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randomnote

日記。

台湾みやげ話 片岡巌 25

2011年12月12日 | 台湾みやげ話
25◎台湾人には両便所が無いと云うがそうですか

田舎に行くと殆ど無いと言っても良い位です一寸竹藪の蔭か家の裏などと二個位の石を置いて此れに上がって便じます、するとその傍らから豚がやって来て掃除をしますから何等汚物が残りませぬから至極簡便です併(しか)し市街はそうは行きませぬから、何町と何町とで何個と云うて一定の場所に大きい共同便所を造り男子に限りその所に大便を仕ます但し小便は至る所で便します、こう云う風で便所が遠方にあるものですから至急の時は大変です、それですから夜が明ければ此処の横町、彼処の壁の角等人通りの少ない所は夕べの犯罪の痕跡が点々として甚だ不潔であります、そうして女は家の中の自分の室の所に両便を便する一個の桶を置きて便じます明日田舎より肥え取りが来たら桶を抱え出して肥桶に移し掃除して又室にいれて置きますが、若し天気の都合等で肥取りが来ないと其の桶を深夜に持ち出して軒下の下水に流します明けてみれば流れも敢ぬ汚物が他人の門前の下水にあるのですが平気です尤(もっと)も流す時、注意して成る可く他人の門の方に流します、つまり犯行を隠すつもり(打算)でやるのであります。



台湾みやげ話 片岡巌 24

2011年12月11日 | 台湾みやげ話
24◎台湾人の衣服は如何ですか
衣服は支那風で内地の服装より簡便でよろしい様ですまあ支那人の服装と見れば大差は有りませぬ。

台湾みやげ話 片岡巌 23

2011年12月11日 | 台湾みやげ話
23◎台湾人の女の髪は如何ですか

大概撫で付けて後頭部で結んで丸めてありますあの束髪の様です又はいからの人は、七三に分けた人もあります、広東人婦人は一定に画(え)に見る元禄時代の髪の結い方と似て居ります、又所によっては頭の中央より少し後方に髪の毛を折り曲げて内地の島田髷の様に結ぶ所もあります。

台湾みやげ話 片岡巌 22

2011年12月11日 | 台湾みやげ話
22◎台湾人の辮髪(べんぱつ)とは如何のものですか
頭髪の周りに(四圍)を剃って頭の中央を残しそれを「三くで」(三つ編みのこと)に編みて背中の方に垂れたものです、
支那人の髪と異(かわ)りはありませぬ、今日にては大概断髪しましたから殆ど無いくらいですが稀に見ることがあります我が国のチョン髷を見ると同様に居様な感じがします。

台湾みやげ話 片岡巌 21

2011年12月10日 | 台湾みやげ話
21◎台湾人の女の纏足(てんそく)とは如何のものですか

此れも支那の風俗を移入した遺物です台湾の女の子が4、5歳になると母親が脚帛(きゃくはく)と云う包帯用の布で足の指尖を尖る様に緊縛(かたくしば)り子どもの泣き叫ぶをも構わず毎日縛って置きます、そうすると足先が腐敗して糜爛(びらん)して膿(ウミ)がでますせれを洗い薬を付けて又々緊纏(かたくまく)のですから子供の悲しみは大抵の事ではありませぬ、こうして永年の間、して居る内に足は発育せず鳶嘴(とびくち)のようになります、其の少程(ちいさいほど)上美人(じょうびじん)として賞美します、
彼の金蓮三寸(きんれいさんずん)とて蓮の花輪(はなびら)に比べて其の少なる程上美人として結婚の際も之が結納金に大なる関係があるのであります、
領台後其の不自然なるを宣伝して漸禁(ざんきん)しましたから今日では殆ど悪習間が無くなりました。

台湾みやげ話 片岡巌 20

2011年12月10日 | 台湾みやげ話
20◎台湾人の音楽は如何ですか

台湾の音楽は支那から来たもので彼の上(しあん)、工(こん)、
乂(つえい)、凡(ほあん)、六(りう)五(う)乙(いつ)の音譜でするので多くの花柳界等で用いる楽器は琵琶、胡弓、柏皷、(ぺくこを)柏板(ぺくはん)(四つ竹の如き物)太鼓、笛等で北菅、南菅、即ち支那北方楽、南支那楽の二つが多く行われて居ります芝居の囃子や、死人の法事の和尚が読経の時の囃子方があります、太鼓と銅鑼と喇叭が入りますから「ピィーピィードンガン、ジャンガン」と、それは騒々しいものであります、併し台南の孔子廟の祭りに用いるものは
笙しょう、簫しょう、 瑟しつ、琴きん、笛ふえ、箎てい、籥やく、鐘しょう、磬けい、皷こ、柷しく、(兆+鼓、とう)、壎くん、等その他種々なる楽器を持って所謂八佾(はついつ)の舞楽をするので古風であります、詳細な事は私の著した台湾風俗誌と云う書にあります。(台湾風俗誌に由る)

台湾みやげ話 片岡巌 19

2011年12月10日 | 台湾みやげ話
19◎台湾人の娯楽は如何ですか

高尚の方では作詩位なもので、他は台湾将棋、考物(かんがえもの・謎かけのこと)音楽、又は花柳界遊び、賭博類似の娯楽及び観劇等でしょう囲碁、大弓、謡曲、書畵(しょが)、骨董、篆刻(てんこく)等を弄ぶものは少ない様です。

台湾みやげ話 片岡巌 18

2011年12月09日 | 台湾みやげ話
18◎台湾人のお祭りは如何ですか

縣社以上の社格の神社には神主もあり(台湾神社や開山神社等)ますから矢張り諸官吏が列席して祭祀をしますから内地と異(か)はりはありませぬ、。只それ以下の社格の無い神社が沢山ありますが、之等には神主もなく祭りに神主を呼んで祝詞(のりと)を上げる事もなく其の年の祭祀番に當りたる人が供物を供えて焼香禮拜して各氏子は家々にて祭りをするのであるが、大祭(おおまつり)即ち多少格の高い(清国時代に高格のもの)神の祭り(媽祖祭の如く・媽祖のことは前にあります)の時に其の高格の神の輿(みこし)が出る時は以下の末社に至る迄 輿を御交際(おつきあい)に(神仲間が之を禮儀として居るとのこと)舁(かつ)ぎ出して所謂祭り騒ぎをするのであります、この時は各家共一年中の貯蓄を傾倒(かたむ)けて張り込むのであります、各町内でも大いに出費して山車(だし)や飾り物、活人畵轎楽隊(かつじん・がきょう・がくたい)等で市内を練り回る其の人出は幾万と云う程であります常には随分倹約ですがこの時は金銭を惜しまず使う様ですからこの日は一日に八十卓の馳走を(一卓は8人以上、12人位)する家が沢山あるようです。

台湾みやげ話 片岡巌 17

2011年12月09日 | 台湾みやげ話
17◎台湾人の正月は如何ですか

今日では可成(なるべく)内地式に習わせる様にして居りますが尚未だ舊式(きゅうしき)をやって居る人も沢山あります、舊式では支那流の門口の両側の柱の上方の鴨居に紅紙(こうし)目出度い文句の対句即ち一門春色自天来(いちもんのしゅんしょくてんよりきたる)とか桃花春水一時来(とうかしゅんすいいちじにきたる)とか書いて貼る之れが我国の門松の代わりであります、それから家に肉類や油物のご馳走を沢山作って元日を待ちます午前の一時頃より各家共一聲に爆竹を鳴らします、之れが即ち春が来て正月になった合圖があります、年の夜は成る可く寝ずに居て夜の明けるのを待って神仏祖先に焼香禮拝してそれから祝の食事をして年始に出ますが台湾人は酒を嗜みませぬから街路で酔って醜態を演ずる人はありませぬ。


台湾みやげ話 片岡巌 16

2011年12月09日 | 台湾みやげ話
16◎台湾で珍しい食物は何ですか

先ず豚の胎児の料理、蛙の料理等は一寸人が気味悪く思います、燕の巣の料理や米粉(米の素麺とも云うべきもの)玉子の鹽漬それから夏期飲料用にする内地の寒天代用の愛玉子(アイギョクチー)と云う植物の實、仙草(一名千草)と云う草など造り上げた所は寒天の様で一寸珍らしいのであります之は珍らしいと云うのではなく台湾人の経済と云う所から来たのですが甘薯(さつまいも)の千切り干しを飯に入れて食べます之は中南部が最も多い様です。

台湾みやげ話 片岡巌 15

2011年12月08日 | 台湾みやげ話
15◎台湾人の好む食物は何ですか

まず豚肉、韮、蒜(にんにく)其の他山羊、鶏、鶩肉等から油物を好んで食べます、それですから台湾人の料理は殆んど蛋白な油の入らぬ物は無い様です、それですから始めて台湾に行った人は台湾の料理を食べぬものは沢山あります豚や鶏の腸でも洗って料理に使います。

台湾みやげ話 片岡巌 14

2011年12月08日 | 台湾みやげ話
14◎台湾人の住家は如何ですか

田舎の住家は煉瓦又は土角(之は土を練って四角に長さ八寸幅五寸高さ二寸位の煉瓦状に作りたるもの)を積み重ねて壁代用として竈形に造り瓦又は草屋根を葺いてあるのですが多いのですが貧困のものは竹又は丸太の柱に草の屋根の極簡単なものがあります、市街になりますと壁は煉瓦で隣家と隣家と一つの壁を共有して家を建て掛けて居ります屋根は瓦葺きの家の内は全部土間又は煉瓦敷でそして真っ闇(まっくら)で中には房間(ぼうけん)と云う房(へや)が一隔々々(ひとしきり)になって居ります之が各自の寝所即ち寝室で城郭であります此処に自分の財宝を格納して置く所であります、食事は多く正廳(せいてう)と云う客間で卓上に食物を置き腰掛けながら食べます、商人などで小さい店は店と客間と神床(かみどこ・正廳)が皆兼用せられて居ります 一見随分狭困るしい様に見えます 皆なさんが長崎や方々の支那人町を見るのと少しも異(かわ)りがありませぬ

台湾みやげ話 片岡巌 13

2011年12月08日 | 台湾みやげ話
13◎台湾人の葬式は如何ですか

台湾人が死んだ時は四方に報せて親族故舊(しんぞく・こきゅう)が集まりて弔う事は内地と異(かわ)りませぬ、台湾人は死んで後死体を棺に入れて一ヶ月以上或いは2年3年と家の正廳(床の様な所)に祭って置いて朝晩焼香し忌日々々には供物を捧げて礼拝をするのですが之は殯歛(ひんれん)と云う習慣であります、今日では衛生その他でそう久しく置く人がありませんがそれでもニ、三ヶ月は珍しくありませぬ
  それから愈々吉日を選んで葬式をするんですが中以下の葬式はそうでもないだしか富裕や名望家となると花車や、放鳥や、喇叭や、銅鑼や其の他の音楽で盛んなものです、棺は8人又は16人又は32人位で擔(かつい)で其の後が相続人近親で盛んに大聲で
號泣行きます其の後が友人の見送りで棺の先が和尚、道士等が導道をします。愈々埋葬してから後は七日、七日、四十九日、1箇年、3箇年等の祭りは内地と異わりません、しかし3年後には埋めた人を掘り出し骨を全部洗って甕に納めて地相の良い所を選んで改葬します其の墓を風水すると云います彼の蹄鉄型の墓が風水であります、台湾人はこの風水を造る地の選定が悪いと子孫に祟りを為し子々孫々繁昌せずに終いに絶滅するとて大いに恐れられているのでありますが之等が内地と異なった風俗と迷信であります。
(台湾風俗誌に由る)

台湾みやげ話 片岡巌 12

2011年12月07日 | 台湾みやげ話
12◎台湾人の結婚は如何ですか

 先ず媒人(なこうど)が男家女家の間を奔走して取り定(き)めることは内地と異(かわ)りませぬ、其の際女(よめ)及び婿の生年月日を記した紙を賣ト者(ばいぼくしゃ)に占トわせて互いに相性(あいそう)だと定(き)まったら男家より女(よめ)方に指輪を送ります、又定まったら聘金(へいきん)と云う我が国なら結納金ですが之を男家より女方に送ります、台湾ではこの聘金に依って婚約が成ると云うて良い位で体裁の良い人身売買です、それですからたとえ総ての約束や式が古式に協(かな)居っても、この聘金を女家に渡さぬ時は破断になります、ですから台湾の結婚に聘金が第一で式は第二です式としては種々ありますが、門名(もんめい)と云うて双方の姓名判断を聞き相性か否かを定める、次は訂盟(ていめい)と云うて愈々約束すること、次は納采(のうさい)と云うて結納品を送ること、次は納幣(のうへい)と云う之は聘金を送る式、それから請期(せいき)と云う之は輿入れの日を定めること、次は親迎(しんげい)と云う、之は婿が女家に迎えに行き嫁を輿に乗せて連れてくること即ち輿入れを云うのです、之を六大禮式と云うのですが男家はその度に吊り台に、鳥肉、獣肉、菓子、その他種々なる食物を送るのであるがこの数の多い程晴(ハレ)として居ります、輿入れの日には女(よめ)は男家の神仏祖先を拝し之より侍事すると云う意を表しそれより祝宴がありますことは内地と異なりませぬ、今は斯く複雑の禮式は漸次簡略に仕て居ります、又女の美醜に依て聘金が差(ちがい)ます、美人になると5、600圓より以上、限りはありませぬ極く下等になれば3、40圓からありますが更に聘金の入らぬものはありませぬ。。(台湾風俗誌に由る)

「六大禮式」門名・訂盟・納采・納幣・請期・親迎

台湾みやげ話 片岡巌 11

2011年12月07日 | 台湾みやげ話
11◎台湾人の出産は如何ですか

台湾の女が妊娠しても五月帯(いわたおび)( 岩田帯 )とか云う祝いは致しませぬ只帯も何もせず袴の紐(はかまのひも)一筋(ひとすじ)で腰を締めて置く丈で御腹は太(おおき)くなり次第にして居ります、さうして臨産(うむとき)は寝台ら下の土間に縕袍(ほろ)を敷いて其の上に産み落とします、昔は産婆と云うものもなかったので、只経験のある婆さんが世話を仕ます、甚(ひどい  0のは自分で始末を仕ます、産児(あかご)には産湯は使いませぬ、只紙か布に胡麻油を付けて汚物を拭(ぬぐ)ふて置きます、又産児に新しい産着等は拵(こしら)えず只大人の着物に包んで置きますもの多いのです、今は文化も進んで教育を受けた産婆も出来ましたので少しは昔より進歩して居りますが産婆を頼むものは未だ僅かであります。(台湾風俗誌に由る)