青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります





パトカーの存在は犯罪防止には一番大きな力を持っている。やはり犯罪者にとっては最大の脅威だ。これからますます子供の犯罪が多くなる。子供を持つ親御さんは心配だらけ。今は警察だけではない。市民が一体になって協力する事によって地域の安全を守って行く事ができる。特にパトロールカーの存在は大きい。最高の抑止力だ。






佐世保の事件について、朝からテレビで取り上げられていた。佐世保市では、命の教育に力を入れていたにもかかわらず、事件が起きたことにショックを受けているらしい、と。心の教育を行い、命を見つめる日を作っても、子供たちに良い影響を与えることができなかった、と。

命の大切さを伝えるには、どうしても宗教的倫理観を無視することはできません。人は、なぜ生まれてきたのか、なぜ愛し合わなければいけないのか、なぜ傷つけあうことはいけないのか、なぜ努力しなければいけないのか、などの原点は、全て宗教から来ています。それなくして、愛も反省も正義も友情も、また日本の心の原点である武士道精神も生れません。

だが、戦後、日本の表舞台から宗教的な考えが排除されました。唯物的な道徳教育だけでは、本当の命の尊さは伝わりません。

友達は大事だから傷つけたり殺したりしてはいけない。この程度の教えでは、大事でなくなれば殺しても構わない、と言う考えに陥る可能性もあります。人間を、物や機械のように見てしまうからです。

これと同じような考えの国家があります。唯物論の国家、中国や北朝鮮です。これらの国では、人の命が軽んじられます。人を物のように扱うからです。人が有用なときは大事にするが、有用でなくなれば殺しても構わない、こんな価値観です。

教育基本法では、宗教に関する一般的な教養を教えたり、宗教に対して敬意を払うことは定めています。だが、道徳教育の場において、宗教的倫理観が浸透しているとは言い難い状況です。

今回の事件を契機に、真剣に、心の教育や命の教育を考えないといけません。戦後教育の見直しをしないといけません。



根岸さんが述べているように、人が生きる上で宗教的倫理観はとても大事だと思います。人様の悩みを聞く機会が多々ありますが、宗教的人生観の欠如によって延々と悩み続ける方が多いように思います。例えば、お年寄りが「お陰様でね~」とか「有り難い、有り難い、お天道様のおかげじゃ。」とかよく口にしています。それは、神仏を敬う心とか人を尊重する心とか根本的なことです。特に難しいことではなく、日本人が当たり前のこととして持っていた基本精神を取り戻す時が来たと思います。




世界が進歩するのと比例して機器も進化していきます。スマホが1つの原因として捉えられていますが、自動車だって同じこと。一歩間違えれば大変なことになる…。

それらを使わせないことは容易なことだが根本的な解決にはならない。その為にも日頃からの生教育が必要であり、心を養うために情操教育が必要になる。

児童養護の現場でも児童福祉法の改正により大人と子供の立場が逆転した。教育現場でも同様。確かに伝統的な力による支配はよくないが、昔の子供は己が痛みを知っているが故の行動があった。問題やシグナルを出している児童には腫れ物に触るような対応しかできていないのが原状ではないか。

家庭、学校、地域の三者による情報共有と行動力が全てを左右する。問題を抱える家庭こそ孤立化し助けを求める事ができなくなる。その痛みを分け合って養育していくことこそが今の日本に不足してきていることだと感じでいる。

知識より意識、親や先生としての自覚ではなく、大人としての自覚を持たなければならないと思った。





「 子供 」 たち きっと「 心 」 泣いて います

「 純粋 無垢 」 だった ..子供達

「 親 」「育つ 環境」淋しさ 孤独、、。

そして、 「 ニュース 」「インターネット」等国を 背負う 「 政界 」

子供たちは、、先は日本を つくる 「 大人 」 に。

政界が 「 子供 たち 」 の「 目線 」に たち「 子供の 心 」 を 「 守る 」取り組み 、、 を 全身で取り組ま なければ いけません

まだまだ、、 「 とんでも ない 」事が、、 「 起こります 」

犠牲に なるのは「 将来 」 を 「 夢見る 」 子供達

素晴らしい 「 ご使命 」 にひとり の 人間と して「 尊敬 の 意 」 で 一杯でございます。

「 ありがとう 」 ございます