青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります





この度、青少年育成連合会とは別に、新たな純粋な出会いの掲示板を作る事にしました。

理由は、余りにも多い出会い系や非出会い系等を利用した悪質な人間が、純粋な出会いを求めている人達を、騙したりしている事件が後を絶たない。その為に泣いている多くの人達、特に女性や子どもの被害が多い。それに被害者は無力だ。それに対し色々なサイトがありますが、問題に対しての対策が何もない。

今私達のサイトの特徴は、今社会はますます複雑になっている。それに対し個々に病んでいる人達も多い。私達のサイトの基本は子どもです。今、多くの子ども達は危ない有害環境にさらされております。

その根拠として最近各新聞が性被害を受けても、7割以上の被害者が誰にも相談できず、泣き寝入りをしていると云う事に、私達はこんな事は絶対に加害者を許してはおけないと、思っております。こういう人間を許せば増々性被害を受ける女性や子どもが増えるだけです。確かに打ち明ける事が恥ずかしいとか思い出したくないのは当たり前ですが、我々としてはこういう卑劣な奴らを一掃するしかないと思っております。


私たちの活動の基本は子ども達です。今の日本民族は、かつての正義感の強い勇気ある民族として、世界から評価されていた。しかし戦後の日教組教育によって、日本民族はずたずたにされた。その結果、個人主義が先走りし何が起きても我関せず。この国の為とか社会の為に、貢献しようと云う精神がすべてとは言わないが、なくなってしまった。子ども達にとっては、手本となる大人がいなくなれば、良い悪いの区別なくやりたい放題自由に生きる自分勝手な人間になるのは当たり前だ。今、悪い事をしている子ども達を注意する事も出来ない。注意すれば喰ってかかってくる。場合によっては暴力だ。とにかく自由と権利を主張する子ども達に圧倒される。今の家庭教育の基本がなっていない。昔から三つ子の魂百まで(人間は何事も小さいうち、最初のしつけが肝心)もと昔は良く聞いた。とにかく小さい頃からやっていい事と悪い事をしっかり教える事だ。これさえしっかりやっていれば、皆苦労はしない。

私の祖父は宮城県の県会議員で活躍し地域振興に貢献した事で知られた先祖は武士で初代は城代 正面から真ん中が父。何しろ真面目一筋。父が空手をやっていた関係上10歳から空手の練習
正面左が父の兄、座っているのが私の父。昔は躾は厳しく育てられ、兄弟喧嘩をしても負ける方が悪いの一言。 小さい頃から父に言われた言葉が喧嘩で、もしも負けたら次は絶対勝て。勝つ為には空手の特訓しかない。ただそれだけ
私の母方の祖父。身長が180cm以上あり、東北では演歌師として、前の知られていたと聞いている。特に街では評判が良く、母親からいつも悪いことをしてはダメだよと、良く言われた。とにかく勉強と躾だけは厳しかった。 私の母親は教育には厳しく特に学校で喧嘩でもすれば自分が悪くなくても相手の家に行って謝罪させられた事が今でも思い出す。それにどう云う訳か将来英語が必要だからと言って勉強をさせられた。これは正解だ
社会に出て役に立った
今でも高校時代の頃は余りにも遊び過ぎて記憶がない
母親からすれば心配で仕方なかったのではないかと思う。

高校時代は山に行く事は殆どなかった。ただ、ウサギを沢山飼っていたので、欲しい人が山手の方にいたので、父親と一緒に運んだ記憶がある。その時の写真だと思う。

高校の時の文化祭の時の写真だと思うがどこにいるか分かるでしょうか多分不良していたから、後ろの真ん中の目つきの悪いのが自分だと思う この写真は私が学校から帰ると直ぐに遊びに行くので
父親がヤギを買い遊びに行かないようヤギ小屋を作り
ヤギの飼育を任された。
の時は多分高3の終りだったと思う。何を考えて生きていたのか記憶がない。ただ不良学生だったが人を泣かせた事はない。街で知り合えば皆友達。特に10代の後半の遊びの場は新宿
さすがに新宿は川崎とは違う。新宿に行ったきっかけは、母親が私に黙って東宝芸能学園のニューフェースに応募し、採用されたのがきっかけ。多分親としては川崎に私がいる限り、絶対にヤクザにでもなったら大変だと云う思いがあって、応募したと思う。しかし場所が新宿だから芸能学園はわずかな期間で、新宿で出会った多くの遊び仲間が出来、家に帰るところではなかった。そこで知り合った顔役の影響が後半の自分の人生を変えたきっかけを作った。今でも尊敬している

高3の終り頃傷害事件で逮捕され両親に苦労をかけた事と私を心配してくれた検事の言葉がきっかけで自衛隊に入隊した。そこで一番目覚めた事が親に対する感謝の気持ちが芽生えた事だ。入隊して半年後から親に何でも買ってくれと送金が始まった。それが自衛隊満期退職まで続いた。やはり昔の人はかわいい子には旅をさせろと云う意味がつくづく分かった。私もその通りだと思っている。今の親の多くは子どもを過保護に育て過ぎや戦後最大の仕事もしない辛いことも我慢出来ない大人になっても親におんぶにだっこ。それで食いつないでいるニートと呼ばれている若者が100万を超えていると云う事だ
職業を選ばなければ仕事はいくらでもある。

米軍基地のアメリカ人だけが入れるプールがあり、米軍と一緒に仕事をやってる関係で暑い時は良くプールに行った。
そこには多くの子供たちが泳いでいて、たまには知り合いの子どももいた。とにかく日本人と違ってアメリカ人は明るい。夜は夜で基地内にいろいろ施設があり
そう云えばスロットマシーンで遊んだり、バーに行ったり、私はアルコールはやらないのでダンスをした。今では全く考えられない
私の中の良い米軍将校の子供と一緒に時間があれば、米軍専用のジムでウエイトトレーニング。写真を見るとその当時の事が思い出される。それにアメリカの兵隊と一緒に仕事をしていると、改めて日本とアメリカの生活の違いを感じた。
それに他国の為に命を賭けて戦う若いアメリカ兵を見ると、良く国の命令一つで何の抵抗もなく戦場で戦う兵隊に頭が下がる思いだ。やはり日本とは国家観が違う
米軍の体育館では仕事の合間に、アメリカの兵隊とボクシングをやったり逆に空手を教えたりしていた生活が、今ではいい思い出になった。 あの頃の子ども達は皆、今は家庭を持って元気で暮らしているだろうか。今はネット社会、もしネットでこの写真を見たら、さぞビックリするだろう。

皆汗をかいたらシャワーで汗を流しその後はまた遊び
とにかくアメリカの子ども達は明るいし、いじめなどをやってるのを見た事がない。それにしても、日本人の子どもと違って何でも質問してくる。なんとなく小さな大人を感じる。やはり日本とアメリカでは生活習慣が違う。

今の日本の子供は大人と遊ばない。昔は公園で良く子供達と遊んでいる大人を見かけたが今はほとんど見かけない。
アメリカの家庭は子どもは子どもの世界。
親は親の世界とはっきりしている。子どもが親にモノや金をねだるのを見た事がない。
今はネット社会。今出している連合会のブログが世界で見られている。もしかしたら、その当時の子ども達が見れば驚くだろう。 私の20代の前半は何が思い出と云ったらアメリカ人との関わりが多かった。それとアメリカと日本の生活の習慣の違いと人間性。それにドライだ。
多分私と同じ年だから元気でやっているはず。彼の性格は明るく、特にジョークが好きだ。一番長く付き合った親友 この写真は幸区の多摩川大橋付近で撮った写真、ジムとは性格は違うが優しさでは彼が一番。よく遊びに行った。
この写真は私の川崎の事務所の目と鼻の先の公園で撮った写真。彼と一番の思い出は銭湯に行ったとき、パンツでお風呂に入ろうとした時と番台におばさんがジロジロ見ていたのでなかなか裸になれなかった事を思い出す。日本では考えられない事だ。 これは米軍基地のボーリング場で皆で遊んで帰りに撮った写真。二人の子どもは我々の将校の子どもで、その日はボーリングのゲームが終わり、皆で家に戻りバーベキュー。とにかく週末はバーベキューが多い。その点、日本と生活習慣が違う。
私と多分教育隊にいた時の写真だと思う。もしネットで見かけたらメールを送って下さい。 この写真も教育隊の時に一緒の取った写真。もしネットで見かけたらメールを送って下さい。

 

次回に続く・・・

 

政府・白書

 

性犯罪被害、7割相談せず  世界日報より