昨日、私の大ファンである立川談志さんの死去。とにかく落語界では昔、異端児と言われた位自分の信念を曲げない立川流落語の波乱の生涯は、多くのファンにとっては残念だったに違いない。
私が尊敬する立川談志師匠に頂いた名刺。生涯この名刺は大事にしたい。亡くなると本当に寂しいものだ。合掌
落語家の立川談志さん死去
私は15,6年前にASEANセンターの山口先生の紹介で、談志師匠を紹介され食事をしながら私の活動の話をした時、会の顧問になってくれませんかと聞いたら、何でも書いてくれと軽いノリで話してくれた事が一番印象的。
とにかく気さくな人。それ以来、談志師匠の大ファンになった。
立川談志 vs. 小室直樹 (1)
それに舞台で話をするノリと我々と話し合っても、一種独特の熱の入った話だった。何故かと言うと、その当時は子どものいじめや自殺などが新聞紙上に良く出ていた事と、景気も今ほど悪くなかったし、話は飛躍し社会や政治の話になり皆、談志師匠の話しの中身に私と同席していた3人の連合会役員は、熱くなった事が今でも思い出す。
立川談志の戦争体験-東京大空襲-(抜粋)
それから我々の活動の中で特に空手の力を背景に、弱い立場に追い込まれた女性や子供を助ける為だったら、実力行使もやむを得ないと云う話しに、談志師匠も私も同感だと云う言葉に、改めて我々のやっている活動に対し、力をもらったような気がした。とにかく一方的に話をされても中身は濃い。それに簡単に話してくれたので分かりやすい。そして楽しい。
この人を見よ―立川談志【1】 西部邁ゼミナール 2010年10月30日放送
その途中で談志師匠から、私が預かっている落語の大御所の息子を鍛えてくれと、冗談半分に話された。その当時子供の問題で九州北海道を除き、活動をしていたので、とても自分達の自由な時間が取れない位、忙しかった。しばらくの間、マスコミに出たりシンポジウムや講演活動。
立川談志の正論
それにほとんど用事の無い限り子供や若者を中心に、毎日空手の指導。その時代10代のシンナー遊びが真っ最中。
文句を言うにも資格ってぇものがあらぁね
それに暴走族の大集団がいたる所で走っていて、暴走族同士の抗争事件が多く、連合会の中にも暴走族大好き人間がいて、そのうちに日本最大の暴走族総長と仲良くなり、我々連合会の役員になってもらい、長い間力になってもらった。
この人を見よ―立川談志【2】 西部邁ゼミナール 2010年11月6日放送
とにかく彼は頭がよく度胸もあり、やはり数千人の暴走族のリーダーをやるぐらいの器はもっている。現在は私の会から離れて色々な仕事をやりながら、若き時代の友人を集めOB会を作り活躍している。私もそう云う意味では彼の主旨には大賛成だ。
談志、拉致を語る
今の時代に欠けているのは人と人との絆。やはり一人だけで生きていくのは実に寂しいものだ。友達や仲間は多いほど良い。だから人生は楽しい。
国旗は日の丸、国歌は君が代