹の道を通って亀山公園まで。

なんと、いつもは人がひしめいている竹の道も、御覧の通り。

わずかに数名を見ただけである。

亀山の公園の中でギンリュウソウを探したのだが見つからない。

すでに時期を失したということだ。また来年である。

そこから桂川の水面近くの道に下りると、なんと同好会の諸兄姉が

川面の撮影に余念がない。こういう邂逅もある。

自宅で人と会う約束があったので、思いを残しつつ私は20分程度で辞する。

かくしてこの日が終わる。

画像は例によってワンドライブに入れています。

よろしければ、御覧願います。

 

 

 


20.05.05金蔵寺ほか

2020年05月12日 | 2020年

20.05.05金蔵寺ほか

世はコロナ一色のま推移していて、京都でも緊急事態宣言が

発令されたままである。

「自宅に閉じこもってください」ということがコロナ禍を断ち切る

ための良策であることは理解している。

にも拘わらず、5日に金蔵寺(こんぞうじ)に向けて

自転車を走らせてみた。公共交通機関を利用せず、かつ、

単独行であり、人様と密着することなどはないとはいえ、

やはりそれでも気にかかりはする。


さて、金蔵寺。大昔、幾星霜になるのか、春秋で言えば

50年ほど。そんな前に一度行ったきりである。

当然と言えば当然のことなのか、記憶がない。

確かに、若さ溢れる私の一時代の一瞬が象嵌されているというのに、

やんぬるかな。記憶がない。流れ行く星霜は記憶をも風化させる。

古い写真を引っ張り出してみて、確かに行ってはいるのだが、

何と言うことだろう。記憶の引き出しを紛失してしまったという

気もする。記憶とは頼りにならないものだとはいえ、

改めて不確実性を思う。

金蔵寺は京都西山の「小塩山」中腹に鎮座する。

これまでは自転車では無理だと思い込んでいて、それで長い

ご無沙汰であった。まあ、自転車で行くことは勧められないほどに、

坂道は厳しいかもしれない。

平安時代には名刹とも言われていて50余坊もあったそうなのだが、

現在は訪なう人とて極端に少ないと思える山間の小宇。

平安時代初期には最澄も関係した天台宗寺院。

西山の寺社に多いのだが桂昌院も再興に尽力したという。

現在は紅葉の頃に訪れる人が多いようだ。確かにモミジの木が多い。

金蔵寺を辞してからの帰り道にあるニュータウンで花の撮影。

初夏の花たちが咲いている。ヒトツバタゴも全盛期である。

撮影した画像はワンドライブに置いています。

よろしければ御覧願います。

下の写真はユリノキ・キリ・イチハツ・シロヤブケマンソウ・

アカバナユウゲショウの順です。他にもいろいろ出しています。

 

 

 

 


20.04.30ちょっと、お散歩

2020年05月03日 | 2020年

20.04.30ちょっと、お散歩

4月尽の30日、天気も良いことだしで、少し散歩を試みる。

自宅→西芳寺前→唐櫃越道→桂坂野鳥園前→京大桂キャンパス→自宅

 3.2キロ  →  3.2キロ   →   4.2キロ

ということで、おそらくは10キロを超えた程度。

中山道や京都一周をした時などは30キロ以上歩いていたので、

10キロ程度では距離が短いとは思う。でも老いさらばえた?

身とあれば、ちょうど良いのかもしれない。

全行程、歩いてのものである。

まず自宅から山沿いの道を唐櫃越えのとっかかりまで歩く。

西芳寺の手前にあるのだが、西芳寺のバス停前まで行って、飲み物を調達。

いよいよ唐櫃越え道に入る。

この道は本能寺の変の時に明智光秀の別動隊が通った道という

説もあるが俗説なのだろう。こういう道を通らせる意図が不明だ。

ただし、万一光秀側が敗北して亀岡方面に逃げ帰る場合には

役立つ道であったかもしれない、光秀のことだから、

それくらいは考えていただろう。

ついでに言うと、光秀以前にも何度か軍勢を通したという信頼できる

記録があるので、光秀も選択肢の一つとしていただろうとは思える。

初めは墓地が少しあるが、基本的には山の中の尾根筋の道である。

きちんと整備がなされているわけではない。道幅も人一人しか

通れない狭い部分もある。ほとんどの部分で道の両側に樹木が茂っていて、

街中を見通せる場所は数か所のみ。

猪や鹿や熊と遭遇したとしても不思議ではないが、不思議と

注意を促す標識はない。

途中に一か所のみ市内方面に展望の開けている場所があった。

でも遠くてうまく写せない。

それからほんの少し行っただけで桂坂の方に下山する道がある。

うまく説明している立て札がなかったので、下山するべきか

ちょっと迷ったのだが道なりに下りると桂坂野鳥園の横であった。

それで事実上はこの日の、お散歩は終わった。

後は舗装されている平たんな道を京大のキャンパスなどを横目に見て、

写真を撮りながらゆっくりと歩いて帰宅。

公共交通機関を利用せず、人とも会わずなので、

今のご時世であっても許されるのではなかろうかとは思うが・・・。

とまれ、時々はこんな日がないと厳しい。

例によって当日の画像は一番上から入って下さい。

 

 

 


20.04.28ちょっとサイクリング

2020年05月02日 | 2020年

20.04.28ちょっとサイクリング

例のコロナ禍のために運動不足に陥っている。

私には持病があって、そのコントロールのためには

適度の運動は不可欠なのだが、毎日計測している血糖値と

血圧は徐々に上昇傾向にある。やはり運動は欠かせない。

 

本来ならおとなしく、ひっそりと自宅に閑居しているべきなのだが、

思いきって自転車で出かけてみる。バス、電車の公共交通機関を使わず、

人と話すこともないのだからと自分を納得させての話。

特に行先は定めてはいなかったが、桂川に出て自転車で男山の

方に進路を取る。

途中、久我の方で「誕生寺」に寄る。境内に人は一人もいない。

青葉茂れる公孫樹の樹がひっそりと、たたずんでいるばかり。

本堂も締め切っている。

この誕生寺は曹洞宗の開祖「道元禅師」を祀る。つまりは

道元禅師はこのあたりの出自。父親は源通親。通親が久我氏の初代。

通親と言えば平安末から鎌倉初期にかけて、それなりに活躍した人物。

道元禅師は京都の興聖寺や福井県の永平寺を起こした人物。

大変な俊傑である。

「誕生寺」を辞してから一路、男山方面にまで・・・。

河原に咲く初夏の花たちを横目に見て過ぎる。

やがて、男山のすぐ前に来て小休止。「背割りの桜」並木の

桜の木も新緑に満ちている。

結局は石清水八幡宮迄は行かずに、そこから引き返して、

今度はわざと鴨川のほうに進路を取り北上。

ここまで来たら男山の石清水八幡宮に参詣するべきかとも

思ったが、何度も言っていることだしと理屈をつけて行かない。

くいな橋手前で非常に間近に見える比叡山を撮影。

そこから少し引き返して、久世橋の通りを西に向かって走る。

それで今回の走行距離は26キロ程度。

車体重量25キロと私自身の体重60キロを前に進ませるためには、

電動自転車と言えども平地ではスピードが限られている。

休憩時間込みで4時間ほどかかったのではなかろうか。

若い頃にはスポーツタイプの自転車で一日で150キロは走ったことも

あるのに、やはり年には勝てない。そのことを自覚した一日でもあった。

それでも快い疲れだと思う。

当日の画像は一番上にあります。できましたら御覧願います。