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斎藤 孝の3色ボールペンの功罪

2009年03月05日 | 文房具と読書
斎藤 孝の3色ボールペンの功罪

斎藤 孝の「3色ボールペン」は、きわめて認知度の高い文房具の技術である。すなわち、赤・青・緑の3色ペンを用いる読書方法論だ。

一番大事なところに赤、普通に大事なところに青、ちょっと面白いと思ったところに緑と色を使い分けて棒線を引く。黒を除く3色ペンを用いるという発想は、なかなかユニークだ。また、100円ショップを通じて安価な4色ボールペンが手に入るようになった現在、このような文房具技術の紹介は時期を得たといえる。

東大法学部の先輩から何十年も前に聞いた話だが、法律の文章を何色ものラインマーカーで器用に色分けしてしまう学生がいたらしい。斎藤の3色ペンのアイデアも、東大法学部の文化と関係あるのかもしれない。東大法学部の流儀の大衆化と言えなくもない。

しかし私が危惧してしまうことがある。それは斎藤の3色ボールペン本を安易に購入する読者たちである。ちょっと面白いかもしれない。が、3色ボールペンを使い分けるというだけのことである。わざわざ斎藤の本を1冊本を買う必要があるのか。

また、斎藤流の3色ペンを何とか入手しようとする人達もいるわけで、そのナイーブさに驚くざるを得ない。さらに呆れてしまうのは、三色ペンの技法を使いたいがためにラミーの高級四色ボールペン(ラミー、L2000、定価1万円)を購入してしまう人がいることだ。ラミーの4色ペンは大変魅力的なペンではあるが、本のお供としてはちょっと使いにくいのにもかかわらず、だ。

著者の主張を鵜呑みにする人は、方法論のエッセンスを見逃しているのでないだろうか。

そもそも、文章を色分けするテクニックというのは、本に傍線を引っ張ったり、書き込みをしたりしたいという内面的な欲望が生まれなければ、機能しない。そしてその欲望が、もう少しシステマティックになったとき、自然に色分けしたいと思うようになるのだ。もしそういう内側からの欲望がなければ、例えば緑色を使いこなすことは、到底出来ないだろう。

次に強調したいのは、本を読み返してみる習慣が定着しなければ、色分けにはあまり意味がないということだ。(読み返してみようっと思うということは、何らかの問題意識が生まれているということでもある)。安易に斎藤本を購入した読者は、しっかりと3色ボールペンを使っているのだろうか。

最後に、これは極めて当たり前のことなのだが、3色ペンはひとつのテクニックに過ぎないのだ。他人のテクニックを真似するのもよいが、自分なりの、自分にぴったりの方法論を、自ら開発していかなければならないのだ。そういう主体性がない人は、3色ペンも使えないのではないのか。

例えば、3色も本当に必要なのか自問自答してみる。消せないボールペンで書き込みする事に不安を覚えたりしないのか。もし不安ならば柔らかい鉛筆のほうが良いのではないのか。2色ボールペン+シャープペンシルで一本という組み合わせとどちらがよいのか考えてみただろうか。(緑のペンの代わりになるのがシャーペンである)。あるいは、パイロット Frixionの消えるボールペンを使うのはどうか。赤ではなく付箋を貼るべきではないか。ポケットを裏表紙に貼るべきではないか。デジカメでメモするべきではないか等々。

斉藤の技法をそのまま真似すると言うよりは、主体的に文房具を使いこなすという精神に刺激を受けるべきであろう。各人が、主体的に文房具の利用の仕方を模索して欲しいと思う。

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2 コメント

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Unknown (キュポラ)
2011-07-19 18:11:37
おもしろいブログです。
つねに疑問をもち、言語化してる方ではないと
このような楽しい文章は書けない思いました。

失礼かもしれませんが
コメントしてみたいと思いました。


>他人のテクニックを真似するのもよいが、自
>分なりの、自分にぴったりの方法論を開発し
>ていかなければならない。そういう主体性が
>ない人は、3色ペンも使えないのではない
>のか。

齋藤孝さんの三色ボールペンの本に影響をうけるのは、本との関わりが薄い、言うならば読書初心者の方でないでしょうか。

読書をしていれば、「ラインをいれる」なんてことはスグに行き着くことだと思います。
その過程で自然と色分けも考えるでしょう。
自分なりの読書法も意識的かどうかは別にして生まれているでしょう。

したがって、この本は読者初心者にとってどうなのか?と考えるべきだと思います。
それ以外の者にとっては「それぐらい言われなくても知ってるよ」で終わってしまう内容だからです。

そこで結論ですが、
読者初心者の導入として3色ボールペンは「アリ」だと思います。
なぜなら、あまりにも革新的ではなく、内容がないからです。
ここから先を試行錯誤せざる得ないと思います。
「守破離」という言葉がありますが、
その「守」の超入り口としての機能はあると思います。

本を読まないよりマシという、そういうレベルの話です。


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コメントありがとうございました。 (rinkaan)
2011-08-01 12:02:34
キュポラさん、レスが大変遅れてしまいましたが、コメントありがとうございました。

3色ペンについての私の文章は、誤字脱字が多いのですが、比較的人気のある記事の一つです。おそらく、多くの人にとって関心のあるテーマなのでしょうね。

しかし、斉藤の本はもう過去の本になりつつあるのではないかと思っています。私ならば、3色ペンではなく、ノック式フリクション(消せるボールペン)を推奨したいからです。
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