林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

「文法訳読」再々考(その1)―大学教員と「英語教育論」

2012年04月03日 | 英語学習
すこし前、「文法訳読(教育)」という言葉には二つのイメージがあると書いた。今あらためてもう一度書いてみると、こんなふうになる。

A
 英語入門者の文法教育のために用いるべきアプローチ。英文は原則的に単文で、それを正確に和訳することが求められる。和訳は翻訳ではなく、直訳を基本とする。なぜならば、英文を英文法に即して正確に理解することが求められているからだ。また、その和訳を用いて英訳する場合が多いので、英訳しやすいような直訳的日本語が望ましいとも言える。ここでの中心課題は、いわゆる五文型や主語、動詞、目的語、補語を理解したり、動詞、名詞(名詞節、名詞句)、形容詞(形容詞句、形容詞節)、副詞(副詞句、副詞節)、代名詞といった品詞概念を徹底することである。

B ややレベルの高い水準の英語学習者(英語中級者)を対象とする教育手法で、英文を一つ一つ丁寧に和訳させながら読解させようとするものである。このとき用いられる英文は、複数の文章から構成されるのが原則であり、ある程度まとまった知的思想的な深みのある題材がとりあげられる。古典的教材としては原仙作の『英標』(私は『英標』を用いた最後の世代だと思う)、文法訳読式の伝統の風格のある入試問題としては京都大学のものが想記されるだろう。逆に、センター試験の英文ではBの題材として相応しくなく、最低限、私大および国公立2次試験の英文がBの範疇に当てはまると考えられるだろう。

さて、私が重要であると考えているのは、Aの「文法訳読」のイメージだった。そしてこの観点から、Birldlandの問題集は非常に好ましくないと批判した。ところが、さきほど江利川先生(和歌山大学)のブログを見てみると、驚くべき事を発見してしまったのである。どうやらAの教育手法は、実は「文法訳読」とは呼ばないらしいのである。一部引用してみよう。

ヨーロッパでルネッサンスの時代(14~16世紀)から19世紀までの約500年にわたって支配的だったGrammar-translation Method(GTM方式)と,「文法・訳読式教授法」とは区別して扱う必要があることだ。

西洋のG-TMは,相互に意味的なつながりのない短文を翻訳することによって「文法を習得する」ことを主眼にしていた。これに対して,日本化されたG-TMである文法・訳読式教授法では,意味的につながりのある長めのテキストの読解を通じて「意味内容を理解する」ことを重視してきた。


やや意外であるが、ここまではっきり指摘されてしまったのである。私としても、Bは「文法訳読」であるが、Aは「文法訳読」ではないと言わざるを得ない。

では、仮にAの方式がGrammar-Translation Method(GTM方式)なのかと問われたとしたら、どうだろうか? Yesと言いたいような気もする。だが、江利川先生らの文章を読む限りはそういう雰囲気は全然伝わってこない。また、「このペンは誰のモノですか」みたいな和訳をする訓練と、中世の学生たちのラテン語の学習とは全くかけ離れた世界に思えるのだ。

とすれば、A型「文法訳読」は、公の名前を持っていないということになる。公認されていない教育方法は、存在しないも同然ではないか。私は大学の学者たちの作る学界の動向には無縁だったので、そういうことを知らずにブログに書いていたのである。私はどう考えればよいのか?