ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

田中康裕『心理療法の未来-その自己展開と終焉について』2017・創元社-個別から普遍へ

2024年04月19日 | ユング心理学に学ぶ

 2018年のブログです

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 田中康裕さんの『心理療法の未来-その自己展開と終焉について』(2017・創元社)を読みました。

 田中さんはユング派の分析家ですが、じっくりと読むのは初めて。

 かなり刺激的でいい本でした。

 田中さんは、心理療法はその対象によって常に改定される、といいます。

 神経症が対象だったフロイトさんの時代は精神分析、その後、精神分析は統合失調症や境界例にも適応されて発展しますが、解離性障害ではなかなか難しくなった、と指摘されます。

 それは、解離性障害では、それまで当然とされた「人格」の存在があやうくなった(?)ため、といいます(雑な要約で、間違っていなければいいのですが…)。

 そのために、それまでの、意識と無意識からなる「人格」を当然のものとしていたそれまでの心理療法では手に負えなくなったのではないか、と考察されます。

 そして、その後に出てきた発達障碍。

 ここでは、「心的未成」という状態が考えられ、まずは「心的誕生」が必要と考えられ、これまでの神経症、境界例、統合失調症という病態水準ではなく、それとは別の発達スペクトラムの視点での関わりが必要になる、と述べられます。

 当然、そのために必要な心理療法の技法も違ったものとなるようで、本書では、これまで常識とされていた中立性などの概念の再検討がていねいになされていて、とても参考になります。 

 そして、なにより刺激的だったのは、やはり、心理療法家は眼前のものへの個別性を大切にしたコミットメントが重要との指摘で、事例検討を重視し、個別から普遍へと進むことで事例研究に至るという考え方を徹底されています。

 ここらへんは、先日の遊戯療法学会のシンポジウムでも取り上げられていた点であり、真のエヴィデンスとは何か、を考えるうえで大切な視点になると思います。

 とても面白く、刺激的な本で、さらに読み込んでいきたいと思いました。      (2018.7 記)

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 2021年9月の追記です

 このブログを改めて読んでいると、ビオンさんの、記憶なく、というフレーズがふと浮かびました。

 毎回毎回のカウンセリングが新鮮なことの大切さを強く感じますし、そこでしかカウンセリングの真の勝負はないのかな、と思ったりします。     (2021.9 記)

 

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村上春樹『街とその不確かな壁』2023・新潮社-喪失・疎外・魂

2024年04月19日 | 村上春樹を読む

 2023年春のブログです

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 村上春樹さんの『街とその不確かな壁』(2023・新潮社)を読む。

 重厚な物語だと思う。

 まだ一回読んだだけなので、今後、印象は変わるかもしれないが、一回読んだところで連想したことは、喪失、疎外、魂、という言葉。

 激しい喪失が何度も描かれる。

 読んでいても胸が痛くなるようないくつかの喪失。

 そして、喪失による哀しみ。

 人生は喪失と哀しみの繰り返しなんだなあ、と思う。

 次に、疎外。

 現実社会でも、壁の「街」でも、人々は疎外されている。

 疎外されて、生き生きと生きられず、なかば死んだように生きる。

 何かを恐れるように、生きる。

 個性は潰され、人々は平板な人生を生きる。

 そこに魂はない。

 一方、信ずることの大切さが述べられる。

 何を信ずるかにもよるのだろうが、信ずることと魂の復権は関係するのかもしれない。

 重厚で重層な物語が進行する。

 続きは各人のこころの中で進めていくのだろうと思う。    (2023.4 記)

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 同日の追記です

 哀しみを十分に哀しまないと、明るくても虚ろな生きかたになる(精神分析では、躁的防衛という)。

 虚ろいには影がない。

 影がなければ、魂は十全にはならないのかもしれない。

 

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