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今日は3回目の笹川良一先生=元日本船舶振興会会長(現日本財団)の話しをします。私の知ってる限りの笹川先生は、偉大であることは歴史が証明する筈だ。食事も住まいも贅沢を一切しない質素な生活。それは小さい頃から父母によって、世のため人の為になる子を目標にして、育てられた教育による影響が、自分の人生の全てになった.



笹川先生とは色々縁がありまして、個人情報で詳しいことは言えませんが、先生の実子の〇〇さんは、私の兄弟と仲のいい関係で、それに又、お孫さんの笹川能孝さんとは、現在も我々団体と交流を持っており、我々の活動に対しては大変理解して頂き、それと同時に笹川さんの、人と人との縁を大事にする生き方に感銘し、それから以後活動の中でこの生き方を、会合やその他の集まりで話をさせて頂いております。たしかに私たちの活動を振り返れば、すべて人と人との縁結びではないかと思っております。



おそらく後にも先にも先生のような偉大な人はもう出ないだろう。今の金持ちにしても政治家にしても、先生の生き方を少しでも真似位はしたらどうですか。何しろ先生の父が偉大だった。笹川家は1747年から代々続く家柄だ。父鶴吉さんは十代目の当主、苗字、帯刀を許された庄屋の出で名家。それに株や先物の取引で大きな財をなした。



一般に先生が使った資金は、現日本財団日本船舶振興会の金を先生があたかも自由に使っていると誤解している人がいるが、それは大きな間違いで、そもそも財団はモーターボート競走法及び民法に基づく法人のため、国土交通省の管理下におかれ、大臣の認可を得なければ何もできない団体で、自由に金なんか使えるわけがない。



先生が使った金はあくまでも自分で得た金で何に使っても自由。人からとやかく言われる筋はない。それにしても先生の父、鶴吉さんは先生に対し「国家国民のために行った行為であれば、あるいは法律にふれるような場合であっても、良心に恥じるところがなければ、責めるべきではない。大衆の幸福と信ずればどんなことでも思い切ってやれ。


俺は死んでも魂はお前の背に乗ってお前を守り通してやる」と言うのが口癖であり、遺言もこの言葉だ。
先生は終生、父の言葉を守り実行した。
改めて思うが先生の事をとやかく言う人がいるが、先生の事を知れば知る程、今の政治家や金・金・金と金ばかりしか頭にない金持ちも、今一番大変な状況になっている国家国民の為に働いてもらいたい。



 笹川良一の父、鶴吉は戦前に、
「国家国民の為に行った行為であれば、あるいは法律にふれるような場合があっても、良心に恥づるところがなければ、責めるべきではない。大衆の幸福と信ずればどんな事でも思い切ってやれ。俺は心でも魂はお前の背に乗ってお前を守り通してやる」と言うのが口ぐせであったが、死の床の遺言もこの言葉であった。驚くべき遺言である。 子の笹川良一先生はそれを終生実行した。




 昭和20年、敗戦直後、彼はA級戦争犯罪人を志願し、巣鴨にすすんで入獄した。 天皇を護り、侵略国家の汚名をそそぎ、日本のプライドを守るためである。
 出所後はひたすら戦犯救済に走り、「競艇事業」
を創立し、やがて世界一の社会福祉財団を築き上げて行く。



 天然痘撲滅に最大の貢献をし、ジュネーブのWHO本部には、彼の胸像がキュリー夫人の次に飾られている。世界で4番目の
「人類の健康を守る”闘いに貢献した」



 日本人は日本人から逃げられない。

 自分の家庭は自分で守るごとく、自分の国日本は、自分たちの力で守らなければならない。国家は家庭の延長である。この平和で美しい日本を、ならず者国家によって蹂躙され、彼らにあごで使われ奴隷になってはならないのだ。それでは今次の大東亜戦争で、日本の栄光を願いながら散っていった310万の英霊に合わす顔がない。
 憲法を改正し、真の自前の軍隊を持ち、徴兵制か志願兵制を施いて、専守防衛の精神を持つとき、教育の根本軸が確立される。愛国心のないところに国家も教育もないのである。



 笹川良一氏は父母の教えを玉のように守り

「私は子や孫のために生まれてきたのではない。世のため人のために生まれてきたのだ」 の強烈や信念に生き、そしてそれを貫き通した。国民のためには、いやしくも良心に恥づる事は断じてしてはならぬ。しかし法律にふれることを怖れて人のため、世のために動けないようでも困る」の父の遺言を守り、その遺言どおりの生き方に徹して「愛」「慈悲」「恕」の大愛を全世界にふりまいた。20世紀の「愛の巨人」といってよい。日本の誇りにすべき人物である。




俺の魂はお前の背に付きそうているから、安心して国の為に働け。





 笹川良一先生はハンセン病(難病)の撲滅に力を注いでいた。昭和61年、ハンセン病予防ワクチンの、第1号実験接種者を志願しWHOで本部でそれを受けた。
 笹川先生のハンセン病制圧の意気込みがうかわがれる。
 笹川先生は裕福な造り酒屋に生まれたが、高等小学校だけで大学に進まなかった。小学校長のすすめで近くの寺に人間修行にやらされたが、ここで仏教と儒教(孔子の教え)を知り、「聖人、君子」を志すようになる。




私の尊敬する

【笹川良一語録】

「人間としての基本の躾」

(1) 朝、両親や他人様に明るく挨拶すること
(2) 返事は明るく、誰にでも「ハイ」と大きな声ですること
(3) はき物は脱いだら必ず揃え、跡かたづけはきっちりすりこと


飛行機20機の飛行隊を組織。党員数15000人の大組織。

日本人の基本

「礼儀」
  うやまう心をあらわす作法
「義理」  いやでもやらなければならない、人間としての立場からくる努め
「人情」
  人間としての優しさ、柔らかさ
「節度」  度を越さないで、身のほどに合う行いの区切り
「親孝行」 親を敬いよく尽くす行い



父の教え

「法律に触れることを怖れて、人の為、世の為に動けない様では困る。俺の魂はお前の背に付き添うているから安心して国の為に働け」


著者:黒瀬次郎さん


 世界はいずれ一つにまとまるときがくる。このとき笹川良一先生の「世界は一家 人類みな兄弟姉妹」の思想は、巨大な松明になって燃えあがるだろう。そのとき日本は国家という「個」から、地球という「公」に貢献できる立場におかれているにちがいない。笹川良一的世界への奉仕国家として毅然として高く聳えているはずだ。民族の志というものはそう高くあらねばならぬのである。
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 笹川良一の父、鶴吉は戦前に、
「国家国民の為に行った行為であれば、あるいは法律にふれるような場合があっても、良心に恥づるところがなければ、責めるべきではない。大衆の幸福と信ずればどんな事でも思い切ってやれ。俺は心でも魂はお前の背に乗ってお前を守り通してやる」と言うのが口ぐせであったが、死の床の遺言もこの言葉であった。驚くべき遺言である。 子の笹川良一先生はそれを終生実行した。




 昭和20年、敗戦直後、彼はA級戦争犯罪人を志願し、巣鴨にすすんで入獄した。 天皇を護り、侵略国家の汚名をそそぎ、日本のプライドを守るためである。
 出所後はひたすら戦犯救済に走り、「競艇事業」を創立し、やがて世界一の社会福祉財団を築き上げて行く。

 天然痘撲滅に最大の貢献をし、ジュネーブのWHO本部には、彼の胸像がキュリー夫人の次に飾られている。世界で4番目の「人類の健康を守る”闘いに貢献した」

 日本人は日本人から逃げられない。

自分の家庭は自分で守るごとく、自分の国日本は、自分たちの力で守らなければならない。国家は家庭の延長である。この平和で美しい日本を、ならず者国家によって蹂躙され、彼らにあごで使われ奴隷になってはならないのだ。それでは今次の大東亜戦争で、日本の栄光を願いながら散っていった310万の英霊に合わす顔がない。

 憲法を改正し、真の自前の軍隊を持ち、徴兵制か志願兵制を施いて、専守防衛の精神を持つとき、教育の根本軸が確立される。愛国心のないところに国家も教育もないのである。



 笹川良一氏は父母の教えを玉のように守り

「私は子や孫のために生まれてきたのではない。世のため人のために生まれてきたのだ」
 の強烈や信念に生き、そしてそれを貫き通した。国民のためには、いやしくも良心に恥づる事は断じてしてはならぬ。しかし法律にふれることを怖れて人のため、世のために動けないようでも困る」
 の父の遺言を守り、その遺言どおりの生き方に徹して「愛」「慈悲」「恕」の大愛を全世界にふりまいた。20世紀の「愛の巨人」といってよい。日本の誇りにすべき人物である。


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