ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

藤山直樹・伊藤絵美『認知行動療法と精神分析が出会ったら-こころの臨床達人対談』2016・岩崎学術出版社

2024年04月09日 | 心理療法に学ぶ

 2016年のブログです

       *      

 藤山直樹さんと伊藤絵美さんの『認知行動療法と精神分析が出会ったら-こころの臨床達人対談』(2016・岩崎学術出版社)を読みました。

 とてもおもしろかったです。

 そして、とても勉強になりました。

 この中で藤山さんが精神分析のエッセンスを講義されているのですが、おそらくじーじが今まで読んだ精神分析の説明の中で、一番わかりやすくて、かつ、一番深いものではないかと思います。

 もちろん、それは藤山さんなりの「精神分析」なのですが、だからこそ、藤山さんファンのじーじには宝物のような講義でした。 

 ここで、じーじがうれしかったのは、治療者がたとえ失敗をしても厳然と「そこにいること」の大切さが述べられていて、このところ、このことを考え続けているじーじにはとても勉強になりました。

 そして、失敗は必須のものではないか、とか、必然のものではないか、との指摘は今後の大きなテーマだな、と思いました。

 考えてみれば、ウィ二コットさんもそのようなことを述べていることを思い出しました。

 もっと勉強が必要です。

 藤山さんの精神分析への熱い思いは、まだまだ精神分析の初心者のじーじのこころにもかなり深く響いてきて、今後も何度も読み返して、理解を深めたいと思いました。

 また、伊藤さんとの対談も面白く、認知行動療法との異同を考えながら、心理療法全般のことを考えました。

 二人のこころの臨床家の対談にいろいろと触発をされて、もっともっと勉強をし、実践を積み重ねていきたいなと思いました。     (2016 記)

 

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安保法を見据えてのベトナム寄港と踏切の安全問題のニュースを見て考える-じーじのひとりごと+追記です

2024年04月09日 | ひとりごとを書く

 2016年のブログです

 (ずいぶん前の文章ですが、その後も政府のやっていることは戦争への再軍備化だと思われるので、再録します)

     *

 先日、海上自衛隊の自衛艦がベトナムの港に寄港をしているニュースを見ました。

 自衛隊の艦船がベトナムに(?)、何のためなのか、よくわかりませんでした。

 安保法のせいなのでしょうか。

 当然、中国は抗議の声明を出していました。

 それらを見て、じーじは、日本を守るために、自衛隊がベトナムにまで行く必要があるのだろうか、と単純に思いました。

 そして、ひょっとすると、太平洋戦争の前にも、これと同じような光景がアジアの各地であったのかな、と想像をしました。

 ベトナムにいる日本人を守るためにという理由で、また、中国や東南アジアの国々にいる日本人を守るためにという理由で、自衛隊があちこちに派遣されるのでしょうか。

 一方で、今日のニュースで、全国に危ない踏切がいくつもあることがわかりました。

 危ないことは以前から指摘をされていても、なかなか改善をされていないようです。

 お金の問題なのでしょうか。政府の予算の使い方の問題なのでしょうか。

 自衛艦と踏切。どちらが国民にとって切実な問題なのでしょう。

 自衛艦一隻分のお金でどれだけの踏切が改善できるのでしょうか。

 じーじはただのじーじで、特別な思想信条は有していませんが、今の時代に国防費と交通安全費とどちらが大事かと聞かれれば、交通安全費と即座に答えます。

 国民の目の前の安全を守れずに、国家を守るなんて、妄言でしょう。

 国家より、大切なのは国民の命です。

 国民の命を守れない政府が国家を守れるのでしょうか。

 弱いものをきちんと守れないような政府は最悪です。

 まずは弱いものを守ってこその政府ではないのでしょうか。

 じーじのひとりごとです。    (2016.4 記)

     *

 2024年3月の追記です

 政府が戦争への恐怖をあおることで儲かるのはおそらく兵器屋さんだろうと思います。

 軍艦、飛行機、ミサイル、戦車、などなど、大企業が儲かるものばかりです。

 飛行機は共同開発をして、輸出までするようです。

 政府にとっては、基地の地元の国民の危険性より、政治献金をしてくれる兵器屋さんの大企業のほうが大切なのでしょう。    (2024.3 記)

     *

 同日の追記です

 じーじとしては、主張がぶれていないな、と思っていますが、うちの奥さんなどは、いつもかわりばえがしないわねぇ、などと厳しいことを言います。

 首尾一貫していて、す・て・き!と思ってもらえると元気が出るのですが、人生はむずかしいものです。 

     *

 2024年4月の追記です

 踏切での死亡事故が起こってしまいました。警報機だけでもついていれば防げたかもしれません。   

 この国は何をやっているのだろう?と思います。

 自衛艦を派遣したり、敵基地攻撃ミサイルを買うより、踏切の警報機を買いませんか。    (2024.4 記)   

     

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村上春樹 『騎士団長殺し』(第1部・第2部)2017・新潮社-その1・哀しみとユーモアと

2024年04月09日 | 村上春樹を読む

 2017年春のブログです

     *  

 村上さんの 『騎士団長殺し』(第1部・第2部)(2017・新潮社)を読みました。

 これからも読後感や印象がどんどん変化すると予想するのですが、第1報をとりあえず書いてみます。

 まずは、とてもおもしろかったです。

 じーじのこころの準備不足のせいか、エンジンのかかるのが少し遅かったのですが、途中から物語に引き込まれて、土日月の3日間で読んでしまいました(もったいない!)。

 テーマは重層的で深いです。

 あまり詳しくは書きませんが、善と悪、戦争、人殺し、死者と対象喪失、こころから哀しむこと、信ずること、その他もろもろ。

 偶然でしょうが、対象喪失とこころから哀しむことのテーマが出てきました(と、いっても、じーじがそう感じているだけで、普遍的なものとはいえないのかもしれませんが…、最近、そのようなことを考えている私にとっては、意味のある偶然です)。

 まだ読んでないかたも多いと思いますので、あらすじもあえて書きません(もっとも、村上さんの小説の場合、あらすじよりは、何を感じるか、のほうが大切な気がしますが…)。

 印象としては、ねじまき鳥と海辺のカフカの延長線上にあるような感じで、深く、重い内容ですが、カフカに出てくるホシノくんのユーモアのようなものにところどころ包まれているような印象を受けます。

 深く、重い物語を少しのユーモアが救ってくれるかのようです。

 われわれの人生は死や哀しみを避けられないものですが、しかし、ユーモアや信ずるということによってなんとか生き残っていけるのかもしれません。

 さらに、読みこんでいきたいと思います。    (2017.3 記)

     *

 2023年6月の追記です

 哀しみや別れや死は人生において避けられないですが、それを受け容れるためには、少しのゆとりやユーモアなどが大切なのでしょうね。

 そうすることで、逃げることなく、人生のわからないことにも耐えて、生きていけるのかもしれません。

 そして、それがこころの成熟ということなのかもしれませんね。     (2023.6 記)

 

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