青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります





連合会からのコメント

警察もやっと動いたか。我々もネットで警察は何をやっているのだと、訴えたばかりではなく、今回の皇子山・中2年の生徒が繰り返し暴行を受け、自殺した息子の生徒の父親が警察に被害届を出そうとしたにもかかわらず、 3回にわたって受理を拒否されていた。



大津署は「被害者が死亡している場合、 殺人などでなければ犯罪として事実認定できない」などと説明したという事に対し、もし教育委員会や皇子山中がいじめを認定し警察署に報告していれば多分警察署も加害者に対し事情聴取を必ずするはずだ。それもしなかった。



学校や教育委員会に問題がある。とにかく学校も教育委員会も暴力も認めず事件をあいまいにしてしていた責任は重大だ。今まで数多くのいじめ自殺事件が多かったが、校長・教頭・教師は誰一人責任を取った事を聞いたことが無い。今回はどんな事があってもいじめと自殺の因果関係を、立証できるのは当然だと国民の多くは思っている。



もう昔と違ってネット社会が力を持ってきた。いくら学校や教育委員会がごまかそうとしてもごまかすことは出来ない警察もそうだ。多くの日本人もようやく目が覚めて来た。今迄学校内で起きた、数々の事件に対して、都合の悪い事は隠して来たが、今やネット社会。



あらゆる情報がネットに出てくる。いい傾向だ。いくら隠しても隠しきれない。それに隠せば隠すほど情報が上がってくる。それによって市民や県民・国民が、行動を起こす。我々の活動は大衆運動これに勝る力はない。弱者救済の為に頑張りましょう。



そして、2年前に川崎市多摩区の南菅中学3年の篠原真矢君(当時14歳)が、いじめられた友人を守れなかったと遺書を残して、いじめの悲惨さを自分の死を以って社会に訴えた事件があった。ここに、篠原真矢君が家族へ残した遺書と友人に残した遺言を紹介します。


 

「俺自身と、友人Fをいじめた4人を絶対に許さない」と書いてある【遺書】
お父さん、お母さん、お兄さん、婆さん、先立つことをどうかお許しください。俺は「困っている人を助ける・人の役に立ち優しくする」それだけを目標に生きてきました。

でも、現実は人に迷惑ばかりかけて、 F のことも護れなかった…
それに俺には思い出が多すぎました。
こんな俺が、人並みに生きて、友達を作って、人生を過ごしていく…そんな事があっていいはずないんです。

俺がいて不幸になる人は大勢いる。それと同時に俺が死んで喜ぶ人も大勢いるはずです。でも俺は F をいじめた、 B、 C、 D、 E
を決して許すつもりはありません。
奴等は、例え死人となっても必ず復讐します。
でも、この十四年間楽しいこともたくさんありました。

春は桜が出会いを運び
夏は花火が夜空に消えて
秋は紅葉が空を染め上げ
冬は白雪が乾いた心を潤す

季節が過ぎていく中で色々ありました。それが全ての想い出となって心に残っています。

家族のみんなにはお願いがあります。

1つは、自分達をどうか責めないでください。
俺が死ぬのは家族のせいじゃありません。俺自身と、F をいじめた連中が悪いんです。

大丈夫。

ある日は日の光となり、ある時は雨となって、あなた達の心の中で生きています。
だから哀しまずに、俺の死を糧として、全力で生きていって下さい。

2つは、俺の臓器が無事だったら、それを売ってお金にしたり、お婆ちゃんや爺ちゃんの治療に使って下さい。

それが俺に出来る唯一の罪滅ぼしだから…
それと、爺ちゃんには優しくしてあげて下さい。過去には色々あったと思いますが、それでも大事な家族です。

大切にしてあげて下さい。

そして赤、青のバッティンググローブは形見として下さい。

今まで本当にありがとう
そしてさようなら

君がため 尽くす心は 水の泡
消えにし後は 澄み渡る空

 

 

友だちへの遺言

父さん、母さん、婆ちゃん、兄さん、俺が先立つことをどうかお許し下さい。

俺は、自分をさらけ出して生きていくのも、人に迷惑をかけていくのにも疲れました。

俺にはあまりにも思い出が多過ぎました。

最期にはお礼を言いたいと思います。

(a)、(b) へ

本当に最期まで味方してくれてありがとう。その笑顔が言葉が、どれだけ支えてきてくれたことか…俺は二人のことを誰よりも信頼してました。本当にありがとう。言葉では言い表せないくらい、ありがとう。

(c) へ

3年間、(c)のおかげで本当に楽しかったよ。部でのことや、野球観戦とか、すごい面白かった。でも「これから野球部を盛り上げる」っていう約束を守れなくてゴメンな。

(d)、(e) へ

前に行ったカラオケは、思えば最後の思い出だったからな。でも、あの時は自分を忘れるくらい熱くなれたかな。ありがとう。最近、(e)とは喧嘩しちゃってゴメン。(d)はこれからも頑張って野球部を導いて下さい。

(f) へ

最期まで「相棒」と呼んでくれてありがとう。今回の件には巻き込んじゃって申し訳ないと思ってる。大丈夫。これからも俺とお前は「相棒」同士だから。

(g)、(h) へ

映画もカラオケもすごく楽しかったよ。二人はいつも面白かったね。二人の楽しげな姿は俺の心に、今だに残っています。

(i)、(j) へ

二人のコント(?)や突っ込みや行動には笑いが絶えませんでした。そういえば(i)とは昔からの仲だよね。長い間本当にありがとう。(j)はこれからも「クラスの中心」として頑張ってな。

(k)、(l) へ

生徒会のこと、最期まで果たせなくてゴメンな。(k)は誰よりも優しく、誰よりもお人好しでしたね。俺はそんな(k)を心から尊敬してました。(l)は本当に温かい心の持ち主だった。その優しさで、いろんな困ってる人を助けてあげて下さい。

(m)、(n) へ

二人との思い出といえば、やっぱり一年の時の駅伝かな。あの時はとにかく何もかも全力だった。「できれば今年は三人で」と思ったんだけど、それも無理だったみたいだ。二人は中学の駅伝を引っ張ってく者として、頑張ってほしいです。

(o)、(p)、(q) へ

俺ら四人はよく遊んだね。1年の時には「仲良し四人組」とか言われてたっけ(笑) くだらないことばっかしたけど、それが俺にとって一番だった。本当にありがとう。

(r)、(s) へ

小学生の頃からのなじみだったよね。これが「くされ縁」ってやつなのかな(笑) ヴェルディでサッカーをしてたこともあったっけ。俺は野球に、二人はサッカーという別の道に進んできたけど、人生という名の道では、かなり身近に感じてたよ。

(t)、(u) へ

(t)はある意味面白かったよ(笑) 時には面白く、時には真面目に。俺はそんな(t)が大好きでした。
(u)は俺にとって最期まで「いい奴」だったよ。ありがとうな。

 

(v)、(w) へ

(v)の言ってたことは正しいと思う。けど俺にはそんな正直なことはできなかった。本当にゴメンな。
(v)は何かと俺を楽しませてくれたね。ありがとう。
(w)のファッションには、いつも驚かされました(笑) 
(w)は何かすごいものを持っていると思うよ。だから頑張れ!

(F)、(x)へ

(F)は最期まで何もしてやれなかった。本当にゴメンな…。お前は優しいから「誰にも迷惑かけたくない」と思ってるのかもしれないけど、それは違うぞ。人は支え合って生きてくもんだからな。時には人の手を借りて、背負わず生きてほしい。
(x)は本当に面白いし人気者だったな(笑)俺自身も勇気とかもらったし。その笑いのセンスで他の奴を楽しませて。

※ (F)君は、遺書に名前が書いてあった、真矢が「護りたかった友達」です



そして、

書ききれなかった全ての人たちへ…

本当にありがとう。

家族には最期のわがままが少しあります。

1つは、俺の臓器に無事なものがあったら、ためらわず売って金にして、ローン返済や生活費に当てて下さい。それが俺にできる、罪滅ぼしだから…

2つは、俺の死を哀しまず、それを糧にして生きてほしいということです。

 

大丈夫。

陽が射すうちは、あなたを照らし

雲が陰れば、俺の哀しみは涙となって天地をつなぎ

雪が降れば、哀しみは地に帰り

風が過ぎれば、それは俺の面影だから

 

本当に今までありがとう。だから俺の分まで精一杯生きて下さい。

ありがとう

そしてさよな

二つの赤・青のバッティンググローブは俺の宝物です。

これをどうか形見にしてください。


連合会理事長のコメント
私は真矢君の自殺に関してのすべてに関与した。教育委員会とは何度も激論を交わしたが、最終的には今までのいじめの問題を多く関わった中では、良く教育委員会が調査したと思っている。しかし真矢君はこの世にはいない。真矢君の家族も立派な人だが、真矢君も大勢友達がいる人気者だ。未だ月命日は多くの友達が真矢君の家に集まる。本当は真矢君には死んでもらいたくなかった。



 






今日はおそらくいじめ自殺の問題で過去に市民が立ち上がって抗議をするデモは初めてではないかと思う。私も近かったら仲間と一緒に参加した位だ。とにかく学校内で起きているいじめは、ますます近年増えている。それに対して学校は子ども達を真剣に守ってやっているのだろうか。


今回の大津市の皇子山中学で起きたいじめ自殺事件。事件に対し学校や教育委員会の無責任な対応に国民の怒りは頂点に達している。しかしこの問題は大津市
に限らず全国の学校で起きている可能性がある。何故かと云うと全国で校内暴力が年々増えているからだ。それに対し学校はお手上げ状態。これでは子どもを持つ親御さんからすれば心配するのは当たり前だ。それだったら市民が立ち上がっていじめ防止の抗議をしようとデモを企画した団体がありましたので是非皆さん子ども達をいじめから守る為に参加してください。

いじめ抗議 大津市 大“散歩”会
【日時】7月14日(土)・15日(日) 両日午前10時~2時間程度
【場所】大津市立皇子山中学校前~滋賀県警大津警察署 ・集合は皇子山中学校前に午前10時

 


画像は大津市立皇子山中学校→077-522-6673

いじめ隠ぺいの撲滅を目指した市民によるデモ

【時間】7月17日10時から30分
【場所】大津地方裁判所にて

画像は大津地方裁判所 電話 077-522-4281

★イジメを無視する日教組教育を許さないぞ!デモ@大阪★
【日時】7月22日(日)13時30分集合・14時出発
【場所】大阪市西区・靭(うつぼ)公園東園


画像は靭(うつぼ)公園

今日もまた大津市で昨年10月市立中学2年の男子生徒(13)が自殺した問題で、平野文部科学相が見逃せない問題だと認識。今回の件の調査を進めるとともに文科省が実施している自殺調査のあり方を見直す方針を明らかにした。
私から言わせれば何ボケた事を今頃言ってるのかと、怒りを感じる。こんな事は既に17~18年前から我々が訴えてた事だ。それに未だいじめによる自殺が全然ありませんと言う。文科省も全国の都道府県の教育委員会、学校等のいい加減な都合のいい調査もしていないのに、してるようなデタラメな報告を文科省にしている事自体、おかしいとは思わないか。今文科省の調査によると10年度に自殺をした全国の小中高生は、156人警察署の調査では552人と大きな開きがある。




皆さん忘れてはいけません。1994年11月27日深夜、愛知県西尾 市の市立東部中学校2年の大河内清輝君(13歳)が自宅裏庭のカキの木にロープを かけ首吊り自殺。姿の見えなくなった息子を探していた母親(当時44歳)が発見した。青少年育成連合会も大河内清輝君の遺書を読み余りにもひどいいじめの内容に驚いた。絶対にこんな事は二度とあってはいけない。それに清輝君の優しさが自殺に走らせたのではないかと私は思っています。何でこんな優しい子が自殺をしなければならないのかと今でも悔しさでいっぱいです。当時弔問に行った時に青少年育成連合会の副理事長の鹿川雅弘氏(葬式ごっこ先生も参加した余りにもひどい色紙そしていじめ自殺事件この事件の発覚からいじめ自殺問題が社会問題として発展)は清輝君をいじめた4人と他に7人に清輝君にやったようないじめを、気が済むまでボコボコにしてやりたいよと何回も話をしていた。私も同感だ。もし私の地元だったら間違いなくやっただろう。今でも清輝君の遺書を読み返すと胸が込み上げてくると同時にいじめに対する怒りが止まらない。皆さんもう一度清輝君の遺書を読んで下さい。そして二度といじめのない子ども社会を作りましょう。

大河内清輝君の遺書全文

 いつも4人(名前が出せなくてスミマせん)の人にお金をとられていました。そして今日、もっていくお金がどうしてもみつからなかったし、これから生きていても・・・・・。だから・・・・・。またみんなといっしょに幸せに、くらしたいです。しくしく。



 小学校6年生ぐらいからすこしだけいじめられ始めて、中1になったらハードになってお金を取られるようになった。中2になったら、もっとはげしくなって、休みの前にはいつも多いときで6万少ないときでも3万~4万、このごろでも4万。そして17日にも4万ようきゅうされました。だから・・・・・。でも、僕がことわっていればこんなことには、ならなかったんだよね。スミマせん。もっと生きたかったけど・・・・。家にいる時がいちばんたのしかった。いろんな所に、旅行につれていってもらえたし、何一つ不満はなかった。けど・・・・・。



 あ、そうそう!お金をとられた原因は、友達が僕の家に遊びにきたことが原因。いろんなところをいじって、お金の場所をみつけると、とって、遊べなくなったので、とってこいってこうなった。



 オーストラリア旅行。とても楽しかったね。あ、そーいえば、何で奴らのいいなりになったか?それは川でのできごとがきっかけ。川につれていかれて、何をするかと思ったら、いきなり、顔をドボン。とても苦しいので、手をギュッとひねった。助けをあげたら、また、ドボン。こんなことが4回ぐらいあった。特にひどかったのが矢作川。深い所は水深5~6mはありそう。図みたいになっている。ここでAにつれていかれて、おぼれさせられて矢印の方向へ泳いで逃げたら、足をつかまれてまた、ドボン。しかも足がつかないから、とても恐怖をかんじた。それ以来、残念でしたが、いいなりになりました。あとちょっとひどいこととしては、授業中、てをあげるなとか テストきかん中もあそんだ とかそこらへんです。


画像はおぼれさせられた時の状況のメモ

家族のみんなへ

 14年間、ほんとうにありがとうございました。僕は、旅立ちます。でもいつか必ずあえる日がきます。その時には、また、楽しくくらしましょう。お金の件は、本当にすみませんでした。働いて必ずかえそうと思いましたが、その夢もここで終わってしまいました。そして、僕からお金をとっていた人たちを責めないでください。僕が素直に差し出してしまったからいけないのです。しかも、お母さんのお金の2万円を僕は、使ってしまいました(でも、1万円は××さんからもらったお年玉で、バックの底に入れておきました)



 まだ、やりたいことがたくさんあったけど、・・・・・。本当にすみません。いつも、心配をかけさせ、ワガママだし、育てるのにも苦労がかかったと思います。おばあちゃん、長生きして下さい。お父さん、オーストラリア旅行をありがとう。お母さん、おいしいご飯をありがとう。お兄ちゃん、昔から迷惑かけてスミマせん。○○(弟)、ワガママばかりいっちゃダメだよ。またあえるといいですね。最後に、お父さんの財布がなくなったといっていたけど、2回目は、本当に知りません。

 see you again



 いつもいつも使いばしりにされていた。

 それに自分にははずかしくてできないことをやらされたときもあった。そして強せい的に、髪をそめられたことも。でも、お父さんは自分でやったと思っていたので、ちょっとつらかった、そして20日もお金をようきゅうされて、つらかった。



 あと、もっとつらかったのは僕が部屋にいるときに彼らがお母さんのネックレスなどを盗んでいることを知ったときは、とてもショックでした。あと、お金をとっていることも・・・・・・。
 自殺理由は今日も、4万とられたからです。そして、お金がなくて、「とってこませんでした」っていっても、いじめられて、もう一回とってこいっていわれるだけだからです。そして、もっていかなかったら、ある一人にけられました。そして、そいつに「明日、『12万円』もってこい」なんていわれました。そんな大金はらえるわけ、ありません。それに、おばあちゃんからもらった、千円も、トコヤ代も、全て、かれかにとられたのです。そして、トコヤは自分でやりました。とてもつらかたったでした。(23日)



 また今日も1万円とられました(24日)
 
 そして今日は、2万円とられ、明日も4万円ようきゅうされました(25日)あと、いつも、朝はやくでるのも、いつもお茶をもっていくのも、彼らのため、本当に何もかもがいやでした。

 なぜ、もっと早く死ななかったかというと、家族の人が優しく接してくれたからです。学校のことなど、すぐ、忘れることができました。けれど、このごろになって、どんどんいじめがハードになり、しかも、お金がぜんぜんないのに、たくさんだせといわれます。もうたまりません。最後も、御迷惑をかけて、すみません。忠告どおり、死なせてもらいます。でも、自分のせにされて、自分が使ったのでもないのに、たたかれたり、けられたりって、つらいですね。



 僕は、もう、この世からいません。お金もへる心配もありません。一人分食費がへりました。お母さんは、朝、ゆっくりねれるようになります。○○(弟)も勉強にしゅうちゅうできます。いつもじゃまばかりしてすみませんでした。しんでおわびします。



 あ、まだ、いいたいことがありました。どれだけ使い走りにさせられていたかわかりますか。なんと、自転車で、しかも風の強い日に、上羽角(地名)から、エルエルまで、1時間でいってこいっていわれたときもありました。あの日はたしかじゅくがあったと思いました。あと、ちょくちょく夜でていったり、帰りがいつもより、おそいとき、そういう日はある2人のために、じゅくについていっているのです。そして、今では「パシリ1号」とか呼ばれています。あと、遠くへ遊びにいくとかいって、と中で僕が返ってきたってケースありませんでしたか、それはお金をもっととってこいっていわれたからです。あと、僕は、他にいじめられている人よりも不幸だと思います。それは、なぜかというと、まず、人数が4人でした。



 だから、1万円も4万円になってしまうのです。しかもその中の3人は、すぐ、なぐったりしてきます。あと、とられるお金のたんいが1ケタ多いと思います。これが僕にとって、とてもつらいものでした。これがなければ、いつまでも幸せで生きていけたのにと思います。テレビで自殺した人のやつを見ると、なんで、あんなちょっとしかとられてないんだろうっていつも思います。最後に、おばあちゃん、本当にもうしわけありませんでした。




遺書

 (America用の手紙だけど・・・・・)
 (ぜひ、旅日記もよんで下さい)

 お金をとられはじめたのは、1年生の2学期ぐらいから。

 お母さんは、昔、教会につれていくっていってたこともあったよね。あのときは、とてもいきたかった。(つけたし)日曜日も、また、2万円と1万円をようきゅうされました。そういえば、なぜ、ぼくが今度お金をとったら「しせつにいく」といったか。それは、そっちの方が幸せだと思ったから。彼らから、遊ぼっていうんだ。そして、いかないと・・・・・次の日にたくさんのお金をとられちゃうんだ。だからテスト週間でもあそばないといけなかったんだ。1年生のころは、彼らも、先輩につかまっていたから、べんきょうもできた。
※エアメールの封筒の表紙に書かれていたこと



借用書

 平成6年8月 114万200円  働いて必ず返します。 


 

連合会からのコメント

青少年育成連合会副理事長 山本博美 関西支部長

 

※ すべては学校長の責任です。
 各教員一人一人に対しての『いじめをなくせ』の指導が全くできていません!

 

※ 学校長を中心に[対策チーム]を組んで行動すれば今回のいじめは防げました。

 

※ 教育者の正義感が失われています。

 

※ “上司に物を言えない”この構造が若い命まで奪っています。

 

※ 被害者が声を上げれば、学校・PTA・町からつるし上げられます。
 日本人の陰湿な人間性を変えない限り、いじめ自殺はなくならないと考えています。